チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2004年04月 INDEX

2004/04/01 「停電」
2004/04/02 快晴
2004/04/03 高橋君(元の同僚)のお母さんの訃報
2004/04/04 買い物にメサイへ
2004/04/05 「灌漑用水池」で魚とり
2004/04/06 「チャクリー記念日」
2004/04/07 工事いろいろ
2004/04/08 工事のつづき
2004/04/09 「メカム川の祀り」と大風被害
2004/04/10 「ニシキヘビ」襲来
2004/04/11 パソコン・ダウン
2004/04/12 退院して無理やりランプーンへ
2004/04/13 「新築祝い」
2004/04/14 「家族の日」
2004/04/15 「死者」や年寄りが敬われる日
2004/04/16 喧嘩騒ぎ
2004/04/17 部落の鎮守様の「パパー」
2004/04/18 暑かった
2004/04/19 アンプー・トゥーンの親戚へ
2004/04/20 回線不具合
2004/04/21 「Windows」総入れ替え
2004/04/22 「WINDOWS」総入れ替え(続き)
2004/04/23 「預金残高証明書」
2004/04/24 昼から雷雨
2004/04/25 暑い
2004/04/26 カモシカの一種?
2004/04/27 滞在延長VISA申請
2004/04/28 「プッキー」成功
2004/04/29 また子犬が・・・
2004/04/30 「田舎の言葉」
2004年4月の日記

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「停電」 2004年04月01日
 昨日は、あれから(5時過ぎころ)、夕立がパラパラきはじめ、6時過ぎたころには本格的な雷雨となる。時々強風が吹き荒れ、積乱雲が上空を通過するたびに、「ヒョウ」が降り、わずかだが、野菜に穴が開いた。ベビーコーンはあちこちで、強風になぎ倒され、こちらのほうは大被害。
 6時半ころから停電。2時間ほど過ぎても、復旧しないため、電話で問い合わせたところ、あちこちで、強風のため電線が切れて、今夜中には復旧できないとのことで、ローソクの明かりで、太陽熱温水器の熱いお湯を冷まして、簡単に水浴して就寝。
 タイの田舎でも最近は、家電製品が普及し、長時間の停電があるとあちこちで苦情が出るようになった。特に、商店の「アイスクリーム」は売り物にならなくなるらしい。

 それにしても、停電中は、あたりがほんとに、静かになる。ここへ来たばかりのころは、毎晩、こんなに静かだったんだなあと、そのころが懐かしく思い出される。

 2日続きの雨で、木々の緑は完全に復活した、目にしみるような美しさだ。強風で枯れ葉が落ちてしまったことにもよる。これで地面もだいぶ潤ったに違いない。長く待たされた雨だから、少々の被害はしょうがないか。
 昨夜は、みんな早く寝たため、今朝は早くから、全員で庭掃除。落ち葉や枯れ枝を片付けるのに、2時間近くかかった。マンゴーは少し落果したが、小指の先ほどになったリンチーはほとんど落ちなかった。

 アンプー・パーンの葬式に行く。「アイ・マン」たちのおじさん(?)、享年67歳、肺癌だったらしい。この間、行ったばかりの「ウイ・ミー」のお兄さんの家の3軒となり。夕べは風は吹いたけど雨は降らなかったとのこと。今回は、「パサート」は、普通のものだった。やはり、「ウイ・ミー」のお兄さんのときは、伝統のしきたりにのっとり特別の葬式だったようだ。

快晴 2004年04月02日
 高気圧に覆われ、いい天気。
雨上がりで、空気も澄んでいて風も少しあり、日陰ではヒヤッとする感じ。

 家の前の川原でも、「メコー(パワーショベル)」で川底さらいで終日うるさい。

高橋君(元の同僚)のお母さんの訃報 2004年04月03日
 昨日、今日、相次いで以前の同僚、高橋君のお母さんの訃報を知らせてくれた、後輩たちがいる。ありがたいことだ。ご冥福を祈るとともに、長かった闘病、介護生活をしてこられたご家族の皆さんには、心からお悔やみとともにご苦労様でしたと申し上げたい。故人には、やり残したことや思い残すことが数々おありだったこととは思いますが
残された皆様が、代わりになってがんばられることと思いますので・・・。角ちゃん、元気出せよな!

 「トゥサック」をチェンライ、ワット・パケオへ。
5月の訪スリランカの打ち合わせ。帰りに旅行かばんをもらってきたみたい。

 台所の大掃除。屋根の雨漏り修理。
 

買い物にメサイへ 2004年04月04日
 新年の準備のための買い物にメサイへ行く。
中国製品はじめ、物によっては市価の半値くらいのものも多い。
ソケットに差し込むだけのミニ蛍光灯、24W 4個 100バーツ。大手スーパーなどの4分の一。GEの商標付だが、本物だろうか。
メサイで時間つぶしに散髪。洗髪はないけど顔そりまであって、40バーツ。安い。

 昼過ぎ、チャムトーンの電気の件で井上さん来宅。費用のほかにも、結構面倒な手続きが必要かもしれない。

 プール。水のきれいなナンレーのプールへ。混んでいた。
キック、プッキー少しずつだが上達。特にキックは、息継ぎも良くなり、20mくらいは大丈夫。プッキーはまだ、息継ぎ3〜4回が限度。10m未満。
向かいの男の子(ベル、1年生)も一緒だったが、言うことを聞かないので、上達は難しい。甘えん坊で泣き虫でわがまま。あまりしかられた経験がないのかも。でも、これが、このあたりの普通の子育てかもしれない。大きくなってからのことが思いやられる。

「灌漑用水池」で魚とり 2004年04月05日
 昨夜は8時過ぎから雷雨。今日も夕方5時半ころから、ヒョウ混じりの雷雨。ずっと降らなかった割には、このところよく降る。雨上がりの空はとてもさわやか。

 隣村の山間にある灌漑用水池(ノン・ティン)で入漁料を徴収して、さかなを取らせる。投網、40バーツ。四手網(チャム)、20バーツ。1kgほど捕れば、元が取れる。300人くらいは、池に入っていたようだ。多い人は、10kg以上とった人も。我が家でも、10kg近くは。大きい鯉は、3.5kgあった。去年は水が豊富で残り水が多く、あまり取れなかったらしい。そのせいで去年の魚がたくさん残っていて、今年は豊漁のようだ。
 われわれの子供のころ、各部落に一ヵ所くらいづつ灌漑用のため池があり、秋の取入れがすんだころ、やはり入漁料を払って魚とりをしたことを思い出す。その後これらのため池は、大井川用水など新式の灌漑設備ができたため、ほとんど埋め立てられ、グランドになったり、工場の敷地になってしまったらしい。日本の田舎では、もう見られない光景かもしれない。

 プール。クロール、バタフライ、ブレストの3種目とも上手な女の子が、3人来ていた。よく見て真似するように言う。年齢は、我が家の連中とほとんど変わらないように見受けたが、それぞれ、からだつきも水泳選手の体形になっていて、ねんきが入っているように思えた。同じくらいに上達するのには、まだ、4〜5年はかかるのかも。可能性のあるのは、キックとプッキーだけかも。

「チャクリー記念日」 2004年04月06日
 4月6日は、現王朝初代の「チャクリー将軍」の生誕記念日である。
甥の「チャクリー(通称チャッキー)」はこの日生まれで、将軍の名前をもらって名づけられた。名前負けである。次姉ブオパンの次男で、三人兄弟の真ん中。それぞれ父親が違うという複雑な家庭の事情もあって、小学校時代はずっと我が家で面倒を見てきた。中学を卒業するころから、グレ始め、一年ほどまえに、覚せい剤で3ヶ月懲役に服した。保釈金さえ払えば釈放されたのだが、義父のときのこともあり、癖になるので満期まで「おつとめ」させた。刑務所を出てきてからも、職が定まらず、兵役を勧めた。すでに長じてからは、小生以外の人のいうことはきかなくなっていたが、快くその気になってくれた。満21歳になった今日、入隊祝いの宴会を開いた。

 タイの徴兵制度は、ふつうは、抽選によって入隊者が決まる。兵の定員から、10人に一人程度がくじに当たり、入隊する。最近は待遇もよくなり志願者も増えたらしい。志願者が多い地域では、抽選も行わないで定員に達するところもあるらしい。月給が3000バーツほど、休みも多い。また、兵役中に高卒資格なども取れるらしい。世の中平和な時勢では、演習中の事故にでもあわなければ、死ぬようなことはまずない。イラクに行ったり、国境紛争などで前線に出るのは、体躯も頑丈で勇敢な兵に限られ、チャッキーのような大人しめの男が駆り出されることはまずありえない。
 義弟の時は、たまたま抽選に当たってしまい、家族みんなが、戦場に送り出すかのごとく「悲しんだ」が、「いい勉強になるから行って来い」と元気付けた記憶がある。彼らのころは、ほとんどの子供が小学校だけで学業を修了していて、2年間の兵役生活は、その後の社会生活にずいぶん役に立ち、恥ずかしくない一人前の社会人に成長して帰ってきた。タイの若者は、集団社会生活が苦手なものが多いが、兵役を終えた男は、それとすぐにわかるほどに、常識をわきまえた人間に生まれ変わる。タイの学校教育には何か足りないものがあるのでは。

 今日も夕方5時過ぎと、7時ころ雷雨。5時過ぎの雨は、短時間だったがすさまじかった。やはり「ヒョウ」混じりで、あっという間に、側溝はあふれ、道路まで冠水した。いわゆる「バケツをひっくり返した」ような降り方。熱帯らしい雨である。
 これで2〜3日中に、高価なキノコ「ヘット・ハー」も出てくることかと思う。1kg100バーツで売れる。多いときには、一日で数十キロになることも。今年は、義父がチャムトーンに寝泊りしていることと、周囲にバリケードを張ったので、不眠番は必要なさそう。

工事いろいろ 2004年04月07日
 新年をまえにいろいろと工事などする。

� 側溝の泥さらい。
  裏の畑に出るための裏門の坂道あたりが、泥で埋まっていた。

� 汚水槽への雨水の流入防止策。雨どいの延長など。
  昨年工事した、簡易浄化槽に雨水が流れ込んで、時期に満杯になる。工事ミス。

� 屋外の釜戸場の屋根工事。
  炭火コンロや薪を調理に使うので、屋外で炊事することが多いが雨が降ると
  家の中でやるしかなくて、4坪くらいの屋根を作る。
  大小あわせて、4ヵ所目の台所。もうこれで終わりだろうね。

� 庭の中の電話専用の柱が、前々から折れて傾いていて危険なので、取り替える。
  以前、ユーカリの大木を切り倒したときに、電話線にかかり、折れたらしい。
  コンクリ製の7m物で1500バーツ。(設置工事はサービス)
  ずいぶん値上がりした。5〜6年前は、1000バーツだった。

 今日は「徴兵検査」の日。

 我が村からは、2人が志願し、一人は「赤札」を引いてしまったらしい。軍に5000バーツほど寄付をすれば、くじ引きを免れることはできるのに。結局、今年は、この村から3人が入隊することになった。
 「チャッキー」は、空軍を志願したそうだ。いかにもいい格好しいの彼らしい。
 5月にチェンマイの空軍駐屯基地に入隊予定。落下傘事故にでも遭わなければいいが。チェンマイだと遠いので、慰問にはたびたびは行かれない。それもいいか。

 初物の「ヘット・ハー(キノコ)」を食べる。長野地方の「ジコボウ」と同じ仲間のキノコで、「イグチ」の一種。調理すると少しぬめりがある。このキノコを称して、北タイに「マツタケ」が取れるといっていた人がいたが、まったく別物。香りはあまりない。プリプリした食感と味を食べるもの。
 初物はやはりなかなかいける。日本風に「煮込みうどん」などにすると、もっとおいしいかも知れない。
 一昨年、採れたものは、2kg近くあった(右の写真)。でも、こんなに大きくなったものは食用にはならない。

今日も、夜、雷雨。8時過ぎと10時過ぎの2回。雨量は少なし。

工事のつづき 2004年04月08日
 いま夕方の5時を少し回ったところ、突然、「雷鳴」。空は昼過ぎから曇り勝ちだったとはいうものの、大音響で「ゴロゴロ」にはびっくり。まもなくパソコンを止めなければならない。

 昨日の工事の続き。すべて完了。これで雨風心配しなくてよさそう。

 チャムトーンの魚たちに、久しぶりの飼育用えさを与える。
ピラニア、5〜6匹は健在であることが判明。ほとん乾期前と大きさが変わってない。もしかすると「冬眠」していたのかも。

「メカム川の祀り」と大風被害 2004年04月09日
 例年のごとく、「ファイ・パー・マー(パー・マー堰)」で、メカム川の祀り(スープ・チャター・メー・ナム・カム)が行われた。1000人近くの人が参加。年々、盛大になる。詳しくは、別のところに記す予定。(写真・上)
 昨夜、徹夜で、今日は一日中、頭がボーッとしている。時々、徹夜すると体中の余分な脂肪が取れて、体重も1〜2kg減り、具合がいいのだが、翌日だけはちょっとつらい。時差ボケの時に似ている。

 昨夜遅くと明け方4時ころから降雨。日中も曇り勝ち。
「キノコ」が出始めた。しめしめ。

 午後4時半過ぎ、大量の「ヒョウ」まじりの雷雨。今年一番の旋風。
我が家の被害。15年生ほどの「ラムヤイ(シー・チョンプー)」の大木、根元からねじ切られる。(写真・下)
今年は「なり年」で、すでにもう小さな実をたくさんつけていてほしいことをした。
動物だったら、即死状態なのに、植物はいい。。ほとんど根こそぎになった木でも、来年には根元から「ヒコバエ」が生えてきて、数年後には、また実をつけるようになる。
「タコブ」の古木、倒壊。余波で小鳥用の鳥舎、半壊。「マヨム」の木、途中から折れる。サボテン、1本倒壊。テレビのアンテナ(おととい設置したもの)台所の屋根に倒れ、折れる。ついでにスレート屋根に穴。一部収穫前の野菜、「ヒョウ」で全滅。(7〜8000バーツか)
 とにかく短時間だったが、ビー球大の「ヒョウ」が激しく降り、大風は渦を巻くような風。瞬間最大風速は30m以上かも。今回は、いつもと違って、北から吹いてきたため風除けになるものも少なく、庭の被害は大きかった。普通は、南西方面から吹くことが多いので、南側には、竹やぶなど緩衝になるものを植えてあるが、北から吹かれると、ひとたまりもない。同じ部落の中で、トタン屋根を吹き飛ばされた家もある。
 それにしても、手回しがいい。5時過ぎたころには、広報用の拡声器から、被害届けを出すようにとの放送があった。

「ニシキヘビ」襲来 2004年04月10日
 
 家族総出で、昨日の旋風で倒れたり、折れたりした木の後片付けをしているとき、庭に放し飼いしている鶏が納屋のあたりで、けたたましい鳴き声をたて、何匹もの犬がいっせいに駆け寄っていったので、何事かと見ると、「ニシキヘビ」がまさに親鳥を絞め殺して呑み込む込もうとしているところ。

 写真をとった後、取り押さえようとしたが、獲物を捨てて土管の中へ逃げ込んでしまった。写真・上のように、興奮しているときは、黄色っぽい色をしていて、毒蛇のようでちょっと不気味。女子供は、テレビの見すぎで必要以上に怖がる。

 最近、納屋付近で「ねずみ」の姿が見えないので、変だなとは思っていたが、蛇が住み着いていたかららしい。逃げ込んだ土管は、長さが10m近くあり、捕まえるのは大変。ホースで水を流し込んだり、長い竹ざおで脅したりして、出てきたところをやっと捕まえる。
 1時間ほどの大捕り物。捕まえられると「ニシキヘビ」は、いたっておとなしく、首に巻いても平気。太いところで、大人の腕ほど、長さは2m弱。ヒヤッとして気持ちいい。我が家だとみんなに嫌われるから、飼うわけにも行かず、山のお寺の先へ行って放してやる。元気で暮らせよ。

 (昨日の続報)
 10キロほど離れた村では、ゴルフボール大のヒョウが降り、10軒ほどの家で屋根のスレート瓦が粉々になり、一時しのぎに、ブルーシートをかけて夜露をしのいだとか。
 ヒョウや洪水などで被害にあったときのための農民保険があるらしい。年間100バーツの保険料だとか。ずいぶん安いけど、保障の方はどうなっているのかな。屋根なんか壊れたときは?

 チャムトーンへの途中、あちこちにある「いなむら」も上部が吹き飛ばされているものがあちこちに見られる。池の周りの「ユーカリ」の大木が1本、途中から折れて、バリケードの柵が壊れた。ユーカリは強風には弱いようだ。なよなよと背が高く、平気なように見えていて、風には強そうに見えるが。枝が折れたものも数本あった。

 今日は、どこへ行っても、昨日の強風の話で持ちきり。

パソコン・ダウン 2004年04月11日
 昨夜、夜7時過ぎ、激しい雷雨。近くに落雷。
パソコン、カーソル消え、ダウンロード中の画面停止。
電源スウィッチを切って落とす。
雷が静まってから、立ち上げなおしたが、回線接続不可。モデムの故障かと別のパソコンにつなぎなおして試してみたが、結果は同じ。

 MP3(音楽)のダウンロード中で、一曲、15〜20分くらいかかるところ、あと1〜2分で終了する予定で、近くで雷が鳴っていて危険とは思ったが、ついついひき延ばしてしまい、上記の結果。初めてではないので、うっかりミスとしか言いようがないが、今回は、電源コンセントが入っていただけの娘のパソコンもモデムがやられたよう。代替機の役割を果たしてくれなかった。

 (今日は、16日で、新年休暇中で、パソコン・ショップもみんな休みで、やっと今日、交換用のモデムを手にすることができた。)

 11日

 ケイ、朝から具合悪く、熱38度前後。
メカムの診療所で見てもらう。注射一本。
クリニックの医者(?)の話では、風邪だという。
昨日、「水掛け」でびしょぬれになり、その後、冷水で水浴びしたらしい。もってのほか。肝機能が劣るため心配。

 ノンギエンの婦人会のパーパー。集まったお金は婦人会で使うらしい。調理器具などか。

 朝のうち曇っていたが、昼からはカンカン照り。暑い。
今日の水掛なら風邪ひかない。

 ケイ、夜になっても、熱は下がらず、朝よりつらそうになってきたので、夜10時過ぎ、チェンライの「シーブリン病院」へ。
 食中毒の診断。昨日、「水掛け」しながら食べた「スイカ」が原因かも。昨日夕方から、ほとんど何も食べてなく、大分衰弱していたので、入院して点滴。少し食べると、吐いてしまい、飲み薬も直に吐いてしまっていた。肝炎の再発を心配していたが、医者の話だと、そちらのほうは大丈夫らしい。


 
 

退院して無理やりランプーンへ 2004年04月12日
 ケイ、熱も下がって、大分よくなり退院。医療費しめて3000バーツ弱。やっぱり、評判にたがわず高い。しかし診立てはチェンライで一番。CTスキャンがあるのはここだけらしい。

 大分具合はいいとは言え、片道5〜6時間の強行スケジュールで、本当は家でじっと養生していなければならないところ、本人の強い希望もあって、無理をして、ランプーンへ出かけることに。 ケサリンのいとこの新築祝い。われわれ、3人と「ジン」を除いて、先行部隊が20人ほど、朝のうちに出発していた。

 できるだけ時間稼ぎで、シャワー浴びたりして、午後2時ころに家を出る。ランプーンへ着いたのは、夜8時過ぎ。途中から暗くなってしまい、道がわからず、携帯電話で聞きながら、やっと到着。
10年以上前に行ったきりで、あたりの風景も変わってしまい、夜目だとぜんぜん記憶が当てにならなかった。
 子供らと小生だけ「ナー・ナーン」のお宅に分宿。朝が早いので、よく眠れるようにとのことで、500mほど離れたお宅まで車で送ってもらう。還俗した人は「ナーン」と呼ばれ、通称では呼ばれない。「ナ・ナン」(施主)の次兄に当たる。紛らわしい呼び方だね。

 暑くて眠れない。とにかく暑い。よその国へきたようだ。夜の11時過ぎてるのに、30度以上はありそう。ランプーンは、ずっと降ってないそうだ。ラムヤイの木もぜんぜん元気がない。葉は垂れ下がっている。ランプーンでは、今年は野菜の価格も、ずいぶん値上がりしているらしい。

 車、エアコンかけた状態だと、信号で止まった後などに、たびたび、エンスト。力(ちから)不足?
おととい満タンにした、「PTT]のガソリンが不良品のよう。新年用に水か何か増量して販売しているのではと疑いたくなる。途中、「メカチャン」の「SHELL]で半分減ったところで満タンに、「SHELL]を混ぜたせいで、かなりよくなった。このとき、水抜き剤も1缶投入。
メカチャンからは、1回エンストしただけ。

「新築祝い」 2004年04月13日
 9時過ぎから、両親の供養をかねた「新築祝い」。

 急に、「ペンチャオパープ」(儀式の主催者)に指名されてどぎまぎ。
少しはお経も読めるとはいえ、ほんとにあわてた。
お経が始まったころ「鼻血」が出る。血圧が上がったのかもしれない。急に言わないでもらいたい。心の準備が必要なんだから。

 とにもかくにも、11時過ぎに儀式は大過なく終了。

 新築した家は、ずっと以前に亡くなった義母の長兄の家で、日本風に言えば、本家に当たる。5年前に、「メロン(大叔母の意。義母の義姉)」が亡くなるまで住んでいた。ほかに、同じ屋敷の中に、二人の子供が家を立てて住んでいたが、実質的には空き家になっていた。今度、新築したのは、6人兄弟の末の娘「ナ・ナン」で、普段は、バンコクに住み込みで働いている。娘といっても、戸籍上だけ(?)のことで、本人は「男」のつもりをしている。「奥さん(?)」と一緒に、さる大手の企業の社長さん宅の賄いをしている。家は小さいけど、二人してこつこつためた金で建てたのだから、ほんとにりっぱなことだと感心する。日本円にしても200万円位はかかったことと想像する。タイ人の給料はとても安い。日本と単純には比べられないが、日本で1000万円くらいの家を建てたのと同じことかと思う。
 タイ人の「同姓愛者」については、いつか別のところで詳しく記すつもり。
 
 新築祝いの宴会は夕方、4時ころから始まる予定になっていたが、ケイの具合がよくないので、12時過ぎに失礼させてもらい帰路に着く。

 途中、「モデム」購入のためなどで、チェンマイの街中へ。あいにく、すべてのパソコンショップが新年休暇で閉店。
 お堀の北側の道路で、水掛けの雑踏に巻き込まれ、抜けるのに2時間近くかかった。すさまじい人出だ。数万人はいたのではないかと思う。このあたりが、「水掛け祭り」の特設会場になっていたようだ。ところどころのビルの前の駐車場などに特設ステージが設けられいて、轟音のBGMを聞きながら水を掛け合っている。路上の車の大半も、水掛祭りのためにやってきた車で、ほとんど動かない。ピックアップの荷台に、水を入れた大きなドラム缶みたいなポリタンクを載せて、路上の人や、相手の車に水掛けしている。みんなびしょぬれだが、携帯電話だけは、しっかりビニール袋にしまいこんでいる。雷が鳴り始め、雨がパラパラ降ってきたが、地上の騒ぎにびっくりしたのか、直に雨雲はどこかへ立ち去ってしまった。地上の暑さはすごい。
 1キロほどのところを抜け出るのに2時間かかった。ほとんど若い人たち。

 やっと抜け出て、ハイウェイ沿いの「チェンマイ・メコー」で頼まれた買い物。
「ドイ・サケット」への道筋で給油(「SHELL」)
「メースアイ」の山の中の、いつものところで、夜食。7時回っていたかも。家に着いたのは、9時少し前。

 家に着くと、ケイの具合いくらかいいみたい。少なくても今日は、病院に行かなくてもすみそう。

夜10時過ぎに、少しだが、また雨降る。

後発隊の帰宅は、夜中の12時少し前だったようだ。

「小学校のパパー」があったらしい。留守にしていたので、我が家からは、出席できず。

「家族の日」 2004年04月14日
(新年の行事)

「お菓子(粽)を作る日」
 家族総出で、バナナの葉包んだ甘い餡入りのチマキを作る。
 明日の「施餓鬼」にお寺へ持っていく。

「砂をお寺に収める日」
 かわらの砂を、お寺に持ち込んで砂山を造る。ローソク、線香などで飾る。
テレビで見ていると、バンコクなどでは、砂で小さな仏塔を作るようだ。どんな意味があるのかわからないが、仏教の行事なのだろう。

「家族の日」
普段はなれて生活している家族が親の元に集まり、家族の再確認をする日。
最近設定された「特別の日」の用である。
タイも時代の急激な変化で、家族制度が崩壊の危機に瀕しているのを、何とかしようとはじめられたようだ。
 この数十年の間に大きな変化が2回訪れている。
 1回目は「文字を読み書きできない」世代と、文字を使えるようになった世代のギャップ。チェンライあたりの田舎では、2〜30年前。
 2回目は、この数年、急激な経済成長と高学歴化による世代ギャップ。中卒は当たり前になり、高卒でないと「会社」に就職できないようだ。
 タイの社会というのは、高齢者が「敬意」は表されるものの、社会経験の豊かな者がリードして行く社会ではなく、実力社会である。数十年前までの田舎では、高齢者は常に「経験」に基づくさまざまな知識をもち、「実力者」であった。それが、最近の社会の急激な変化で、その知識や経験は、「祭りごと」くらいでしか役に立たなくなり、その「祭りごと」さえも、形骸化され「娯楽」の一部に成り下がり、重要性が薄れてきてしまった。必然的に「年寄り」は置いてかれざるを得ない。
 この2〜30年の間に、多くの「さびしい人」たちをこしらえてしまった。時代が急激に変わることは、ほんとに不幸なことだと思う。

今日は、久しぶりに、雨なし。
午後からフエカイへ買い物。どこへ行っても水掛が激しい。

 「ヘット・ハー」 16kg。1280バーツになる。
日照りが続かない限り、これから毎日、10kg以上は取れそう。

「死者」や年寄りが敬われる日 2004年04月15日
(新年の行事)

「施餓鬼」
 先祖供養のためにお寺参りする日。
朝、早くご馳走や日用品(!)を、もってお寺へ行き、坊さんに先祖供養をしてもらう。我が家では、「ポロン・アイ(おじいさん)」、義母、義妹が対象。おばあさんはどうしちゃったのかな。適当でいいらしい。結構なことだ。所詮、先祖より、現世の人間の都合なんだから。

「ダム・フアの日」
 日ごろ世話になっている人や血縁者の高齢者の男性を訪ねて、感謝する日。
贈り物や、金一封を持って訪ね、おまじないのお経を上げてもらい、頭から聖水(ソムポイの水)をかけてもらう。
 我が家では、義父がチャムトーンに寝泊りしているので、大勢の義父の甥、姪やその子供たちが、入れ替わり立ち代り訪ねてきてにぎやか。100人近くか。みんなまだ若造や子供だったのに、すっかりおじさんやおばさんになってしまって、自分も同様に年とったんだなあと複雑な気持ち。
 爺さんは、うれしそうだった。こんなときだけしか、もう「慕われている」という実感はわかないのでは。

「オーン」、「ポーン」も来る。今年は、二人とも、去年よりいい顔している。いくらか幸せが向上したのかも。それに引き換え、姉の「ピンカム」は、雲隠れ。といっても、今いるところは、バンコクで、連絡もあるようだが、亭主が妾を作り、「DV」も絡んで、当分居場所を明らかにできないらしい。だんなの母親には気に入られていて、ずっと、店の切り盛りをしたりしてきたのに、昨年義父がなくなってから、亭主がおかしくなったらしい。家族の中でも母親が亡くなって以来、母親代わりで苦労してきたのだから、本当は一番幸せになっていいはずなのに。

 日曜日くらいまでは、あちこちで「水掛け」など行われ、「新年」の余韻が続くが「新年の行事」は一応今日でおしまい。
今年もせわしく、にぎやかだった。


喧嘩騒ぎ 2004年04月16日
チェンライへ犬猫の餌、モデムなど買いに。
「サンマ」、「Tボーン・ステーキ」も。久しぶりに牛肉が食べたくなった。暑さ対策にもなるかも。

 昨日、若者の「喧嘩騒ぎ」で、一人瀕死の重症になる。
毎度のことながら、祭りがあると、部落対抗で若者の喧嘩騒ぎが起きる。素手の喧嘩から始まって、武器はいくらでもエスカレートする。銃剣類が持ち出されることもたびたび。たいてい、アルコールが入っていて、大人たちも手がつけられない。仲間を呼んできての喧嘩にまでなると、双方合わせて数十人にもなり、さながら「戦争」である。中には勇敢(?)なものもいて、本気で斬ったり撃ったりするからたまらない。死者が出ることも珍しいことではない。部落対抗みたいな喧嘩騒ぎは、われわれも子供のころ経験したことがあるので、懐かしいものを感じはするが、若気の至りというにはちょっとばかり度が過ぎているかも。

 つい今しがた、わが部落の連中が「喧嘩騒ぎ」。警察が介入。一人やられたらしい。怪我のほどはわからないが、意識不明の重症という説も。「鍬」でやられたとか。
チャッキーも絡んでいるらしく、いやいやながら親の命令で我が家に緊急避難。
たいてい動機はいたって詰まらんこと。今回は、どちらかのグループの若者が、「冷やかし」をしたのが始まりらしい。ごく普通の若者が、祭りなどになると、アルコールも入って、気分が「ハイ」になり、過激になるらしい。

部落の鎮守様の「パパー」 2004年04月17日
 パヤーンの部落の鎮守さまの「パパー」
新年前後して、帰省している都会暮らしの財布を当てにしてか、ひっきりなしに「パパー」が開催されている。「パパー」というのは、要するに寄付集めの行為で、集まる予定の半分くらいは、お祭り騒ぎでをして、飲み食いに使ってしまう。今回は、部落のはずれにある、鎮守さまの社(やしろ)のまわりに、塀を作るための募金集めだそうだ。 もてなし料理用に、10kgあまりの、我が家の池の魚を提供した。

 昨日から、お寺のお供えの「ご飯(カオ・ニオウ)」を魚の餌にする。みんな生活が豊かになって、あまりものが多い。カソップ(大きな袋)2杯分あり、10日くらいは大丈夫。カビが生えたり、アルコール発酵したりするが、魚は大丈夫。

 夜7時ころから雷雨。2時間停電。

 交換したモデムは、なんとなくスピードが遅いが、しばらくは使ってみることにする。モデムが原因かどうかも定かでないし。

暑かった 2004年04月18日
 明日、アンプー・トゥーンの叔父のところへ行くので、2日分の、猫用の魚購入。
新年の余波か、フエカイの市場に魚がなくて、ドイトゥンのふもとの、フエ・ナン・クム市場で購入。
 バンケット窓の金具壊れたので、交換用を買うつもりだったが、店は、まだ新年休みなのか閉まっていた。

 今日も暑かった。14,15と南から熱風(?)が吹いてきて、2日続けて寝苦しかったが、それ以来、日中の暑さも激しくなったようだ。35℃近かったかも知れない。ケサリンなど、すっかりグロッキー。でも、例年この時期はこんなものだろうと思う。

 真っ赤な夕焼け雲が、コバルトブルーの青空と好対照できれいだった。
今日は今のところ、雷はなってない。

 チャッキーに芝草刈り頼む。
 ミニ畑の草取りをして、さといもとこんにゃく植える。
たくさん植えてある畑は、豪雨があれば冠水の恐れがあるので、いざというとき種芋がなくならないように、わずかばかりだが、避難用に植えた。

アンプー・トゥーンの親戚へ 2004年04月19日
 我が家から、チェンライの町を抜けて南東方向、約100キロほどのところにある、トゥーン郡の叔父さん(義母の次兄)のところへ、「ダム・フア」に行く。
 もともと雨が少ないところだが、昨日降ったとかで暑さもこらえ切れないほどではなかった。でも、やはりこの乾期は極端に雨がなくて、水がめを購入したそうだ。3トン近く入るコンクリート製の水がめ。700バーツだそうだ。安い。
 中をのぞいたら、水は少しにごっていた。買った水を入れてあるそうだが、あまりきれいではなかった。
 叔父は、体調がよくなさそうだった。本人の話でも、医者通いをしているとのこと。
ひ孫の家族も、「ダム・フア」に来ていた。
 孫は「ラーン」、ひ孫は「レーン」、玄孫は「ローン」というそうだ。まだ、70歳半ばで、ひ孫がいるわけで、女の子なのであと20年も長生きしなくても、「ローン」を目にすることができるかもしれない。30歳代でお孫さんのいる女性だっている。なんか変な感じ。

 車のタイヤがおかしいので、途中で見てもらったら、バースト寸前。ラッキーとしか言いようがない。前輪タイヤ交換。中古のブリジストン、2本で4000円ほど。確か去年、チェンマイに行ったとき新品のタイヤに交換したばかり。磨耗も激しいので、大分たなざらしになっていたものを買わされたのかも知れない。乗用車のタイヤは、ピックアップのタイヤのようには売れないらしいから、古くなったものをつかまされる可能性があるので注意。チェンマイなど遠くの土地で買うのは問題。

 帰りに「チェンライ浜辺」と呼ばれている、コック川の川岸で子供たち水浴び。海水浴場の小屋のような店が、100軒くらいあって、にぎわっていた。

 ITDプラザによって、モデムを交換してみたが、改善されない。「WINDOWS」入れなおさないとだめかな。それとも、プロバイダーが姑息なことをしているのかも。

回線不具合 2004年04月20日
 インターネト回線、まったくつながらなくなった。
(これは21日に記入)

「Windows」総入れ替え 2004年04月21日
 先だっての、「雷障害」以来、おかしくなっていたが、おととい夜から、インターネット回線の不具合がひどく、昨日は、まったくつながらなくなってしまった。モデムを変えたり、電話回線を新しくしたりしたがだめで、とうとう「Windows」の再インストールをした。今のところ、不具合もないようでだ。
 ただ、今までにインストールしたプログラムがかなりたくさんあって、もとに戻るのに、だいぶ時間がかかりそう。(前回の、昨年2月ころ、の例だと、1ヶ月くらいかかった)

 今日、「カムナン」の「ダム・フア」。カムナン一家は、このごろとみに評判が悪く、我が家からは、意識的に出席せず。幼女に出した「イ・ドー(雌のシェパード)」がかわいそう。

 プール。今日は、上の二人だけ。

「WINDOWS」総入れ替え(続き) 2004年04月22日
 とうとう徹夜してしまった。
コンピュータの作業なんて、ほんとは、徹夜でやったりしてはいけない。朦朧としていて、操作ミスが必ずあるから。それでなくても、還暦すぎのじじいが。年に数回あるかなしかの徹夜。一日中、頭がボーっとしていた。今も。
 3年もすると、パソコンの中にはずいぶんいろいろなデータがたまっているし、各種ソフトも、購入時と比べるとかなり「バージョン・アップ」されていて復元するのに一苦労。それでも、今回は、まめに「バックアップ」をとっていて、いくらかは楽だった。ダウンロード総量、約80MG、延べ400分。再インストール・プログラムの本数、約150本。それらのテストもしなければならず、昔のことを思い出すに十分。

 何とか使えるようになった。

昨日も、夜「雷雨」、今朝、6時気温20度。久しぶりに「寒くて」長袖をだして着た。この数日より3〜4度低い。「秋」の陽気のようでとてもすがすがしい。昼はとても暑かった。プール。「キック」だけ欠席。

 ピックアップのハンドル、ロックして運転不可。ベアリングが割れたとか。
 サニーの前輪の「ショック・アブソーバ」壊れているらしい。早く修理しないと危ない。

「預金残高証明書」 2004年04月23日
 メチャンの銀行へ「残高証明」もらいに行く。
VISA更新用に必要。現在、タイ国滞在許可VISAは、年に一回更新するカテゴリーのもので、その申請に使うため。受け取りは来週月曜で、月曜日にメサイの入管に手続きに行く予定。
 電話代支払い。今月はいくらだったかは、不明。かみさんの管轄。文句言われなかったから、たいしたことはなかったみたい。

 プール、久々に4人。キックは、このところずっと、隣の部落の親のところに寝泊りしていて、姿を見ないことが多いが、今日は、電話させて一緒に行くことになった。キック、間があいたわりにはよく泳いだ。クロール、右手が相変わらず上がらないが。

 チャムトーンのバッテリー充電。20バーツ。小さな蛍光灯2個だけなので、一ヶ月以上持つみたい。

 昨夜、雨あり。少しだけ。

 金子さんから、恒例のメールマガジン。自分の家に戻られたとのこと。よかった。

 夜9時すぎ、雨あり。遠方の雷で停電。
ケイと二人だけまだ、シャワー浴びてない。ケイは、あちこちの水道管にのこっているみずを集めてきて、温水器のお湯を足して、済ます。一時間ほど待っても回復せず、今日は「連ドラ」の最終回(トン・アワサーン)とかで女子供は悔しがることしきり。結局11時近くなるまで復旧せず。

昼から雷雨 2004年04月24日
 今日は、昼のうちから雨あり。4時半ころから、1時間ほど、雨。雨量は、せいぜい10mm程度。停電もなく、雨後は急に涼しくなり快適。
 フエカイのガラス屋で、「バンケット窓」用の金具買う。35バーツ。ついでに、網戸用のとめ具も。1個、0.5バーツ。プラスティック製で、新築の時につけたものが経年劣化(?)で、みんなもろくなって、交換の必要あり。とりあえず、20個だけ購入。各部屋に、20個ほど必要で、全部で、8部屋ほかあるので、200個は交換しなければならないかも。

 フエカイの市場に、パタヤのある「チョンブリ県」から海産の鮮魚を売りに来ていて、さばなど購入。産直(?)なのでとても新鮮。さばは「しめ鯖」にする。おいしい。

暑い 2004年04月25日
 今のところ雨もなく暑い。

 ガソリン補給。満タン。ハイオク38リッターで、650バーツ(1900円弱)
日本は、ガソリン、1リッター100円以上するそうだが、こちらは半値以下。

ホームページ、「フタバガキ」完成。

カモシカの一種? 2004年04月26日
 早暁4時ころ激しい雷雨。至近距離での落雷あったもよう。
今朝、また、モデム壊れていた。パソコンに電源が入っていなくても、電話線から、「雷サージ」が入ってくるのかもしれない。先日購入した安物(?)のモデムで一応復旧。今後は、電話線もはずして寝ないといけないのかもしれない。

 メサイへ滞在延長VISAの申請に行く。残高証明に不備があり、明日再度申請。

 たった今(午後7時過ぎ)娘が
「オトウサン、オトウサン、早く早く!大きなけだもの(メーン)が捕まえられて、料理されちゃうよ。こんな大きいんだよ。ブット兄さんの家だよ。大勢集まっているよ。写真にとっておきなよ」と、息も切らさんばかりに駆け込んできた。

 こちらも、年甲斐もなく、娘に渡されたデジカメをつかんで走って筋向いのブットの家に。もうすでに数十人が集まっていて、わいわいガヤガヤ。もう帰りかけている人も。人だかりの中心に入ってゆくと、哀れ、くだんの「獣」は、体の半分ほど皮がはがされているところ。5〜60キロはある大物である。よくよく見ると「カモシカ」の一種のようだ。「偶蹄」で角もある。
 寺の裏山で、姪の婿がしとめたらしい。20年この方、「シカ」の仲間が、しかもこんな大きいものが捕れたのは、初めてである。部落の若者たちも、始めてみる獲物ではないだろうか。中には、「ドイトゥン」の動物園から逃げ出したのではないかなんていう人もいるくらいである。

 昨年、いのしし狩りで事故があって死者が出てから、集団での狩りは、しばらく途絶えていたが、年が明けるころから、また始まった。いのししや鹿などの大型の獣は、雨上がりに人里近くに出てくるらしい。大雨などあった後、数人の先遣隊が山に入り、獣の足跡や糞など観察して、まだ近くにいると判断すると、山を降りて助っ人を呼びに行く。多いときには30人近くが集められ、「狩り」が始まる。

 今回も、昨夜の雨で、「カモシカ」が里の近くに下りてきたものと思われる。十人あまりの「狩人」が、お寺の裏山に追い詰めて、銃でしとめたらしい。
 枝肉にして、「狩り」への参加者が、等分に分ける。肉は新鮮なので、「ラープ」(生肉料理)にして食べる。おいしいらしい。

 今日は「仏日」で殺生は禁断のはず。いい加減なものだ。

 プール。今日は少し厳しくした。下の子供二人も、この休み中にはちゃんと泳げるようにしてあげたい。あとひとり。あと20日足らず。

滞在延長VISA申請 2004年04月27日
 メサイの入管でVISA申請。
今年から「手数料」4倍近くに値上げされ、1900バーツに。(昨年までは500バーツ)。住民税だと思ってあきらめるか。申請書類はいくらか簡単になったし、「更新」完了前は、1ヶ月ごとに確認に出頭していたのも、40日あまりに延長され、多分一回で、OKになりそうだ。値上げの代償のサービスのつもりかもしれない。

 プール。向かいの「ジン」も一緒。
ジンは今年から、チェンライの職業訓練高校に進学するが、普段運動不足で太り気味、しかも、たまにしかプールに行かないのでちゃんと泳げるようになるのは難しそうだ。今日は、下の二人、成果上がる。もうじきだ。
ノンカン、なくした「水泳帽」の変わりに、誰かが忘れていったらしい紺の帽子をもらう。

 夜、7時過ぎから、雷雨。雨は少ないけど、9時過ぎまで降ったりやんだり。おかげで、パソコン、なかなか使えず。

「プッキー」成功 2004年04月28日
 姪の娘「プッキー」15m泳げるようになった。大成功。まだ、かなりぎこちないが、本人がやる気満々で、あとは少しずつ形を正していけば、さまになりそう。
4人とも、水深2mほどの深さのところを、怖がらなくなった。
どうやら「目標」達成か。

昨夜からの雨は、夜半まで降ったりやんだり。なんか、雨期の走りのような感じ。「リンチー」は、まだ熟さないのに。

昨夜も、ほぼ徹夜。チャムトーンから帰って少し眠る。
パソコンのUPSが臭い煙を出して燃えた。原因不明。取り外したが、ピーピーなるのがとまらない。以前にも故障して、まだ保証期間中だが、修理する気にもならない。


また子犬が・・・ 2004年04月29日
 チャムトーンの隣の家(山の上)から、また、白い子犬が迷い込んできた。飼い主は、我が家の方で飼ってくれとのことらしいが、困ったことだ。前回の「ティウ」の時のように、後で金をくれだとか、大きくなってから殺して食うから返せなんていうのは困るよとは、釘をさしてあるのだが・・・。生後、2か月くらいか。

 養魚のえさ、猫の餌、子犬用の餌、虫下し(子犬用)、成犬用の米など購入。

 パスタなべの内鍋(ステンレス製)の修理依頼してくる。ついこの間まで、ハイウェイ沿いにあった店が、フエ・ナム・クン(シャン族の部落)の奥まったところに越していた。

 プール。今後持久力養成に方針変更。40m往復2〜3回でばてるようでは困る。
せめて10往復くらいは連続で泳げるようにしなければ。

 バックアップでとっておいたMP3(音楽)の10枚のCDのうち、3枚ほど不良で、リロードできず。CRCエラー。よく見たら、この3枚だけ、表面(ラベル側)の一部が黄色く変色している。50枚ロットで購入したものの一部。ソフトが壊れたのではないかと、ヒヤヒヤ。

「田舎の言葉」 2004年04月30日
 プール。
子供たちに友達ができた。水の中にコインを投げ入れて、潜ってとってくる遊びに、一緒になって興じている。チェンライの街中の子供で、両親はイサーンの出身らしい。
この子供には、「北タイ弁」はまったく通じない。ケイが通訳する。そうとわかれば通訳の必要はないつもりなのだが。学校では「標準タイ語」で話すことを強要されるし、家に帰っても両親は子供の前では、出世の妨げにこそなれ「役に立たない」地元の言葉は使わないようにしているのだと思われる。街場の子供たちは、家に帰ってから子供たち同士で遊んでいるときも、きっと「標準タイ語」なのだろう。知り合いの日本人の家でも、同様のしつけをしている家もある。バンコクなど都会に出て生活することになれば、田舎言葉はお荷物になるのだろう。われわれが、まだ学生だったころの日本でもそんな傾向があったような気もする。「無着先生」のような人が現れて、田舎言葉が大手を振ってまかり通る世の中が、くればいいと思う。

 やっと、バンケット窓の修理を終わる。
 台所の入り口の蛍光灯をチェックして、管球を交換。
 少し離れたところで、降っただけで今日は雨なし。湿度が高くて蒸し暑い。



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