チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2004年03月 INDEX

2004/03/01 矢田部さん宅、新築祝い
2004/03/02 「キン(犬)」の毛刈り
2004/03/03 猫毛布洗濯
2004/03/04 庭のリンチーに水遣り
2004/03/05 子供たちの「ヘアーカット」
2004/03/06 チェンライへ行った
2004/03/07 チェンライのお寺のお祭りへ
2004/03/08 学年末試験
2004/03/09 包丁研ぎ
2004/03/10 「坊さん追放」
2004/03/11 「椰子の木」枯れる
2004/03/12 ノイ、にんにく収穫
2004/03/13 「日本語教室」はじめる
2004/03/14 「大長太鼓(コーン・ヤーオ)」の演奏を見る。
2004/03/15 「行政執行委員会」
2004/03/16 久々のプール
2004/03/17 中学校遠足
2004/03/18 「イ・フォイ」の子猫
2004/03/19 チェンマイの暑い一日
2004/03/20 チェンマイから戻る
2004/03/21 ひと休み
2004/03/22 「ムー・カタ」(豚鍋)
2004/03/23 「終業式」?
2004/03/24 風邪気味
2004/03/25 風邪(続き)
2004/03/28 とうとう寝込んでしまいました
2004/03/29 「馬岩杯」争奪フットボール大会
2004/03/30 芝生刈り
2004/03/31 もうすぐ「ソンカーン(タイ新年)」
2004年3月の日記

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矢田部さん宅、新築祝い 2004年03月01日
 遠方のご親戚や近所の人たち、200人あまりが参加して土地の習慣にのっとり、新築祝いが、行われた。
 わが家からは、数キロのところで、わが家からもお手伝いに出かけた。
右の写真の家が、土地代を含めて、300万円ほどで出来るとは・・・・。
建坪は、50坪あまり。日本だと土地代を除いても、数千万円かかかるかな。ちなみに土地の広さは、400坪ほど。家の中のつくりも、今風でしゃれていて、住み易そうだ。
 われわれは、近所で夕方から親戚の結婚式があり、早めに失礼した。
 チェンダオの高橋さんご一家も、遠方からのこともあり、3時ころ帰られた。

夕方から、「ヨット(姪の夫タンの末弟)」の結婚式。
新婦が再婚ということもあり、簡素な式だった。それでも近所の人たち100人あまりが参加して、遅くまでにぎやかだった。

クイタム、近くに仕事がないので、誘われてバンコクに出稼ぎに行く。バンコクだと日当200バーツ以上になるらしい。出る方も出るのだが。

「キン(犬)」の毛刈り 2004年03月02日
 やっと暖かくなり、長く伸びた「キン」の毛を刈ってやる。
本当はいやなのかもしれないが、わりと大人しくしている。たまに鋏で肉を切られたり。鋏が切れなくて、時間がかかる。二人がかりで、1時間では終わらない。

 グッピーの水槽、水替え。餌のやりすぎか、死んだ魚もいて水が腐り始めて臭い。

 「ヨット」の結婚式の写真、プリントする。「三日月モード(夜景用)」で取ったためか、変なゴーストが入っているものが多い。静止状態の被写体でないと、使えないね。

 クイタムに仕事の話が来る。出稼ぎに出たあとで、一日違い。でも、ピシーは呼び戻すつもりらしい。酒癖が悪く、遠方だと心配でたまらないようだ。

昨夜、ケイの数学の宿題の手伝いをする。文章から方程式を立てる問題だが、1問だけ家中の知恵を絞ってもどうしても判らない問題があった。
「A君が教室の長さを測ったら、12メートルあった。しかし前に測ったときは、教室の長さは40メートルあった。教室の幅はどれだけですか。」という問題である。
「長さが12メートルだったり、40メートルだったり、この教室化け物じゃないの」とか、「長さを測っただけで、幅なんてわかるわけないじゃないか。」とか。長さが40メートルじゃなくて、面積が40平方メートルなら、幅はわかるよ」とか、さまざま議論したが、結局この問題だけは解答が出ず、未解決のまま、ケイは学校へ行った。
 今日、帰宅して訊ねて見ると何のことはない、以前、A君が測ったのは、教室の全周の長さなのだそうな。それならそれと、はっきり問題に表記すべきなのに。
 今ではタイの田舎でも、問題を作るのにパソコンを使い、なまじ「ガリ版」や、筆記のコピーじゃないだけに、問題のミス(?)を鵜呑みにするために、こんなことがたびたびある。活字じゃなければ、問題のミスを疑うのだが。活字には弱いね。
 日本では、中学1年で、1次方程式を勉強するのかしら。タイの田舎では、大多数の子供たちが、チャンとは、理解できていないような気もするが。
 

猫毛布洗濯 2004年03月03日
 コタツ掛け、電気毛布、敷き毛布などなど、猫が使っていた毛布類を洗濯。ケサリン一人だとたいへんなので、手伝う。

 「パク・ヒー」収穫。
 「パク・ヒー」というのは、ちょっと「インド・ゴム」の木に似ている木の若芽である。乾季半ば、気温が上がり始めると新芽が出て来る。採るタイミングが微妙で、1日2日遅れるともうあくが強くなり、硬くなって、おいしくない。新芽が出るのを待ちかねたようにしてとる。豚肉の骨と一緒に煮たり、タイ風サラダ(ヤム)して食べるが、油いためもなかなかである。「パク・ヒー」自体は、さっぱりしていて癖がない自然の「野菜」である。このあたりではたいていの家の庭に植えてある。大きいものでは、10近い高さのものもある。

 チャムトーンの灌漑用水の取り入れ口近くで、「雨乞い」の儀式が行われていた。
下流の水田農家では水不足で、稲が枯れ始めているらしい。

 あちこちで「山焼き(山火事かも)」をしているらしく、広範囲に一日中煙が立ち込めていた。少し風が出てくれば、いくらか良くなるのだが、今日はほとんど無風状態。
暑い。最高気温、30度に達したかも。

庭のリンチーに水遣り 2004年03月04日
 昨年の10月から今日まで、雨らしい雨は、1月中旬に1回降っただけ。あちこち地割れがしてきた。ここ数年は、チェンライらしくなく、乾季中にも月に2〜3回は、まとまった雨があり、「サバンナ気候」もどうかしちゃったんじゃないかと思えるくらいだった。雨が多いのはいいことだが、これで平年並みなのかも知れない。タイの長期予報でも、今年の暑期は、雨が少なく、気温もことのほか高くなるとのこと。
 そんなわけで、庭のリンチーの着果をよくするために、古井戸の水を農業用ポンプでくみ上げて水遣りをした。3本の大木に1時間以上かかる。それでも、まだ十分ではない。あと2,3回はやらないと。
 
 わが村の小学校で「慈善にわかビアガーデン」が開かれる。ひと月ほどまえから、あちこちの小学校で、同様の催しが開かれているところを見ると、お上の指示かも。
 主催は、小学校の教育委員会で、PTA、婦人会、サッカークラブなどが共催。
 校庭いっぱいに、隙間なくプラスチック製のテーブルセットが展開されて、異様な雰囲気である。明日は「マカブチャの日」で祝日なんで出来ること。1250名分。1テーブル6客分で、1テーブルあたりの会費(クーポン券)が500バーツ。役員や父兄が、近隣の町や村にクーポンの押し売りに歩く。500バーツは、田舎の物価を考えると、日本円の5000円にも相当し、安くはない。でも、けっこう引き取ってもらえるらしく、豊かになったものだと感心する。
 テーブルごとに、ウィスキー1本、ビール2本、ジュース1本、つまみの料理つき。舞台が設営されて、バンドも入り、田舎の歌手の生演奏を聞きながら、一杯ということらしい。迎いの空き地には、臨時の大駐車場も出来た。酔っ払い運転は?。
 クーポン券が全部売り切れれば、10万バーツ以上になり、およそ、その半分が、小学校の設備改善などに役立てられる。中央政府の教育予算は、教師の給料以外は、御涙金程度で、教育設備を整えていくには、寄付を受けるか、こんなことでもしないとやっていけないらしい。

 明日は、「ワン・マカブチャ(万仏節)」、お釈迦様が1250人の信者に説教をした(?)日。今夜から、若者たちは、「ドイトゥン」の山に登り、夜明かしで明早朝のお寺の行事に参加する。以前ほどの賑わいはないらしいが。
 この日ころから、いよいよ本格的な「暑期」に突入する。日中のひなたは、脳味噌が沸騰するのではと思えるほど暑くなる。最低と最高の気温差が、20℃くらいになり、体調不良になりやすい。気をつけなくては。

子供たちの「ヘアーカット」 2004年03月05日
 小中学校は、2学期制で9月中旬ころと、3月の今頃、期末試験が実施される。その結果は、クラスごとに成績の順番がつけられ、下から1〜2名は、落第になる。
 服装や身だしなみにはとても厳しく、制服だけでなく、ヘアースタイルにも決まりがあって、髪の毛が伸びてくると、女の子の場合、耳たぶが見える程度に切らなければならない。特に、試験当日はヘアースタイルが規則の通りになっていないと、教室に入れてもらえず、「落第」決定である。普段だったら、先生に叩かれるか、教室内でバッサリやられるか程度で済むけれど・・・。タイの教師は、低学年でも容赦しないらしい。
 美容院で刈ってもらっても、30円程度しかかからないけれど、ヘアーカットは、かみさんの仕事で、これもスキンシップのひとつかもしれない。4人分となると1時間はかかり、けっこう大変そう。オマケに高学年になると、あれこれ文句を言うらしい。

 ケイは、ダンスの練習で登校。明日、メチャンの学校で披露するらしい。

 隣村の「メプーン村」で、幼い子供(小学校4年生)が、川におぼれて死亡。今日は祝日、学校が休みで、川に入って水遊びをしていて、砂を採取した深みにはまったらしい。
 (後日談)橋の近くの川底からたいりょうに砂を採取したのは、「クーウェイト」と呼ばれている元教師の開発業者で、お見舞いに15000バーツ支払ったらしい。子供たちも、砂を採取している現場も見て知っており、しかも付近には、ダンプカー、何十台分もの砂が。あちこちに積み上げられていて、危ないのを承知で水遊びしていたらしい。しかも、同じくらいの年頃の子供たち、10人近くで遊んでいて、亡くなった子供がおぼれたので、一緒に遊んでいた子供が木の枝を差し出していったんは、その木の枝につかまったらしいが、力尽きて沈んでしまったとのこと。日本風に云えば、業者の責任問題にはなるにしても、このあたりでは、状況から判断して、業者の責任が追及されることはないと思うが、お見舞金を支払うなんて、良心的なのだと思う。そういえば、交通事故などでも、100%被害者に落ち度があると思われる場合でも、かなりの額の見舞金を出すようなことが多い。

チェンライへ行った 2004年03月06日
 あさ、ケイとケイの友達をメチャンの学校まで送る。ダンスのコンテスト(?)で1位になったと喜んでいた。

 2週間ぶりにチェンライへ。ケサリン、いつものクリニック。

 中央市場の中で、革靴の修理をしてもらう。この2年近く履いてなかった革靴を、先だって、お葬式に履いていったら、靴の底がボロボロになってしまい、今にも足の裏が見えそうになってしまった。革靴の底は、軽くするためかどうかしらないが、発泡スチロールをうすいゴムで包んだもので出来ていたことをはじめて知った。表面のゴムの被覆が「経年変化」でまるでゴム粘土のようになってしまっていて、ちょっと触っただけでボロボロはげてしまう。
 タイでも以前は、あちこちにあった靴の修理やさんも、今では、見つけるのに苦労するほど。大体、靴の修理を客がなくなってしまったらしい。普段革靴を履くような人は、金回りがよくなり古くなれば新しいものに買い換えるし、金回りのよくない人は革靴など履かない。今回は、あまりはいてない靴なので、上の部分は新品に近く惜しくて修理した。底がすっかり新しくなり、接着剤で新しい底を貼り付けただけではなく一応、縫い合わせてある。修理代閉めて、200バーツ(600円弱)は安い。タイで買っても、3000バーツほどはする靴である。

 車のアンテナ、新しいものに交換。部品が到着するのに半月かかった。

チェンライのお寺のお祭りへ 2004年03月07日
 「ワット・マイ・メーコン」(前に一度行った、クンコンの滝の近くの寺)のクチ(僧侶の宿泊施設、日本では庫裏という)の落慶祝いのお祭りに行く。わが部落の坊さんはじめ、30人あまりが、4台の車に分乗して出かける。儀式が終わり次第、食事となり、そのあと滝の入り口で、のんびり。初めての人もあり、3kmほどおくの滝見物に行った人もいる。チェンライ県で一番の高さを誇る滝で、70mほど。日光の華厳の滝よりちょっと小さいかナ。

 行きの途中で、タイ中で有名らしい「白いお寺」の脇を通ってゆく。何でも、勧進元は、有名な俳優さんらしく、すでに日本円にして、1億円近くかかっているらしい。まだ、完成しておらず、なんか、スペインの「サグラダ・ファミリア(ガウディの)」を思い出してしまった。真っ白でデザインも奇抜。今までのタイにはなかったタイプのお寺らしく、未完成であるにもかかわらず、テレビでも何回か紹介され、連日のように観光バスも立ち寄ってお布施を置いていくらしい。そのため、資金もとても豊かで、完成までには、さらに日本円で1〜2億円くらい掛けるらしいとのこと。いずれ、立ち寄って、詳しく見てみたい。お寺の近くの大通りなどに「UNSEEN IN THAILAND」と観光看板が目についた。

 ケイは最後の宿題(またこの期に及んで、どっさりあるのだ)を寸暇を惜しんで(?)こなしている。なんか、数学を除く、すべての宿題が、お絵かきぬり絵混じり。遊んでいるのか、宿題やってるのか、よくわからないけど、みんなこんなものらしい。
学年末には、この1年の成果を、1冊に閉じて総合評価をしてもらうらしいのだが。


学年末試験 2004年03月08日
 朝のうち、降りそうだったが、そのうち日がさしてきてしまった。

 今日から、子供たち学年末試験始まる。午前中だけなので、昼過ぎ迎えに行く。もうすぐ長い休みに入る。

チャムトーンの「バッテリー照明」にスウィッチつける。
チャムトーンには、まだ電気が来てないので、12�の車のバッテリーを電源にした蛍光灯照明を使っているが、今までスウィッチがなく、そのつど例の鋏のようなクリップをつけたり外したりしていたが、不便なのでスウィッチをつけることにした。
 日本では、なかなか手に入れるのは難しいと思うが、タイでは、12�直流専用の器具を売っている。電気のないところとか、停電時には重宝する。あまり長く使わなければ、1回の充電で、1ヶ月近く使える。

 マンゴーの枯れ木落とし。また随分虫にやられた。長く雨が降らないと、抵抗力が弱くなるみたい。かんきつ類につぼみがつき始め、マンゴーとリンチーには小さな実がつき始めた。近々、雨が降るのか、「アリ」が引越しをしていた。

包丁研ぎ 2004年03月09日
 朝のうちは、寒さが後戻りしたよう。最低気温、14度くらい。昨日より5度以上低い。寒くて、また、長ズボン着用。それでも、日が昇るにしたがって暑くなり、25度近くまで行ったみたい。こちらの方も、昨日より、5度近く低い。内陸の高気圧圏内に入ったようだ。これで、また当分降りそうになくなった。

 鉈、包丁の類を、10本ほど研ぐ。使えば使いっぱなしで、洗いもしてないので錆びてきている。刃はみんな丸く(?)なっても、研がずに使っている。当然、切れない、むしれるだけ。それでも、平気みたい。仕事しづらいだろうに。

 久々にランの手入れなど行う。
 貯蔵してある、こんにゃくの種芋、芽が伸びてきたが、適当な植え場所がない。なにしろ、どこもカラカラ。畑にスプリンクラーつけるほどのこともないし。

「坊さん追放」 2004年03月10日
 わが村には、「山の寺(ワット・ドイ)」と「村の寺」の2つの寺がある。葬式等の慣例の祭祀を中心になって取り仕切るのは「村の寺」である。わが村が村として機能するようになって間なしに、村の求心的な存在としての役割を果たしてきた、いわば「由緒ある」寺である。では「山の寺」は、何なのかと問われても、よくわからない。普段は、「遠い親戚より、近くの他人」みたいな感じで、わが集落「バン・パヤーン」で面倒を見てはいるものの、集まってくる信者は、坊さんの出身地の「メカム村」をはじめ、非常に広範囲である。「坊さん(トゥ・サックという)」の人柄にほれ込んで、信者が集まってくるらしい。一般に、タイのお寺で年中増改築などしている、いわば「栄えている」寺は、住職の人柄もあいまって、良いスポンサーを持っている寺である。
 先年亡くなった前の住職は評判がよくなく、ごく遠方の出身地からの信者がたまに来るぐらいで、お布施も思うように集まらず難儀していたようだった。でも、追放にはならなかった。彼が、もし「村の寺」の住職だったとしたら、おそらく、「追放」になっていたかもしれない。
 前の住職がなくなって、空き家になったお寺に、トゥ・サック師が、7日のおまつりで訪れたチェンライの山の中の寺から、わが「山の寺」にやって来た。空き寺が出来ると、適当に入り込めるようである。お寺の管理をするお役所が、新しい住職を差し向けてくるなんてことはないらしい。7日に行ったチェンライのお寺の住職も、トゥ・サック師と同じメカム村の出身で、年齢的には少し後輩に当たるらしい。今日、その住職が「追放」になったという連絡が入ってきた。事情は定かでないが、「人種問題」が根底にあるらしい。その山奥の村も、わが村と同様、平地のタイ人の集落のはずれにあって、家屋敷の感じからして、新村の感じがしたが、住民のほとんどが「ラオ族」だそうだ。少数民族とは言わないが、おそらく、ベトナム戦争が激しかったころに移住してきた人たちであろうと思われる。「コン・ムアン」とはちがう。現在では、タイの国籍を与えられ、「タイ人」であるため、指摘されなければ、区別はつかないのだが、おかれている立場や文化的伝統は違うのかもしれない。そのうち、「追放」になった理由は明らかになるかもしれない。
 件の坊さんは、とりあえず、わが「山の寺」に同居することになったようで、今日明日中に迎えに行かなければならない。

 向かいの叔父(ア・ワン)が昨日、メチャンの病院に入院。心臓病と高血圧らしい。
7日には、元気でチェンライのお寺に車を運転して行ったのに、昨夕、水浴びをした後、急に具合悪くなったらしい。ケサリンの「身分証」の更新で郡役所に出かけたついでに見舞ってくる。まじめに診察してくれないとぼやいていた。退院したら、チェンライの「シーブリン病院」で診てもらうように勧める。

 交換して間なしのワイパーブレードのゴムが切れたので、新しいものに付け替える。乗用車用なんて、あまり需要がないのでずっと昔に仕入れたものを付けられた可能性がある。ゴム製品は使用しなくても、年数がたつと、もろくなる。革靴の底がそうだったように。酸化するのかな。

 クイ・タム(義兄)、チェンコンへ出稼ぎ。同じ県内でも、遠方のため通勤できず、随分たくさんの、衣類や食材を持って、出かけていった。バンコクに比べれば、給料は安いらしいが、休みのたびに戻ってこれるので家族にとっても安心できる。

「椰子の木」枯れる 2004年03月11日
 年が明けたころから、チャムトーンの椰子の木が元気がなくなった。一時「塩」など芽の部分に注入したりして、回復を待ったが、とうとうダメそうで、「新芽」の部分を食用にするため切る。10年以上前に植えたものだが、椰子の木というのは、枝もでないし、ヒコバエも出ない。芽を切られることは即、死を意味する。食用にする部分を取り出したところ、すっかり腐っていた。多分病気なのだろう。環境があってなかったのか、虫が原因で元気がなくなり、成長点が腐ったのかよくわからない。まだほかに2本ほど、元気がなくなりつつある木があり、心配。

 レースのカーテン、洗濯。パソコンの前の窓に掛けてあるものだが、2年足らずで、タバコのヤニですっかり茶色になってしまった。パソコンのHDDも黄色かも。

 グッピーの池水替え。餌のやりすぎで水が腐り、何匹か犠牲に。

 庭の花壇に水遣り。クイタムがいないと、水遣りする人がいない。ついでに、液肥を散布する。

 チャムトーン用の食器棚と衣装ダンス購入。あわせて2900バーツ。以前修理に出したチーク製の安楽いすは結局修理できず、籐の寝椅子2脚で勘弁してやる。材料のチークが手に入らなくて修理できないとのことだが、修理する人がいないのでは。店の片隅にほっておかれてあった。ちょっと、痛ましい。

 チャムトーンの犬2匹、灌漑用水の流れの中で、シャンプー。ノミが一杯。全滅は出来なかったので、明日またシャンプーなんていってるけど、犬にとっては迷惑せんばん。初めてのシャンプーで、水を嫌がる。

 「Sissel Kyrkjebo」 というノルウェーの女性歌手の歌を聞く。ノルウェー語の歌は、歌詞が全くわからないけど、なかなかいい。千住眞理子の兄さんの千住明がプロデュースした曲もある。なかでも、オーケストラとパンフルートをバックに、アカペラに近い状態で唄う「Shenandoah」は、ゾクゾクする。もしかしてパンフルートは千住明?

 「追放」坊さんの続報。
 どうやら、あの村の村長(プーヤイバーン)が悪らしい。この間の祭りで集まったお布施の件で、村長が坊さんに言いがかりをつけたらしい。そもそもは、タイの坊さんは、227戒に従うと、「お金」を扱ってはいけないことにはなっている。坊さんがお布施を集計して、坊さん名義の貯金通帳に入れたらしい。このこと自体は「戒」に触れるとはいえ、どこのお寺でもやっていること。第三者の名義にすると、着服横領されることがしばしば。あの村では、公共工事などもなく、村長の実入りが少なくて、お布施のピンはねをしていたらしい。それを感づいた坊さんが自分で銀行に行ったらしい。ピンはねできなくなった村長が、この坊さんは「破戒坊主」だと言いふらし、やってられないということになったようだ。
 村長のピンはねといえば、ケサリンの亡くなった爺さんも、30年ほど前まで、わが村のプーヤイバーンだったが、やはりお布施を私的に流用したのがもとで、辞職したらしい。以前は、村長は名誉職で無給だったためによくある話ではあったようだが、今でもお布施をピンはねする村長がいるとは、ちょっと驚き。まあ、よくあることなのかも。 
 とりあえずは、身の回りのものだけ引越し、坊さんの方は、熱心なファンとのお別れなどした後、この月の半ばころ、良い日を見計らって越してくるらしい。

ノイ、にんにく収穫 2004年03月12日
 姪のノイ、1.5ライ(2400�)に、作付けした「にんにく」収穫。
5000kg以上。単価7バーツ/kg。粗収入は4万バーツほど。原価を差し引いても2万バーツ以上。ホクホク。政府が、自由貿易協定の締結で、ミャンマーから安い「にんにく」が入ってくることを想定して、北タイのにんにくの栽培を自粛するように通達を出したのだが、きっと今年は高くなるよとそそのかして作らせた手前、ほんとに良かった。この時期の収穫は例年だと遅い方で、単価も、せいぜい4〜5バーツ。収量も今年ほど多くない。今年は雨が少なかったため、まめに水遣り、消毒をした農家は、出来が良くて、みんなホクホク。収穫の手伝いをしてくれた近所の人たちに夕食(酒つき)を振舞う。お祭り気分。

 夕方、村の「ボランティア団」の連中が、2泊3日の体験入隊から帰ってきて加わり、それこそ大賑わい。「パヤーン部落」からは7人が参加したらしいが、そのうちの一人は軍隊経験があり、しかも体験入隊中の成績も抜群とほめられたそうで、みんな、鼻高々。

 キックを除く3人は、試験が終わって今日は休み。小学校は、規定の授業日数が不足とのことで、登校。学年末休みも遅くなるらしい。どこで休みを取りすぎたのか。それとも、中学校とは、規定日数が異なるのか。試験中も、試験の終わった後、午後から通常授業をやっていたので、キックだけ後から下校。ノイがバイクで迎えに行ったりした。

「日本語教室」はじめる 2004年03月13日
 かねてから、ケサリンから「日本語」を教えてやって欲しいと頼まれてはいたが、学校の勉強だけで精一杯なのにとのびのびになっていた。試験も終わり、本人たちから教えてくださいと頼まれ、断るわけにも行かず、今日から少しづつ、やることに。生徒は、ケイ、ノンカン、ジンの中学生3人。本人たちは、日本語で簡単な挨拶や日常会話がしたいらしいが、「カタカナ」、「ひらがな」くらい読めないと、自習できないので、「カタカナ」から始めることに。やっぱり「ツ」とか「ズ」とかは、まるでダメだね。まあ、少しづつ1年もやれば、いくらかは話せるようになるのでは。

 「上海蟹」は、味噌汁にしてもおいしくないことが判った。

 件のチェンライのお寺の坊さんの荷物(?)引越しに、2台のピックアップで出かけた。ポンプやエスロンの水道管まで、持ってくるとか。要するに、お布施で集めたものは、建物以外は皆持ってくるつもりらしい。タイではお寺にお布施をするのではなくて、坊さんにお布施をすると言うことのようだ。

 庭の大掃除。ケイ、ノンカンにも手伝わせる。ついでに、グッピーの池ひとつ水替え。

 日中とても蒸し暑い。気温は30℃あるかないかだが、ちょっと動いただけで汗が出る。湿度が高い(?)。雨が近いかな。だといいが。

 「ノンギエン」で、昨夜、老婦人が亡くなる。「腸癌」で長患いしていたらしい。

 昨日から、「YAHOO」のIMで、先方からのメッセージだけが文字化けするように。IM SECURITY パッケージ(ZoneAlarmのもの)が原因しているかもしれないので、とりあえず、外してみた。

「大長太鼓(コーン・ヤーオ)」の演奏を見る。 2004年03月14日
 近くの「ノンオオ村」のお寺の「サラ(休息所)」の落慶法要に、坊さんを送って行く。たいへん賑やかで盛大なお祭りだった。初めて、「大長太鼓」が、音を出しているところを見ることが出来た。「キウパオ村」からの協賛演技。ドンドンドンとおなかに響く音がする。長さは5mほどあり、あまりに大きいので、引き車の植えに乗せられている。(「チェンダオ洞窟」の入り口近くの展示場にあったものは、さらに大きく、長さが10m近くあった。)むかむかし、戦争のときには、ごろごろと荷車に載せてあちこち引っ張って行ったらしい。一見、「大砲」のようでもある。
 片側だけに、皮の張られている太鼓を、「コーン」というが、肩掛け式のものからいろいろな種類の「コーン」があるようだ。大きなものでは、右の写真のようにたたく部分に、「カオニャオ(常食のもち米のおこわ)」を練りに練って真っ黒になったものを輪形に貼り付け、手に巻きつけた布切れでその部分をたたいて音を出す。
 『天国の音』という看板がついているが、確かに特別な音のような気がした。
 

「行政執行委員会」 2004年03月15日
 昨日、「県行政執行委員会(オー・ボー・チョー)」の議長と委員の選挙があった。昨年(?)、すでに地区(町)レベルの執行委員(オー・ボー・トー)の選挙があり、いとこの「トーン」が委員に選出されている。行政機構としては、県知事(プーワー・ラーチャカン・チャンワット)、郡長(ナーイ・アンプー)、町長(カムナン)、区長(プーヤイ・バーン)という長年続いてきた、組織があり、最近は、県議会議員も選出され、町議会議員なども選挙で選ばれることになりそうなのに、「行政執行委員」とは、いったい何者なのだろうと疑問に思う。「とーん」の仕事振りを見ていると、要するに、世話役で、昔は自然発生的にボスが誕生し、地域の人々の面倒を見てきたものを選挙で選んだに過ぎない。読み書きの問題や、役人との対話が問題になり、若い人しか執行委員にはなれないので、「力」があるわけではなく、所詮下働きしか出来ない。
 中央政府としては、自治機能を強化するつもりかもしれないが、行政経験のない未熟な若者たちでは、かえって中央集権の強化になってしまっている。
 いずれにしても、町長や区長はいったいどうなってしまうのかいな。

 先だって、ケサリンの身分証の更新で、郡役所に行って思ったが、役人の数が少なすぎる。仕事の大半は、出生届け、死亡届、結婚離婚届けの処理(いわゆる市民課)ともろもろの許可申請の受理(いわゆる商工課)、それに身分証の管理。玄関口に写真つきで掲げられている組織図をみると、それぞれの長には、全部で3〜4人の郡長補佐(パラット・アンプー)がついていて、それ以外の正式に役人の身分を持つものは、ほんの数人。事務処理をしたり、窓口で市民の応対をするのは、すべて嘱託の女性たち。日本の自治体の役所と比べて、あまりにも貧弱な組織だ。日本のように何から何まで、役人が、介入(?)してきて、また市民の方も主体性がないのも、困りものだが、あらゆることを「よきに計らえ」式で、やって来たタイのやり方は、もう通用しなくなったのかもしれない。既存の縦割り組織の改革ではなく、別立てで、行政機構のてこ入れをしようとしているのかもしれない。

 「選挙」の方だが、1ヶ月くらい前から、たいへんな、選挙運動で、代議士の奥さんが、委員長に立候補していて、わが家からも、その票集めの運動委員にかり出され、遠方まで出かけていった。投票率は、歩けない人と選挙権はあっても、出稼ぎなどで、選挙できない人を除くと、ほぼ100%。

 昨夜は、わが村から、開票要員として、19人が、「ウィエンケン郡」(遠方)まで出かけ、徹夜に近かったらしい。これも、「オー・ボー・トー」の仕事のひとつ。

久々のプール 2004年03月16日
 14日の選挙の後日談。
行政執行委員会の議長選挙では、28の県でタイ愛国党(政権党)から支援を受けた候補同士が一騎打ちを展開し、チェンライ県では落選した側(代議士の奥さん)を支援したタイ・ラック・タイ党の代議士が選挙違反があったと訴えたらしい。ただ、委員会の平委員は全員、落選した側の配下の候補者が当選したらしい。巷の噂では、上も下も、全員同じグループではよくないとのことだが、そりゃそうでしょう、「利権」の独占になってしまう。

 チェンライへ。
 「できもの」の手術とかでチェンライ病院に入院している「アクイ(叔母のだん)」のお見舞いをかねて。
 ITDでプリンターのインク補充。「黒」、「カラー」合わせて、250バーツほど。カートリッジごと買い換えると、なんと、8000円くらいする。写真用の用紙購入、A4版、1種類しかなく、仕方なく切断して使用することに。田舎では、写真なんて、プリントする人はいないらしい。
 「メコー」で買い物。「ソーダかつお」、今日のは、大きい。1.7kg。いつもは、1kg程度。油が乗っていて、おいしい刺身が出来た。タイの7分搗き米(?)購入。夕食に食べたが、なかなかいける。「シャケ」の切り身(尻尾の小さいところ、22バーツ)、たくさん塩をまぶして、明日(チェンマイ行き)のおにぎり用にする。

 蒸し暑く、ちょっと遅かったが(2時過ぎ)、プールへ出かける。今年初めて。
子供たちみんな、去年の続き程度には泳げた。雷が鳴り始め、雨模様になってきたので、早々に帰宅。帰路「パサーン」付近で、お湿り程度の雨。わが家のあたりには、全く降らず。

 ケイだけ、なんか知らないが、通常の格好で登校。8時過ぎには、帰宅。何でも、先生が生徒に、今日は休みだと伝えなかったらしい。いい加減。タイの学校には、「職員室」がないので、教師相互の連絡も悪く、重要なことを忘れる教師もいるらしい。「職員室」くらい、作るべきだと思う。

中学校遠足 2004年03月17日
 中学1,2年生、今日遠足。中型観光バス、3台に分乗して、チェンセン(あへん記念館)、メサイ(大洞窟)ほかへ。
なんで学年末もこんな時期に、遠足? 1ヶ月くらい前から予定されていたとはいえ、授業日数不足の対策か。
 タイには、たてまえ上は、見学旅行だけの遠足はない。遠足のことを「サーサナー・スクサ(宗教教育)」といい、日程にはお寺参りがかならず含まれる。今回も大洞窟前のお寺参りをする。

「イ・フォイ」の子猫 2004年03月18日
 2月中旬に「イ・フォイ」が、わが家へ来てから4回目の出産をしたことは、すでに書いたが、その後、しきりに子猫を探す様子で、乳房も乾いていて、子猫は全滅と思われたが、その後、乳房を子猫がしゃぶった様子があり、望みがつながれていた。今日、チャムトーンへ行ったところ、3匹の子猫を小屋の中の子育て用に作っておいたダンボールに連れ帰っていた。とてもうれしいことだ。3匹とも、赤とらの雌で、ころころと太っている。ちょうど1ヶ月くらいになり、目も開いて元気にじゃれあっている。小屋の中に連れてくれば、もう安心。後は、親から受け継いだ免疫が切れるころ、ワクチン注射をしてあげれば、例の「鼻炎」にもかからないで済むかも知れない。
 わが家に連れ帰った6匹の猫は、未だに、鼻水じゅくじゅく、咳、くしゃみ。もう3ヶ月になるのに、このまま治らないのかも知れない。

 ケイ、登校。遠足の総括テスト(アンケートみたいなものらしい)のため、あさ、1時間だけ、学校。ケサリンいわく、ケイの担任の先生はいったいナにやってるの。ケイが登校するため、今日のチェンマイ行きは、明日に延期。お蔭で運転手がいなくなり、自分で運転してゆくしかなさそう。それでも、今回は1泊する予定なので、いくらか楽かもしれない。

 近所の「テップ」を病院に送り届けるために、早朝5時過ぎに起こされる。自然に目覚めた5時なら、どうってことはないが、起こされて起きるのはちょっとつらい。「テップ」は最近流産したらしい。すごく太っているが、(明らかに肥満体、100kg近い)、太っている人は流産しやすいのかしら。そんなこと聞いたことがないけど。
流産の予後がよくないのか、早朝4時から、畑仕事の手伝いをしていて具合悪くなったらしい。出血が多量にあり、メチャンの病院へ。結局入院することに。たいしたことなければ良いが。さいわいなことに、「ハッチャイ」に出稼ぎに行っていた「テップ」の姉が、帰省してきており、もう、「ハッチャイ」には行かず、この近所で「古式マッサージ」の営業をすることになり、付き添いにつく事が出来た。

 午後、犬たちのシャンプー。この間、洗ったばかりなのに、ノミが一杯。

 プール。1回目よりはまし。

 宮川さん(甲府)から、詰め碁のCD送っていただく。有難いことだ。
でも、ちょっと悩ましい。最近は、囲碁など、じっくり考える心境にはないので。
要するに、「ボケ」が、始まっているのかも。「アルツハイマー」でなければ良いが。

 隣村の知り合いの女性のいえの新築祝い。ご主人は、「カモガワ タカユキ」さんといって、茨城県で農業をやっている人らしい。彼女の名前は「ワライ」さん。30代の女性で、姪の旦那の「タン」のいとこ。以前、仕送りが途絶えて、電話で催促したが、意味がわからなくて、捨てられたのではないかといって、泣きこんできた。一応相談には乗ってやったが、たいした力にもなれずそのままだったことがある。その後、仕送りが復活したものと思え、3年越しでやっと完成し新築祝いにこぎつけたようだ。カモガワさんは、めったにこちらには来ないらしい。2階にプールを作ったと自慢していた。
このあたりでは、珍しく何事にもはっきりした人らしく、要求や主張が多いらしい。そんなわけで、建築職人も随分入れ替わり立ち替わりで、やり直し工事も多かったようだ。彼女の、このあたりでの評判はすこぶる悪い。人によっては狂人(キチガイ)扱いである。うちのかみさんも、毛嫌いしていて、祝儀は代わりのものに持たせたけれども、新築祝いに顔は出さなかった。このあたりでは、男も女もあつかましくて、ずうずうしいのは、周りからお付き合いを敬遠される。奥ゆかしくない人は、まともには相手にされない。

チェンマイの暑い一日 2004年03月19日
早朝6時前に家を出て、チェンマイへ。
 � 領事館で年金の居住証明の現況届けい添付する「在留証明書」をもらうこと。
 � 「チェンマイ・ラム病院」で、狭心症の薬をもらうこと。
 � E−メールアカウントのあるプロバイダー(Ji−net)のプリペイド・カードを購入すること。(9月からの分と、来年の3月からの分)
 � 「チェンマイ動物園」に行き、子供たちに「パンダ」を見せてやること。
 � 子供たちに「国立チェンマイ博物館」で、ランナータイの歴史に触れてもらうこと。
 � ついでに、チェンマイまで行かないと、なかなか手に入らない品物を購入すること。
 以上が、今回の目的

 �について:去年はこちらであらかじめ用意して行った「在留証明書」の用紙だと、いったんバンコクの大使館に送って、公印をもらうので、1週間くらいかかるといわれ、窓口に用意されている、「メクラ判」を押してある用紙に、必要事項を書き込んで、30分足らずで、もらえた。そんなこともあって今年は、用紙を用意して行かなかったら、必要事項を書き込んだ後、係官(窓口のタイ人女性ではない奥の方で顔も見せない人)が一応チェックするのだと思うが、3時間ほどしてとりに来るように云われ、受け取ることが出来た。
 �について:去年の2回目のときは、診察もしないで、90日分の薬(HERBESSAR)をもらえたが、今年は、まず薬局の女性にひどく叱られ、医師の診察なしには、薬は出せないといわれた。それでは、診てもらいましょうというと、すぐに看護婦に連絡し、血圧測定。普段は、140前後だが、高いのには、十分理由があった。
 朝早くから、ずっと運転して来て、かなり疲れていたこと。さらにさらに、交通のおまわりさんに、2回も捕まり、罰金(賄賂罰金)を2回も支払わせられ、たいへんむかついていたこと。その上、動物園から戻ったばかりで。疲れていたこと。動物園には、またぞろ、つかまるのはごめんと、「ソンテオ(ピックアップ・バス)」を貸しきって行ったため、広い動物園の中を車で移動できず、暑い中歩き廻ったこと。
 しばらく待たされて、心臓専門の医師に診てもらう。この薬は、飲み始めたら欠かさず飲まなければ危ないとお説教される。そんなことは先刻承知の上だが、たびたびチェンマイまで出かけるのはたいへんなことと、薬価が輸入薬(日本の田辺製薬製)のため、べらぼうに高いこと、一日分、100円ほどすることなどのため、具合悪く感じないときは、飲まずに済ませてきた。さらに、2ヵ月後の予約までされる。

 つかまった理由ーその1:川を挟んだ出来かけの道路をかわの両側で、それぞれが一方通行だと思って(部分的には、まだ、交互通行だった)右折するために右側に出たところ、進入してくる車があり、よけるため停止線の前に出たら、運悪く、直進方向の向こう側で、お巡りさんが、取締りをしている最中で、おいでおいでをされて、規則違反で切符切るから、管轄の警察署へ行って罰金を支払い、免許証を受け取るようにとのこと。領事館へ約束の時間に行かなければ行けないからと、弁解すると、「現場罰金(賄賂)」を要求。400バーツ支払う。
 つかまった理由ーその2:そのすぐ後、10分もしないで、領事館の近くまで行ったところで、運悪く一斉検問に引っかかる。車検(納税期限)が切れているとのこと。云われて見れば、確かに去年の9月で切れている。うっかりにしては長すぎ。たびたび洗車などしていて、なぜ気がつかなかったのかと、かみさんにもなじられる。ごもっともな話。こちらも、前回と同じように弁解して、「現場罰金」、500バーツ。子供たちの前でいけないことを見せてしまったような気がしたが、みんな、お巡りさんの金をしまう動作の速かったことなど、切符切るふりのいんちき動作など、口々に面白おかしく話し、もしかすると、いい社会勉強だったのかもしれないと思ったりもした。
 実を言うと、そもそもの始まりは、領事館に行く道を間違えて、横道へ入ったりしたためで、もし、間違えなければ、2回の検問の場所は通らなくてよかったわけで、採られた900バーツのことが、少々悔しく思われた。最近では、日本の高速道路のような立派な道路標識が作られるようになり、主要道路には、親切な案内板が出ているのだが、チェンマイのハイウェイは全体がまだ未完成なのか、部分的には、案内不足だと思われる。チェンマイの街中に入っていると思われるのに、「こちらチェンマイ」なんてバカな案内が多すぎる。
 �について:チェンマイのパンダは、以前見た上野動物園のパンダより幸せそうだった。ガラス張りの冷房された、環境で飼育されているのは同じだが、場所が随分広々としていて、自然環境に近いように設計されている。見物の人たちも、ガラス張りの中の通路まで入れるようになっていて、手の届きそうなところまで、近づいてくることも。一度に見物できるのは、100人ほどで、しかも10分間で次に交代。ガードマンが2〜3人いて、パンダを刺激しないように見張っている。カメラもフラッシュは禁止。
中国からの借り賃は、年間で2500万バーツだそうだ。しかも、子供が生まれても、すべて中国のもので、期限は10年だそうだ。あちこちの遠足の子供たちや、遠くバンコクなどからの見物人も大勢押しかけて来ていた。われわれが行ったとき、ミスタイランドの最終選考に残った美女たちもやってきていて、夜のTVにも出ていた。

 宿泊先は、いつもの定宿、「シー・トウキョウ」。老舗(?)のホテルで、古いのでほかにしようといっても、かみさんは、ガンとして聞かない。チェンマイのお堀の北西の角のすぐ外側にあり、隣が「チェンマイ・ラム病院」、「カート・スアン・ケオ(デパート)」にも歩いていける便利な場所で、料金も手ごろなためかもしれないが、何より、慣れていて、気楽なのが理由のように思える。7人もで、2部屋にしようといったが、子供たちは、「ピー(お化け)」が怖いと嫌がり、結局、エキストラ・ベッドを二つ入れてもらい、一部屋で寝る。ばねの伸びきった臨時ベッドで背中が痛くなる。

チェンマイから戻る 2004年03月20日
 6時前に起き出し、「チャーン・プアック市場」へ朝食の買出だし。ケサリンとしたの子供二人は、部屋で留守番。子供たちは、外に出ると、育ち盛りとはいえ、ほんとによく食べる。いっぱい買ったので、帰りはソンテオ。
 朝食後、チェックアウトして、「ワーロック市場」へ。日本の野菜を探したが、やせたレンコンくらいしかなく、がっかり。
 「クァン・シン」交差点の近くの「CMコンピュータ・センター」で「Ji−net」のカード購入。その後、「博物館」へ。昔に比べると、展示方法も、内容も垢抜けて、北タイのことがよくわかるようになっていた。
 ケサリンのおじいさん(ポロン・アイ)の家そっくりの、すべてチーク材で出来た、北タイの昔の家の一部が再現されていたり、亡くなったお母さんが使っていたのと同じ機織道具などの民具なども展示されていて、感激していた。いずれも、小生といっしょになっ太時には消滅(?)していて、見たことはない。石器時代の遺物や瀬戸物類は、わが家から出土して保管しているものと同類のものがたくさんあった。
 本、3冊購入。「博物館案内」、「山岳民族(異文化民族の理解と鑑賞(?)のために)」、「マハチャート・サムヌアン・イサン(東北タイ・スタイルで書かれた布施太子本生経)ー仏教の布教書」

 その後、子供たちに約束した、「センタン・エアポート・センター」で買い物。
昼食後、帰路に。
 5時半に帰宅。いつものように犬猫、大いに喜ぶ。人間どもへの、土産だけでなく、犬猫にも土産あり。人間も、犬猫も、すべてにいきわたらなければ、すねるので、要注意だ。

 ああ疲れた。とにかく無事戻れてよかった。今日は土曜日で、お巡りさんは休み。
それにしても、チェンマイは暑いね。車は多いし、運転はみんな乱暴だし、道路が狭い分だけ、バンコクより始末が悪い。あんなところに住んでなくて、ほんとに幸せ。わが家は涼しくていいや。
 そういえば思い出した、「ワーロック市場」へ行くときに、堀の中に落っこちたピックアップを、大型レッカー車で引揚げようとしている脇を通り過ぎた。落ちた車は、屋根がわずかに見えるだけ、堀は深いんだ。乗っていた人は助かったのだろうか。野次馬でごった返していた。
 

ひと休み 2004年03月21日
 今日は、なんとなく疲れが残っていて、何かする気力がない。久しぶりに、4〜5キロ歩かされて、腰のまわりが痛い。
 このあたりいったいは、山焼きの煙が立ち込めて、時々、竹の葉か何かの大きな灰が降ってくる。早く雨になって、山が焼けなくして欲しい。空気もきれいになるし。

 今、夜の8時半(日本時間10時半)。
「トットー(大ヤモリ)」が啼いている。「トットー♪、トットー♪」。
バンコクなど中部タイでは、「トゥッケー」というらしい。ずっと昔、初めてここに来たころは、熱帯まで来ると、カッコーが夜啼くのか知らんなどと思っていたことがあった。「カッコーカッコー」と聞こえる。それがまた、かなり大きな声で。優雅なところだなと思ったが、とんでもない。右の写真のごとく、実に不気味な姿をした怪物で、大きなものでは、長さが30cm以上ある。よくよく見ると、色はなかなかきれいではあるが、夜になると、建物の外壁などを這い回り、明かりに集まってきた虫をとって食べる。東北タイでは、食用にするところもあるらしい。
 「トットー」は、湿度を感じるのか、雨降り前によく啼く。地元では、トットーの鳴き声を、「トクネー、トクネー(きっと降るよ)」[トク:降る、ネー:きっと]と聞き変えて、雨の前触れを予想するのだが、このところ「トットー」はうそばかりついていて、肩透かしを食わされることが多い。早く、一雨欲しいものだ。

「ムー・カタ」(豚鍋) 2004年03月22日
 19日に「車検切れ」でつかまった事は、すでに書いた。
今日、車検に。タイの車検も、以前に比べると随分まともになった。今では、車が増えたこともあり、車の点検は、「トー・ロー・オー」という民間車検業者が行い、点検済みの書類をこしらえてくれる。かなりいい加減な点検だが、今年からは、機材を使って排ガスのチェックもされるようになった。年々、日本なみになっていくのかも知れない。
 書類作成料も含めて400円ほど。この書類を持って、陸運局に行き、自動車税3000円弱を支払うと、即座に、車検済み証明のステッカーをもらえる。これを車のフロントガラスに張っておく。これで完了。お巡りさんに、現場罰金(賄賂)を取られなくてすむ。
 「任意保険」も切れているので、後日、近くの代理店へ行くことに。

 最近、タイでは「ムー・カタ」(豚鍋)料理が、広まっているらしい。「ムー・カタ」専門店もあちこちに出来ているようだ。まだ一度も経験したことがないので、催促したら、今日早速やってくれることになった。小生のいない間に一度だけやったことがあるとのことで、鍋(写真)は、2個用意されていた。本来は、七輪コンロで焼きながら食べる熱い料理なので、寒期のものだと思うが、まあいいか、我慢して食べれば。
 「ムー・カタ」というのは、焼肉と水炊きを一緒に作る料理で、日本の「しゃぶしゃぶ」や「すき焼き」と同じように作りながら食べる料理だ。お酒を飲みながらの小宴会の料理でもあるらしい。当然、昔からあった料理ではない、ごく最近広まった料理で、日本では見かけたことがないので、韓国か中国あたりから入ってきたものではないかと思われる。
 鍋の真ん中は、「ジンギスカン鍋」と全く同じだが、周りは、水炊きが出来るようになっている。真ん中で焼く肉は、少し脂身の多いものがいいらしい。たれた脂が、水炊きの「だし」になるわけ。焼肉は下ごしらえしないで、特製の辛いたれ(ムー・カタ・ソース)につけて食べる。水炊きには、白菜、パクブン(空芯菜)、春雨など。
 工夫次第では、いろいろおいしく食べられそうで、そのうち日本でも普及するかもしれない。

「終業式」? 2004年03月23日
 小中学校の「終業式」。
 成績表をもらってきた。父兄面談にケサリンが出かけたが、ケイは「赤点」がひとつあり、このままだと、中学卒業の時期に、小6の資格しかあげられないと、先生に脅されてきた。ついこの間、18日にちょっと出かけて済ましてきた、アンケートのような試験が、1点不足(49点)で赤点だった。未だに何かあると集中しない性格が出たみたい。欲がないといえばそれまでだが、そろそろ、その気にならないと。
 ノンカンは、総合評価が、1学期の2.17から2.36に上がった。満点は、4.0だ。上がったとはいえ、席次では、クラス9番から17番に落ちている。総合評価、3点以上にならないと、あまりいいところには進学できない。欲を言うと、3.5以上。メカムの学校には、ほとんどいないそうだが。
 キックの学校での作文を先生に読まされて、ケサリンは、涙が出たそうだ。両親の離婚のことを書いてあるらしい。「あたいは、お父さんもお母さんも愛しています。・・・・どうか仲直りしてください。」みたいなことが、せつせつと書いてあったらしい。親が無責任だと、こどもにかかる精神的ダメージは計り知れない。一生の傷にならなければいいが。

風邪気味 2004年03月24日
 全身だるく、鼻水が出て、少しだが頭痛もする。寝冷えしたかもしれない。宵の口気温が高いと、掛け布団蹴散らして寝ているらしい。明け方には、16,7度に下がる。
 午前中、洗車。午後からは、プール。学校が休みで遊び仲間がいないのか、向かいのベルがわが家に入りびたりで、仕方がないので一緒に連れて行く。タンの甥っ子で、今度2年生になる。途中、メチャンで海水パンツを買ってやる。150バーツ。男の子のせいか云うことを聞かない。親のしつけのせいかも。
 3時過ぎに帰宅し、少し寝る。こじらせなければいいが。

風邪(続き) 2004年03月25日
 いよいよ本格的に風邪引きになった。寝るか寝ないかの瀬戸際。
「バッファリン」は、あまり効かない。午後から、タイの風邪薬「ヌタコール」を服用、いくらかいい。症状が、猫の鼻炎に似ているので、感染したかもしれなくてちょっと心配。人には感染しないことになっているが、「人」でなくなったのかも知れない。
 かみさんも、おととい夜から、胃痛が激しいらしく、嫌いな「中外胃腸薬」を自分から進んで服用。効いたらしい。胃痛といえば、「ピロリ菌」を征伐して以来、すっかりご無沙汰。有難いことだ。胃痛で困っている人(多分軽い胃潰瘍)には、絶対お勧め。今では、健康保険も使えるらしい。胃カメラ飲むのがちょっとつらいけど、後のことを考えたら我慢できる。
 養魚池で、魚とり。かなり取れて、また刺身。みんなに任せて、家でごろごろ。mp3のダウンロード。日本の歌は、なかなかチャンスに恵まれなくて、手に入らないが、たまたま奇特な人にめぐり合って、数十曲手に入れることが出来た。「♪すずめの兄弟が電線で〜〜チュンチュン」なんて歌も手に入った。30年以上前に流行った歌?

メチャンの米や(鍛冶さん)、このところ、休んだりしていて、日本米、手に入らず。せっかく、ちらし寿司の具を作って用意してあるのに。冷蔵庫で眠っている。秋刀魚も塩にして冷蔵庫に入れてある。

 山の寺の坊さん「トゥ・サック」、5月ころ、スリランカに行くので手続きのため、チェンマイにあるタイの外務省の分所につれってってくれと、電話あったが、風邪でダメと断る。県内の坊さん20人くらいが団体で出かけるらしい。坊さんは金持ちだ。5泊6日の「研修旅行(?)」らしいが。

とうとう寝込んでしまいました 2004年03月28日
 軽度だが「肺」に来た。この数年、風邪を引くと必ず軽い肺炎症状になり完治するのに時間がかかっていたので、覚悟はしていたが、やはり今回も。本ものの病人になり
家族に迷惑かけてしまった。娘は、こんど中2になるが、気を遣って看病できるようになってきたと思うと、少々うれしくなった。陰でかみさんが指示しているのかもしれないが・・・。

 ほんとのところ、まだ寝ていた方がいいのかもしれないが、「事件」が二つも発生し、寝てるわけに行かなくなった。
 ひとつめの事件は、数日前から、チャムトーンの「メム(猫)」の姿が見えなかったが、今朝、右肩に銃創をうけ戻ってきた。娘から聞いたところでは、爺さんが、散弾が体に入っていると言ってるらしい。
 推測だが、家出した理由は、「フォイ」が子猫を連れてかえり、前々から信頼していない「メム」を追い出したらしい。ちょうどそのころ、何回か、近くで山焼きが行われ、それが怖くて、めし時になっても帰って来れなかったらしい。やっと昨日の夕方、空腹に耐えられず痩せてヨレヨレになって帰ってきたのもつかの間、また出かけたところ、昨夜、狩猟で山へはいった近くの村の「ヤツ」に撃たれたらしい。今朝は、餌は食べたらしいが、獣医に見せないと心配。獣医に連絡を取ったところ、日曜にもかかわらず、チェンライへ出かけていて夕方遅くならないと戻らないらしい。県内で「鳥インフルエンザ」禍が再燃したとのこと。手遅れなら、諦めるしかないが・・・。
「メム」、見つからないので、明日夕方に延期。獣医は県の役人で日中は勤務があるため、午後5時からでないと、クリニックはオープンしない。

 もうひとつの事件。こちらは、もっと厄介。
心配していたことが、起きた。爺さんが、「麻薬中毒」で、発狂寸前。金の無心をして、届けるのが遅かったためか、「死んでやる」とわめいているらしい。タウィが
話に行くと、親子喧嘩状態。このところ、少々被害妄想気味だったが、薬が切れたのか、箸にも棒にもかからない。「ナ・ナン(爺さんの実弟)」同伴で、家族中でチャムトーンへ出かける。証拠はないものの、明らかに禁断症状。去年、2月、牛を飼うのをやめてから、暮れころまで家出ごろごろしていて、「ティッフィ(風邪薬)」を常用して、ごまかしていた。暮れころから、竹でかごを作るようになり、引き合いもあって、たびたび竹を採りに山へも出かけるようになった。おそらくこの頃から、また薬に手を出したのでは。かごを売った代金が、一日あたりにしても、100バーツほど手に出来るようになった。この金のほとんどが薬代に。このほかにも、去年牛を売った代金として、月1000バーツ程度渡してきた。
 ところが最近、「かご」が一通り行き渡ってしまい、引き合いもなくなった。そんなわけで、薬資金にもこと欠くように。
 ほんとに困った親父さんだ。帰りしな「ナ・ナン」も、あんな奴死んでも誰も「タンブン(葬式で)」などする人はいない。山の中に捨てておけばいいと、あきれ返っていた。


 青木さんからのメール読む。風邪を心配してメールくださったが、彼らしい配慮があってとてもうれしかった。(風邪見舞いのことではない)手違いというか、うっかりミスで、今年、年賀メールを忘れていたのを、ずっと後になって気がつきグジュグジュして、メールも出せずにいた。よかった。風邪見舞いということで、連絡をくれた。
 初めて彼に会ったのは高校の入学式の日。同じクラスだった。(もうじき、50年になるんだ。)それ以来、彼に一年遅れて大学でも一緒になり、途切れ途切れではあったが、その後ずっとお付き合いしてもらっており、家族ともども日本滞在中は、すっかりお世話になってしまった。

「馬岩杯」争奪フットボール大会 2004年03月29日
 今日から、3日間、「パー・マー・カップ(馬岩杯)」争奪フットボール大会が、わが村の小学校の校庭で開催される。町内の若者たちのチーム、10チームほどが、毎年覇を競う大会である。女子の部もあり、わが村のチームは優勝候補。40度近くある炎天下で、ほんとにご苦労さま。
 数年前から始まったメカム町の「ワールド・カップ(?)」である。従来は、わが村の名「ノンギエン」を冠しての大会だったが、今年から、わが村の区長(プーヤイ・バーン)が町長(カムナン)に昇格したため、遠慮して村の名を廃して、わが村の奥にある灌漑用水堰の名に変更したらしい。メカム川にいくつかある堰の中でも、最上流に位置し、町内ばかりか、メカム川流域いったいの農業用水を取り入れる重要な堰である。
 この堰は「ファイ・パー・マー」というが、近くに馬の形をした岩がある山、「ドイ・パー・マー」にちなんで名づけられた。「マー」というのは「馬」のことで、中国語と同じ語源である。多分、中国語なのだろうと思う。遊牧民族ではないタイ族には、元は馬は飼育されてなかったようだ。700年ころ前、蒙古の騎馬隊の残していったものでは・・・。このあたりにも「元寇」は押し寄せてきた。

 仏間と仏壇の大掃除。普段は、爺さんの寝室を兼ねていて、なかなか掃除する暇がなく、主のいない間に大掃除。我が家には、日本の仏壇もある。信心深くないので、めったに拝まないけれど、かみさんたちは、たまには花を換えたり、お供えなどをしているようではあるが。仏壇にある仏像類は女性は触れないことになっていて、手伝わされる。仏教では、女性は不浄の者扱いされている。坊さんは、女性と口をきいただけで、「懺悔」しなければならない。坊さんは、「懺悔」しなくてすむ日はないんだろうなと思う。

 「メム」今日も現れず。手遅れにならなければいいが。

 「灌漑用水」の拡幅工事、予算が取れたらしく、今日から始まる。パワーショベル、3台で突貫工事。一雨ふた雨降れば、もとの木阿弥。工事をやることに意味があるのかも。効果が持続しなくても、かまわないのかも。土木設計上に問題があるのに。堰を作れば、必ず土砂がたまる。高水位時に土砂を下流へ流す設備が機能していないため、堰ごとに大量の土砂が川底に堆積し、天井川になりつつある。しまいにはどうなっちゃうのかしら。まともな土手なんてないのだから。

芝生刈り 2004年03月30日
 このところの暑さで芝が急成長。はさみと草刈機で刈る。

 はさみを研いだついでに、包丁類12本も研ぐ。

 「ア・クイ(親父の義弟)」、昨日、「喉頭癌(?)」でチェンマイの「スワン・ドーク病院」に入院。先だって、「チェンライ病院」に2〜3日入院しただけで、退院してきたのは、「チェンライ病院」ではどうしようもなく、チェンマイの病院へ転院手続きをしたためらしい。本人にばれないように家族が、気を使って回りにも伏せていたようだ。
 「ア・クイ」というのは、通称で本名ではない。「ア」というが、本当は「アー」と伸ばすのが正しく、自分の親、この場合は、父親から見て年下を意味する。「クイ」というのも、カタカナで書けば「クーイ」と伸ばすほうが正しい。これは、義理の関係を表す。要するに「血縁」関係でないことを意味する。「ア・クイ」は義父の妹のだんなである。小生の場合も、義父からは「クイ」と呼ばれ、ケサリンの兄弟たちからは、「クイ・ノリ」と呼ばれることが多い。子供たちは、ほとんど「オトウサン」で通しているが・・・。
 女性の場合は、「クイ」に相当するのは、「サパイ」、または略して「パイ」と呼ばれる。日本の「婿殿」、「嫁さん」に相当する。
 「婿殿」といっても、タイでは、結婚して男性が女性の苗字を名乗ることはない。「家系」を維持するなんて習慣はない。

夜9時過ぎ、わずかだが1月中旬以来の雨降る。

もうすぐ「ソンカーン(タイ新年)」 2004年03月31日
 昨夜の雨は、せいぜい2〜3mm。やっと木々の葉が現れた程度で今朝は、地面は乾いていた。予報では、この数日は、「雨」の可能性があるらしいので、期待したい。

「メム」やっとつかまり、チェンライの県の動物病院へ。
銃創は、予想以上に軽く、散弾は体内には、入っていなかった。顔面、花の頭から口元にかけて線状の傷があり、その先の右肩に銃創。顔をかすったため、方の傷は軽くてすんだようだ。血も止まって傷口は乾いているため、手術はしないで抗生剤の注射だけの治療。運がよかった。

 タイの新年は4月の中旬。この村にも、お土産をたずさえて帰省するものが目立ち始め、新年が間近に迫ってきた感じがする。バンコクなど遠方からの帰省は、直前だと交通手段がなくなってしまい、3月待つから4月はじめに帰ってくるものが多い。外国に出稼ぎに行っているものも、この時期に帰ってくることが多い。
 どこへ行っても、この時期は、日本の盆と正月を合わせたような混雑振りである。子供たちも、長期休暇で観光に出かけるものも多いため、その分よけいに混雑する。おそらく都会はガラすきになるのでは。

 「ソンカーン」は「水掛祭り」とも言われているが、今年からバンコクでは大通りでの水掛が禁止されたそうである。バケツの中の水に「氷」など異物を混ぜるようになり交通事故が頻繁に起きるためらしい。

 「堰」の改良工事か、メカム川の本流の水が完全に止まった。初めてのことである。

 さきほど、2分前位から、ゴロゴロ鳴り出した。だんだん近づいてきた。危険なのでパソコンを止めることに。



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