チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2004年05月 INDEX

2004/05/01 チャムトーンの井戸がえ
2004/05/02 井戸の屋根工事終わらず
2004/05/03 チャムトーンの工事いろいろ
2004/05/04 久しぶりにチェンライへ
2004/05/05 「ワン・プット・モンコン(作物占いの日)」
2004/05/06 パソコン壊れた?
2004/05/07 メカム川氾濫
2004/05/08 アイ・ラット」怪我
2004/05/09 家の中の掃除
2004/05/10 雑草と「こうもり虫」
2004/05/11 観光案内
2004/05/12 車のエアコン、ガス入れ替え
2004/05/13 向かいの「ナン」おばさんの娘が入院した
2004/05/14 「たけのこ」と「きのこ」
2004/05/15 「墜落」1周年
2004/05/16 「アー・クイ」亡くなる
2004/05/17 「ア・クイ」の身の上
2004/05/18 一日中、パソコンの前
2004/05/19 「ア・クイ」火葬式
2004/05/20 VCD作成
2004/05/21 童謡、唱歌のダウンロード
2004/05/22 洗濯物が乾く
2004/05/23 パソコン相手
2004/05/24 T-net トラブル
2004/05/25 メチャンへ
2004/05/26 パソコン故障中
2004/05/27 またまた、MODEMが雷にやられた。
2004/05/28 我が家の「問題児」がまたまた、ことを起こす
2004/05/29 子犬の予防接種
2004/05/30 稚魚、放流
2004/05/31 「身分証」
2004年5月の日記

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チャムトーンの井戸がえ 2004年05月01日
 久しぶりに、チャムトーン井戸掃除する。常時蓋をしてあるのでそれほどは汚れていないが、それでも、木の葉などわずかに沈んでいた。地表から、水の湧き出しているところまで、わずかに、4mほど。よくこんな浅くて水がかれないものだと感心する。

 井戸まわりに屋根がけすることに。雨が降ると水汲みができないし、井戸のまわりが炊事場になっているため屋根をつけることに。明日作業予定。

 昼食はチャムトーンで。キャンプのような感じで、みんな食がすすむ。
釣りたての魚やとりたてのキノコ料理。

 今日は、「メーデー」で、資材屋さんなど一部の店は休み。

 プール。みんな少しづつだが、さまになってきて、教えるほうも気分がいい。

 昨夜、宵の口、雷。雨は、ほんのパラパラ。このところ雨が少ないので、久しぶりに花壇に水やり。この暑さだと、3日降らないと、水やりの必要が。

 リンチー、だいぶ甘くなってきた。あと2〜3日か。

井戸の屋根工事終わらず 2004年05月02日
 チャムトーンの井戸の屋根かけ工事、資材が入ってくるのが午後になったりして明日も続きをやることに。20平方メートルほどしかないのに、数人がかりで終了しなかった。

 プール。今日は、一人700mを泳がせ、ちょっとグロッキー気味。最後は1kmが目標と脅かしてある。泳ぎがうまくなって、いくらかは疲れは少ないと思うのだが。

 昨夜はかなり降った。2〜30mmくらいか。
 今日は、午前中曇り空。夕方からものすごく蒸し暑い。今7時過ぎ、汗、ダラダラ。この分だと今夜も降りそう。今年の暑期は降らない日が少なく、なんとなく異常気味。このあたりは、このまま、もう雨期なのかもしれない。雨がよく降ると、雑草との戦いがたいへん。10日もすれば草ボウボウ。

 忘れていたけど、日本は今「ゴールデン・ウィーク」中なんだ。どこも観光地は、さぞ、混雑していることでしょうね。

チャムトーンの工事いろいろ 2004年05月03日
 チャムトーン、井戸の屋根がけ工事は終了。
ついでなので、鳥小屋の建て替えと池の中の桟橋の付け替え工事をすることにした。
鳥小屋は、今まで屋根は「茅葺き」だったが、葺き替えの必要があり、この際、トタン葺きに変えて場所を少し移動することにした。小さい鳥小屋でも、最低100枚は必要で、2〜3年毎に吹き替えの必要があった。
 山焼きが禁止されたこともあって「萱刈り場」が少なくなるとともに80cmx2mほどの屋根葺きように、萱の編んだものが1枚6バーツと10年前の2〜3倍に値上がりした。それでも、山岳民族の部落をあちこち探し回ってやっと手に入れることができるような「貴重品」になってしまった。日本と同じで、「茅葺き屋根」は今では、「贅沢」なものになってしまった。「萱」は、スレートやトタンよりも安価で、ずっと涼しく風通しもいいので快適な素材だったのだが。
 下の池の桟橋は、木製の柱がだいぶ腐ってきて危ないので、コンクリ製の柱に変えることにした。木製だと10年は持たない。

 プール。
ノンカンは、日の丸の日で水にはいれず。
向かいの家の姪、ノン・ペーン(今年小学校入学)も同行。
水着と帽子を買ってやる。例によって、「ルク(キカン坊)」でぜんぜん箸にも棒にもかからない。どういう躾をしているのだろうかと家人に訊ねたところ、両親共働きでおばあさんが育ているとのことで、さもありなんと納得。

久しぶりにチェンライへ 2004年05月04日
 猫の缶詰がなくなったのとUPS(無停電装置)の修理依頼のためチェンライへ。
半月ぶりくらいか。久しぶりの感じ。
 ITDプラザでは、モデムも購入。予備をかねて。
その後、「メコー」で買い物。こちらのほうも久しぶりの感じ。
新学期に備えて文房具なども購入。
昼食は、「メコー」のクーポン食堂。出来たて(まだ100%完成していない)で客も少ないと見えて閑散。「ラトナー・タレ(海鮮かた焼きそば)」を注文したら、材料が長いこと冷蔵庫に保管されていたものらしく、異臭がして少し残す。日本だったら、客の苦情は間違いないところ。ここでは、じっと我慢。たかが50円。大半は食べたし。

 チャムトーンでは、鳥小屋の新築(?)と下の池の桟橋の架け替え。
夕食はチャムトーン。お手伝いの人まで含めると20人近く。食材が足りなくて、みんなで鶏を追っかけまわして捕る。池の傍の「パク・ウット(コゴミ)」の炒め物はおいしかった。周りを探せば結構いろいろあるもの。

「ワン・プット・モンコン(作物占いの日)」 2004年05月05日
 バンコクの王宮前広場(サナーム・ルアン)で毎年行われる王室主催の今年の作物のできを占う日。「バラモン教」のしきたりにのっとり、牛を引き回し牛が口をつけたものによって占う。(今年は、5月7日)
 このころから、雨も多くなり、植木などの植え付け、移植など安心してできるようになるとのこと。

 チャムトーン工事まだ終わらず。
今日は日中、2回雷雨のため中断し、明日また再開。
天気予報では、5日から9日まで、北タイは雨模様とか。やっぱり、もう、雨期ですね。

 今日も夕食は、チャムトーンで。「スペアリブ」おいしかった。

パソコン壊れた? 2004年05月06日
 モデム交換中にどこかいけないところを触ったようで、起動できなくなってしまって、大慌て。
 診断プログラムでチェックしたところ、「メモリー・エラー」とのこと、「メモリー・ボードを差し替えてみて・・・」とあり、2枚あるボードを前後差し替えてみたら、とりあえず動くようになる。今後、何か影響があるか心配だが・・・。

 今日、村のお寺で「集団出家式」が行われた。今年小学校卒業の9人の男の子が、つるつる頭にして坊さん見習いになった。同級生の大半が出家したことになる。新学期からは、メカムのお寺にある中学校に通うことになる。

メカム川氾濫 2004年05月07日
 昨夜、夜どおし降った雨で、メカム川が氾濫し、家屋の浸水、道路および田畑の冠水で相当の被害が出た。昨年7月の洪水よりも被害が大きかったようだ。
 雨量は昨夜だけで、100mmくらいのもの。
 今回も、人災といったほうが。上流の堰付近から下流へかけて、1kmほど川底の土砂を取り除いて、川を広く深くしたため、上流からの水がどっと押し寄せ、我が家の家の近辺から下流にかけては、浚渫してないため、あふれがひどくなったようだ。
 幸い我が家は、田畑の冠水だけですんだが。
どうなってんだろうかね、この国は。やっぱり、「縄文人」だね。

 山のお寺の「パパー」。道路が冠水して、お客さん来れないのでは。

今日は「ワン・プット・モンコン」。

* パソコン、調子よく稼動中。

「アイ・ラット」怪我 2004年05月08日
 チャムトーンの仕事を手伝ってもらっている姪の旦那の兄貴「アイ・ラット」が昨日の祭りでピックアップの荷台から落ちて怪我。かなり泥酔していて、止まっている車の後部バンパーから、仰向けに落ちたらしい。頭部を打っていて、心配だが、メチャン病院で診てもらったところ、72時間以内に変わったことがなければ大丈夫だろうとのこと。ただ、頭痛がしてめまいもあるらしい。
 前々から、飲むと泥酔だひどく心配していたことが起きてしまった。

 午後から、人を雇って、チャムトーンの上の池の「ホテイアオイ」、一部取り除いて、下の池に移す。元気よすぎて水面が見えないくらいに成長してしまった。

 夕方は、チャムトーンで宴会。

家の中の掃除 2004年05月09日
栃木の明さん宛てメールしたが、あて先不明で届かなかった。
もしメールアドレスが変わったのなら、新しいメールアドレスでメール送ってください。
 


我が家の女性たちは、「掃除」が苦手のようである。特に「ピ・シー」一族のずぼらさは際立っている。その影響も多少あって、子供たちにはあまり煩く言えない。小生ばかりか、かみさんも気になっているようだが、気が向いたときにしか、先頭に立ってはやらない。今回は、明後日、バンコクから日本人のお客さんが見えるということで、少しだけ掃除した。でも、「くもの巣」は相変わらず張っている。煩く言うと、誇りや虫をキャッチしてくれるからいいんだなんていっている。言えの構造が、かなり開放的なつくりになっているので、かなりまめに掃除しない限り、きれいになんてならないが、家も大きいため、まめに掃除なんてできないらしい。まあ、病気になったり、死んだりするわけではないので、いいとするしかない。開放的なんで、「カビ」も生えにくいし。

 ステンレスのパスタ用内鍋、修理完了。50バーツ。工賃としては安くない。半田づけとは違うのだから仕方がないか。

 洗車する。このところの雨で、結構汚れていた。

 夕方、6時ころ、雷雨。豆低気圧の中心が、少し南を通ったため、ほんのパラパラ。

 ピックアップの修理。というより、部品が手に入らないので、分解掃除しただけの部品をとりあえず、つけただけ。当然のことだが、ハンドルが重くて運転できる代物ではない。明さんにも、部品の調達が可能かどうか、メールで問い合わせした。多分、「いすず」の車じゃ、無理だと思ったが、念のため。

雑草と「こうもり虫」 2004年05月10日
 今年のように雨が多いと、植物の成長は驚くほど早く、とりわけ雑草の勢いは大変なもの。まさに、戦いである。半月ほど、草取りをしないでいると、庭一面が雑草の「ジャングル」になってしまう。
 今日と明日で、3〜4人近所の人にお願いして草取りを、手伝ってもらうことにした。早めにしないと、雑草は、すぐに花が咲き、実がついてしまう。

 ノンカン、昨日から具合悪いようだと思ったら、どうも「扁桃腺」らしい。医者に診せたら、熱が40度もある。それにしては、昨日から、よくがんばって手伝いをしている。

 昨日あたりから、「こうもり虫」大発生。2階の天井裏にこうもりが出入りするようになってから、毎年この時期になると、夜となく昼となく、体調1cmほどの甲虫が天井から降ってくる。寝ている間に、耳の中や鼻の中まで侵入してくることさえある。何百何千という数で、尋常では絶滅しない。天井裏に上がって、こうもりの巣をかたずけ、スプレー式の殺虫剤を散布。これでしばらくは減るかもしれない。
 以前、かすみ網を使ってこうもりを捕まえ、しばらく、こうもりは出入りしなくなったが、また来るようになったらしい。こうもりの排泄物を食料にしているらしい。こうもりの出入りしている、鍾乳洞の名kに入っていくと、この甲虫の屍骸が、何センチのも積もっていることがある。(花壇などのいい肥料になるらしいが・・・)
 家の構造に欠陥があるのが一番の理由だが、足場がけなどして結構大工事になりそう。場当たり主義に対処してきたが、そろそろちゃんと改良工事をしないといけないかも。

観光案内 2004年05月11日
 今日は、バンコクから「片山さん」が見えるので、朝から空港へお出迎えし、一日チェンライをご案内する予定。
 片山さんは、駐在員の奥さんで、昨年赴任前からメールで知り合いになった方。

車のエアコン、ガス入れ替え 2004年05月12日
エアコンの効きが非常に悪かったので、分解掃除してもらい、ガスを入れ替える。
かなり冷えるようにはなったが、コンプレッサーが弱っているのかいまいち。
修理調整代1000バーツ。(ガス込み)

 ITDプラザ。UPSの修理を依頼してあるが、どうなっているか聞きに。
バンコクのメーカーに送ったとのこと。修理完了次第、連絡あるはず。

 子供たちの新学期用制服、靴などチェンライの市場で購入。新学期前で、足元を見ているのか割高。

 午後3時過ぎ雷雨。短時間だったが土砂降り。

 ** チェンライは完全に雨期に入りました **
 今は、熱帯型の雨期で、昨日あたりから、猛烈な蒸し暑さです。
 チェンライの本格的な雨期というのは、日本の梅雨にちょっと似ていて、朝から曇ってとても涼しくなります。多分今年も、この月の終わりごろから、そんな陽気になることと思われますが、それまでは、この蒸し暑さが続くのではないかと心配しております。

向かいの「ナン」おばさんの娘が入院した 2004年05月13日
 チャムトーンの番人(オヤジ)が役立たずで、「キノコ」ドロボウが毎日のように侵入するので、有刺鉄線を追加することにした。自分たちでやってみたが、かなり大変なため、後日、人を頼んでやってもらうことにした。

 向かいの「パ・ナン(ナンおばさん)」の次女「スク」(27,8才)が、いよいよ具合が悪くなり、今日入院した。もう、生きては戻ってこれないかもしれない。わが部落で、最初に「エイズ」の感染がわかった女性である。もう、10年以上も前のことで、よく今まで生きながらえてきたものだと感心する。詳しいことは、ホームページに記載したいと思う。
 ナンおばさんの現在の亭主(ビルマ人)は、明日、国(ミャンマーのマンダレー)へ帰るそうだ。前から言っていたので、このこととは関係ない。とても、働き者で、いい男だ。タイで貯めた1万バーツほどと、バイクを売ったお金を持って帰るそうだ。国へ帰ると数百万チャットになり、娘さんや親兄弟たちに少しはいい思いがさせられるとのこと。「為替レート」のギャップは恐ろしい。不法入国、不法滞在者が増えるわけだ。4ヶ月後には、また、戻ってくるらしいが、もう、「ナン」おばさんとは別れるだろうとの噂。彼がいない間に、「スク」もこの世からいなくなることは間違いなさそう。

 村内で葬式。西洋人の金持ちと結婚した娘さんの母親で、ずいぶんお金をかけて葬式を下らしい。「パサート(棺の館)」だけでも10万バーツしたそうだ。なくなったお母さんの看病費用として、何人かいる兄弟姉妹に月給を一人あたり3万バーツづつ支給したとも。何とはなしに、葬式には出席しなかった。

 昨日から、また、「誘蛾灯」をつけた。食べる虫を捕るためである。
ケサリンは、遅くまで起きているので、寝不足。そんなにまでして「虫」を食べたいのかねえ。「虫」は買って食べたほうが安いような気もするが・・・。

「たけのこ」と「きのこ」 2004年05月14日
 今日は、子供たち新学期にそなえて、教室などの清掃のため登校。午前中だけ。
新学期は、来週月曜日から始まる。また毎日送り迎えだ。

 このごろの夕食の食卓には、必ずといっていいほど、「たけのこ」の料理、「きのこ」の」料理が出てくる。雨期の料理だ。手を変え、品を変えて調理されるので、飽きるということはない。「たけのこ」も「きのこ」も種類がとても多く、それぞれ料理方法がちがい、種類ごとに、得意分野があるようだ。

 「びわ」、「ソムオー(ざぼんの一種)」、「コーヒー」庭の東の隅に植えつける。「びわ」は、タウィが、チェンマイ、ファーン郡の乾燥野菜工場の経営者からもらってきたもの。あちらでは、「びわ」を栽培して、出荷するつもりなのかもしれない。我が家にも、スーパーで買った「びわ」の実生の木が一本だけ残っていて、5m近く育ったが、今のところまだ実をつける気配はない。
 雨期に入ると、苗木の植え付けで失敗するということはまずない。竹など、枝を切って挿すだけでたいてい活着する。稲なども田植えのときに、わざわざ根をむしりとって植えたほうが、米がたくさん取れるらしい。このあたりでは、米は二期作で、雨期の稲はとかくに、草丈ばかりが大きくなりすぎ、穂のつきが悪いようだ。

「墜落」1周年 2004年05月15日
 昨年、5月にベランダから落ちてちょうど1周年になる。幸いにして「後遺症」のようなものはなく、無事生きてこられた。ありがたいことだ。今、思い出しても、ゾッとする。あれで一環の終わりだったら、家族などいったいどうなっていたかと思うと・・・。

 リンチーをチェンライ空港から送る。相変わらずチェンマイ直行便がないにもかかわらず、チェンマイ空港行きは、送料がきわめて安い。10kgあまりのもので、たったの80バーツ(200円ちょっと)。ただ、バンコク経由のため、時間がかかるのが難点。直行なら1時間、バンコク経由だと積み替えるので、5〜6時間かかる。

 チャムトーンの有刺鉄線追加工事。2人頼む。


「アー・クイ」亡くなる 2004年05月16日
 夜半すぎ、「アー・クイ(義理の伯父)」が亡くなった。
喉頭癌か食道癌か詳細は聞いていないのでわからないが、食べ物がのどを通らなくなってしまったらしい。
 3月終わりに、チェンマイの病院に入院したが、1週間ほどで、手術するだけの体力がないとのことで、鼻へゴム管を差し込んだまま退院してきた。チェンマイの国立スアンドーク病院では、がん患者が家族と一緒に住んで、手術のために体力をつける宿泊設備があるそうだ。棟割長屋のバンガロー・スタイルの建物らしい。「アー・クイ」の場合、家から遠すぎることや、費用のことで自宅に帰って体力回復の道を選んだようだ。 この一月ほど、家族が、流動食をゴム管に流してやっていたらしいが、最近は、吐いてしまっていたらしい。数日前から、どうもいけないらしいということになって、義姉たちがお見舞いに行っていたが、言葉ももう聞き取れなくなっていたようだった。
 
{アー・クイ」は、「ア・ター(ター伯母)」の再婚相手で、実の子供はいない。どこから来た人なのかも定かではない。魚とりが好きで、たびたび出かけていたが、野良仕事はまったくしていない風だった。再婚したときから、ずっと「ご隠居さん」といった感じの人で、どことなく、世間離れした人だった。すぐ近くに住む「ナ・ナーン(還俗の伯父)」とは仲があまりよくなかった。「ナ・ナーン」を義兄扱いしなかったためらしい。
 機会があったら、「アー・ター」から結婚のいきさつなど聞いてみたい気もする。
今日は、「葬式」の手伝いで家族みんなで払い。子供たちと留守番。

 久しぶりに、朝は、自分だけ和食。わかめの味噌汁、ソーダ鰹の「ハラモ(はらす)」の塩焼き、しゃけの燻製。
 「ハラモ」というのは、「遠州」での呼び名で、東京あたりのスーパーでは「はらす」といって、たまに売られていることがある。きのう刺身を作ったときに、塩にしておいたもの。焼き魚の中で、鰹の「ハラモ」ほど、うまいものはないとかねがね思っている。ほどよく脂がのっていて、なんともいえない。極楽、極楽。
 昔は、鰹節工場が近くにあるところでしか食べられなかった珍品である。

 昨日、送れなかった分のリンチー、今日送る。

「ア・クイ」の身の上 2004年05月17日
 昨日、早暁に亡くなった「ア・クイ(義理の伯父)」のその後に聞いた身の上話。

享年、66才。わずか、2年だけの人生の先輩。誰もが、もうそろそろ70近いと思っていただけに意外。出身は、我が家から10kmあまり離れた「パボン村」に実家があるとのこと。この村に来てからは、実家との行き来はまったくなかったらしい。何でも、「ベトナム戦争」のころと思われるが、徴兵忌避で酔っ払って検査を逃れ、罰せられたらしい。それが原因か、そのころから、両親兄弟とも疎遠になり、実家の近くへさえ行かなかったらしい。義理の娘に当たる「ウアイ(ケサリンのいとこ)」が、「ア・クイ」がチェンマイの病院から帰って、だいぶ具合が悪くなってから、「ア・クイ」の肉親の人たちに、その旨知らせたらしいが、見舞いにも来なかったらしい。葬式ぐらいには来るだろうと思っていたが、今のところ来てないらしい。身内から勘当されていたということなのだろうか。
 「ア・ター(伯母)」と結婚(?)したのはいつのころかははっきりしないが、その直前にも、隣村の女性と2回結婚し、離婚しているらしい。「ア・ター」とは、推測だが、30年近くは続いていたものと思われるが・・・。この村「ノンギェン」は、よそ者にとって暮らしやすいところなのかもしれないとつくづく実感した。
 もともとの性格なのだろうけれども、人付き合いが下手な「孤高の人」といった感じの男だったようだ。なんとなく、身につまされるような気がしてならない。

 今日から、子供たち新学期。早速、宿題をいっぱいもらってきた。タイの学校って、いったいどうなってんだろうね。

一日中、パソコンの前 2004年05月18日
 家族はみんな「葬式」で出払ってるし、子供たちは学校だし、朝から雨が降ったりやんだりで、一日中パソコンに遊んでもらう。腰が痛くなるほど。

 栃木の明さんからメールあり。目下、接続変更の手続き中とのこと。ちょっとだけ心配した。手塚さんもすぐ近くにお住まいらしい。奇縁。

 「葬式」用に、久々に古いカメラのセットアップ。電池すべて交換。デジカメは、フラッシュが小さくて、夜が苦手なので、ずっと以前フリーマーケットで300円で買った「オリンパス」のポケット・カメラを貸すことにした。300円とはいえ、ちょっと修理した(自分で)だけで、ずいぶんお世話になっている。距離も絞りも手動式なのがまたいい。
 明日は、「火葬式」で、デジカメの出番。
ソニーのサイバーショットも、もう、1万回以上シャッターを押している。さすがに、少しガタが来ているが、まだまだ大丈夫。

 葬式で行ったり来たりしているうちに、また、車のアンテナを折ってしまった。
タウィの家から、バックで出るとき「厄除け」の「聖糸」に引っ掛けてしまった。5000えんの損害。最近のモデルは、屋根の上にアンテナがついている車はない理由がわかった。

「ア・クイ」火葬式 2004年05月19日
 「ア・クイ」は、今日昼過ぎ、煙になった。
火葬式には、300人あまりが参列した。ごく普通の、比較的地味な葬式だった。
葬式期間中、毎日のように雨が降り、うっとうしい葬式だった。
昨夜は、葬式花火で事故があり、花火を揚げていた男が、大怪我をした。

今回も「写真係り」を仰せつかって、100枚あまりの写真を撮った。デジカメの写真を、BGMつきの「VCD」(ビデオCD)にすることにした。
新しいソフト(デモ版)が手に入り、テストの結果、比較的楽にVCDにすることができそうだ。

参考までに、大まかな手順は以下のようになる。

�デジカメで撮った写真を、取り込む。(JPG)
�「Windows Movie Maker」(フリーソフト)で、「WMV」のムービーを作る。
                  このときタイトル、エンディング、BGM,画面切り替わりの特殊効果など付加。
�「MPEGエンコーダー」(試用版・フリー)で、形式変換。(WMV→MPEG1)
�「VCDいめじゃ」(フリーソフト)でVCDイメージ作成。
�「CDマニピュレータ」(フリーソフト)でVCD焼付け。

�と�はCPUの速度にもよるが、おおむね、VCD再生時の2倍くらいは時間がかかる。
�のソフトは、WINDOWSに付属している。
�、�、�のソフトは、「Vector」あたりで、ダウンロードできる。

写真が、BGMつきでテレビで見られて好評で、なかなか手間がかかるけど、やみつきになりそう。最近は、このあたりで、VCDの再生装置を持っていない家は、ほとんどない。大体が「カラオケ」用で、安いものは3000円ほどで買うことができるようだ。(中国製がほとんど)
VCDは「DVD」に比べると、映像は、比較にならないほど粗いが、少し高級な再生装置では、かなり満足できる映像が見れるそうだ。「DVD]に比べると、手軽で、日本でも普及するかもしれない。

VCD作成 2004年05月20日
 「ア・クイ」の葬式のビデオCD作成。
MPEGエンコーダーで、苦労。一日がかりで、やっと音入り完成。

 昨日のデモ版は、最大3分までしか変換できないことがわかった。今日、別の試用版をダウンロード。こちらのほうは、14日間だけ使用できる。いずれにしても、タダだから仕方がない。「フリーソフト」ができない理由は、多分、特許権が絡んでいて、ソフトの作成者が、特許料を支払わなくてはいけないので、無料にはできないのだと推測した。画像や音楽の圧縮フォーマットなどは、特許でがんじがらめになっているらしい。ソフトウェアの特許権を認めないわけではないが、新しいソフトの開発や普及には、だいぶ障害になっているように思う。日本ユニシスの「GIF」などいい例で、だんだん「GIF」を使う人がいなくなってきた。
 特許権を持っているものが、特許がらみの新しい便利なソフトをつぎつぎに開発に、無料とは言わないまでも、安価で販売するのならともかく、法外な特許料を要求するのでは、ソフトウェア業界全体にとってもマイナス。特許料には、市場価格なんてものはなさそう。高い特許料が問題で、廃版になった便利なソフトが数限りなくある。ソフトウェアの特許はせいぜい5年くらいで、無料公開したほうが賢くないでしょうかね。「宝の持ち腐れ」にならないうちに。

昨夜から、ずっと雨降り。洪水寸前。

童謡、唱歌のダウンロード 2004年05月21日
 今日は、「ア・クイ」の骨拾いの儀式で、みんな出払っていて、パソコンに遊んでもらう。唱歌の大きいファイルをダウンロード。「ブロードバンド」だといいなとつくづく思う。今のダイヤル式だと一枚のディスクのダウンロードに5〜8時間かかるので、途切れ途切れになってしまい、パソコンを年中監視していないといけない。パソコンオタクになってしまう。

洗濯物が乾く 2004年05月22日
 久しぶりに、いい天気。遠くで雷鳴がしたものの雨なく、おおむねいい天気で、洗濯物がよく乾く。

 チャムトーンに「ぶどう」など植えつける。
「ぶどう」は、2年前に、日本のスーパーで買った「巨砲」の実生。果たしてどんな実が付くものか、2〜3年後が楽しみ。枯れなければいいが。

 リンチー、売れた。火曜日に収穫に来るそうだ。3本の木で、なんと800バーツ。
「ヘット・ナー(きのこ)」の一日分にも完敗。例年数千バーツにはなるものを、今年はバカ安値。メチャンのリンチー農家は困っていることだろう。「むしろ旗」で、お役所に押しかけた人たちもいるそうだ。

パソコン相手 2004年05月23日
 業者リンチー収穫に来る。当初火曜日とのことだったが、今日来た。10人ほどの作業員を連れてきたが、人事ながら、ペイするのかしらと思う。午後からは、チャムトーンでの収穫。こちらは、キロ当たり4バーツで売る。300キロほど。残りはまだ未熟とのことで、後日収穫となる。

 チャムトーンの子犬(ミミー)、ワクチン注射のため、メチャンへ。獣医不在で、こちらのほうも後日となる。バンコクへ研修(?)に半月ほど出かけているとのこと。26日には戻るらしい。

 家にいる間は、一日中パソコン。
「写真集」更新。壁紙用の画面作る。

T-net トラブル 2004年05月24日
 現在、インターネットのサービス・プロバイダーとして「T−net]と「Ji−net」の2つを使っている。「T−net]は、時間無制限で、インターネットを利用できるタイプのプリペード方式。ログオンから一ヶ月の期限付きである。比較的安い料金で、いくらでも使える代わりに、こちらには、E−メール・サービスがない。E−メール登録と、予備のために「Ji−net」プリペイド・カードも購入している。こちらのほうは、時間制限つきだが、6ヵ月間有効である。ただ、Ji−netは、電話番号が、「1222」という、ほとんどのプロバイダーの共通回線のため、非常につながりにくくて、日中などは使いものにはならない。それに引き換え「T−net]は、自社(TT&T社)専用の電話番号のため日中でもつながらないということはない。ただ、こちらのほうにも、問題があり、「ソフトやさん」が、ヘボくて、たびたびトラブル。今日も、昼前から、大物のダウンロード中に、回線がフリーズ。切断して、つなぎ代えようとしたが、なんとしてもつながらない。いよいよこれは、「WINDOWS XP」のトラブルかもしれないと、必要なファイルを延々とバックアップ。やっと夜中の2時すぎて、ナックアップが終ったところで、これが最後と思って、JIにつないだら、つながるではないか。いまこうして、「日記」を更新しているのは、JI−net。まったくいやになっちゃう。この時間でも、T−netはまだだめ。
 ほんとに、疲れたよ。

 午後3時過ぎから、強烈な雷雨。

メチャンへ 2004年05月25日
 電話料金支払い、子供の生命保険良の振込み等でメチャンへ出かける。
ついでに、ドア・ノブなど修理用の資材、養魚用の飼料なども買う。

 眠い。今にしてみれば、昨日から、今朝朝方にかけての「ドタバタ」はいったいなんだったんだろうと思えるが、また、「WINDOWS」のインストールのやり直しかと必死だった。ほんとうに心臓に悪い。パソコンも年数が経過するにしたがって、ハード・ディスク中のデータも増え、再インストール後も、依然と同じようにべbb利に使えるようにしたいと思うと、だんだんバックアップにも時間がかかるようになる。また、再インストールにも手間ひまかかるようになり、容易ではない。
 また、バックアップ用のCD−RWのトラブルの多いこと。CDに塗布されている「記録媒体」がとても不安定というか、均一でないような気がする。娘のパソコンと「LAN」でつなげればいいのだが、このパソコンにつけていた「LANボード」は、以前修理の時になくしてしまったらしいし(パワーサプライを交換したときに、ケースに入らなくなってしまった)。早く、「DELL」のサービス・センターがバンコクにできないかなあ。今は、東南アジアでは、マレーシアにしかないらしい。

 朝、子供たちを送ってゆくころ、「朝霧」が立ち込めて、ひんやりした陽気だった。この時期に霧は滅多にないこと。上空の冷気の塊が、何らかの原因で、地上近くまで降りてきたみたい。「大気」といっても、マクロ的に見ると、結構小さな塊で「コロコロ」しているものらしい。「マイクロ・バースト」なんて現象も、そんなことが原因かもしれない。

パソコン故障中 2004年05月26日
(27日に記入)

「雷」にやられて、インターネット接続ができないので、パソコンは一時お休み


またまた、MODEMが雷にやられた。 2004年05月27日
 昨日、正午過ぎ、雷の襲来で、MODEMを壊された。
予備のつもりのMODEMもなぜか、正常に働かない。これまた、不思議なことに、娘用のパソコンのMODEMも故障しているらしい。回線につながらない。
 結局、MODEMをこうかんすることになり、チェンライへ。
たった今、新しいものと入れ替えて、やっと、インターネットにつながる。われながら、あきれるほどに壊れる。雷が近いときは、「電話ケーブル」もはずしておく必要がありそう。夜間は?当然でしょうね。まったくいやになっちゃう。雷で壊れないMODEMってないのかしら。雷防止用の装置を買わなくちゃ。

 今まで、知らなかったが、雷で壊れても、保障はしてくれるらしい。(無料交換)
それにしても、こんなに壊れたのでは、メーカーやっていけるのかね。

 チェンライへ出たついでに、「メコー」で買い物。
製麺機(手回し式)買う。599バーツ(1700円ほど)、中国製。日本だと、1万円以上する。すぐ壊れるのではないかと心配。後日、うどんを作るつもり。

我が家の「問題児」がまたまた、ことを起こす 2004年05月28日
 若いころから、家族の面倒も水、いろいろ問題の多い「義父」がまたもや問題を起こす。 どうやら、「覚せい剤」またはじめたらしい。この村全体では、常習者は数十人はいるらしい。大体、カムナン(町長)も常習者らしく、そのとりまきの連中は、ほぼ100%「薬」をやってるようだ。
 「覚せい剤」は、むかしと比べて取締りが厳しくなったため、「薬価」もだいぶ値上がりしたようで、「義父」も何かと「金くれ」が多くなった。あんまりひどいようだと、たたき出すつもり。野垂れ死にも結構。自業自得というもの。

 門灯取替え。在庫がないとのことで、あまり気に入らなかったが、小さめの物を取り付けた。貧弱。門柱とつりあいが取れていない。

 玄関扉に、「オート・クローザー」取り付けようとしたがうまくいかない。明日、再挑戦。ドアをしっかり閉めないやからがいて、猫がうっかり外に出ようものなら、外でてぐすね引いて待ち構えている犬にかみ殺されるのを、いくらかでも防止するため。

子犬の予防接種 2004年05月29日
 新入りの子犬「ミミー」の3種混合ワクチン接種。先週土曜日、獣医不在で一週間遅れになったもの。
一週間の違いで、もう、軽度の「ジステンパー」に感染したような気配。ちょっと手遅れだったかも知れないが、今のところ症状は重くなさそう。ワクチン接種後、一週間は、水浴びさせてはいけないとのことで、しばらく自宅のほうで静養。チャムトーンにおくと勝手に水浴びしたり、雨に当たるのは、間違いない。
 真っ白な洋犬の雑種で、なかなか賢そうな犬でケサリンが気に入っていて、またまた、このまま、自宅のほうに居ついてしまうことになりそう。大変だ。

 昨日うまくいかなかった「ドア・クローザー」取り付け、大成功。なかなか具合よさそうだが、耐久性が心配。「ダイハツ・ディーゼル・NHN」(ダイハツの子会社か下請け)製の油圧式。取り付け方をインターネットで調べているうちにわかったことだが、アルミ・ダイキャスト製品で、自動車会社の副業らしい。すでに4000万個も売れているとのことで、いまや、車より、こちらのほうが有名になってしまったみたい。

 ケサリン、2〜3日前かららしいが、頭痛がして具合よくないらしい。貧血気味か。午後からは、ゴロゴロしていた。雨続きの天気のせいもあるかも。

稚魚、放流 2004年05月30日
 このところの雨で、養魚池は、もうじき満水状態。
南側の池は、今年は水を干さないまま、稚魚を入れることにした。すでにこの池で生まれた「パ・ニン(テラピア)」と「パ・タピアン(大型の淡水タナゴの一種)」の稚魚が、あわせて1万尾以上でもうだいぶ大きくなっている。

今回入れた稚魚は

� 「パドゥック・ラシヤ(ロシア鯰)」  50尾   30バーツ
� 「鯉」     茶碗 2杯  約 1000尾  200バーツ
� 「パ・シャラメット(ピラニヤ)」   50尾  100バーツ
� 「パ・レット(テラピアに似ている)」 40尾  100バーツ
そのほか、「パ・ピア」200尾注文しておく。

�の「パ・レット」は、初めての魚で、稚魚には「シマダイ」のような模様がある。年々、新しい種類が増えるようだ。
「パ・ブック(メコン川の大鯰で有名)」とか「パ・サワイ(さめのような姿の鯰(?)」などもあったが、購入はしなかった。いずれも小さな池で飼うものではなさそう。「パ・ブック」は、世界一大きい鯰で、メコン川では、体長3〜4mのものが捕れることがあるそうだ。毎年、チェンライ県のチェンコン郡で、「パ・ブック祭り」が開催されたりしているが、最近では乱獲がたたって天然ものは滅多に捕れないとか。養殖されるようになって、格安で食卓に上るようになったが、その分、人気も下火のようだ。
        

「身分証」 2004年05月31日
 タイでは、ずっと以前から、「国民皆番号制度」が導入されており、出生届をした時点で、固有の番号が割り振られる。満15歳になると、この国民番号の写真入りの「身分証(バット・プラチャム・トゥア・プラチャチョン)」の発行をしてもらうことになる。この「身分証」は常時携帯することが義務付けられていて、各所に設けられている「検問所」などで、官憲から提示を求められることがある。その他、身分保証の必要な官民の諸手続きの際には、本証を提示するほか、そのコピーに自筆署名をつけて提出すりことになる。
 今日、義妹「ノンカン」をつれて、郡役所に「身分証」の発行をしてもらいに行く。
ところが、白紙カードが在庫切れということで後日出直すことになる。従来は、薄い紙状の「身分証」だったが、最近、クレジット・カードと同じようなプラスティックせいのものが発行されるようになった。新しい身分証発行用の装置を、全国の各郡に配備するだけでも、ずいぶんと予算を費やしたことと思うが、白紙カードの配布が間に合わないらしい。すでに発行されている身分証の分をすべて同時に新しいカードに更新するとなると、3000万枚くらいは必要なのだろうが、有効期限切れ(6年間)の際、新しいカードに更新する予定の枚数だけしか、各郡役所には供給されないらしい。
 ところが、新しいカードは、耐久性もあり、見た目もきれいで格好いいということで
有効期限以前の更新希望が、たいへん多いらしい。希望して、再発行されるわけではないが、「紛失届け」や「毀損届け」を提出すると、何しろ大事なカードなわけで、再発行しないわけにはいかないようだ。わざと「洗濯機」で洗濯物と一緒に洗い、損傷させるものや、偽りの「紛失届け」を出すものが後を絶たないそうだ。いずれの場合も簡単な始末書は書かされるのかもしれないが、罰せられることはない。
 そんなわけで、新しいカードの作成や更新は、容易なことではない。郡役所の次回はいついつ白紙カードが手に入るという連絡で、その日には、早朝6時起きで、郡役所の窓口に並ぶことになる。それでも、手に入らない場合で、有効期限が切れてしまいそうな場合は、臨時の「イエロー・ペーパー」の仮身分証を発行してもらうことになる。
 新しいもの好きなタイ人と合理主義的予算配分(貧乏国家?)と、いかにもタイらしい話ではあるが・・・。



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