チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2004年06月 INDEX

2004/06/01 植木、草花の手入れ
2004/06/02 メサイの日本人、無理心中
2004/06/04 滞在延長VISA
2004/06/05 車の掃除
2004/06/06 庭の整理
2004/06/07 またまた、パソコン・トラブル
2004/06/08 チェンダオの高橋さんたち来訪
2004/06/09 モニター、プリンター修理に出す。
2004/06/10 「ワイ・クルー」の日
2004/06/11 プリンター修理完了
2004/06/12 「サンナー・ヤーオ」の谷田部さん一家、来宅
2004/06/13 とにかく、むし暑い!
2004/06/14 無事是好日
2004/06/15 60年安保
2004/06/16 雨期の苗代つくり
2004/06/17 魚釣り
2004/06/18 「ブン・ゴック」が死んじゃった。
2004/06/19 納豆いただく
2004/06/20 「ブン」の火葬式
2004/06/21 VCD作り
2004/06/22 車の修理完了
2004/06/23 芝生の植え付け
2004/06/24 「メム」、コブラに襲われる。
2004/06/25 サラ(あずまや)の屋根の葺き替え
2004/06/26 「昼寝小屋」完成
2004/06/27 チャムトーンに電気が引けない
2004/06/28 終日、雨
2004/06/29 変わったことなし。
2004/06/30 何もない。
2004年6月の日記

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植木、草花の手入れ 2004年06月01日
 今日から、6月だ。相変わらず、毎日のように雨が降り、少々鬱陶しい。最高気温は24,5度で涼しいものの、ごみの収集車が日になんども通るため、チャムトーンへの道はすっかりぬかるんで、車を手まえに止めて100mほど歩かなければならなくなってしまった。

 ヒバの木が大きくなりすぎたので、地上1mくらいのところで切る。ヒバの木は下枝が出ないので、剪定しないほうがいいと聞いていたが、だいぶ若枝が出てきたので、思い切って切ってみた。万一枯れたときのためと、数本、挿し木をしておいた。根が出るといいが。
 ヒバを切った後、今まで日陰になっていた花壇に、乾期を越すために「療養中」だったバラを移植する。
 サンパプーム(土地神様)のそばの名前不詳の花木2本切る。数年前に、行商のおばさんから、きれいなカタログを見せられて、3本、100バーツで買ったものらしい。ケサリン「詐欺」だと怒る。残りの一本は、思惑通りだったわけで、まあいいじゃないかと慰める。

 向かいの「ナン」おばさんが、
「マ・クイ・テート ミーコ?(パパイヤの実はあるかえ)」と門の向こうで声をかける。
「スク カワ ディップ?(熟したの?それとも若いの?)」とノイが聞き返す。
「ディップ(若いの)」とおばさんは答える。

 離れて聞いていると、なんとも長閑な感じがする会話だが、実は、おばさんは、もうじき命の火が消えるであろう娘の「スク」に「ソムタム(パパイヤ・サラダ)」をねだられたらしい。
 「スク」は、すっかりやせ衰えてしまい、今では、自力で歩くことはおろか、立ち上がることさえ出来なくなってしまった。見舞いに行ったものの話だと、腿の太さは、常人の腕くらいしかないそうだ。HIVに感染した人の死に際は、さまざまな症状があるそうだが、「スク」の場合は、それでも、まだ、いいほうだそうだ。
 昼食の時間を、過ぎたころ、「ナン」おばさんの家から、カラオケで歌う声が聞こえてくる。おばさん一家は、以前、やはりHIVで死んだ息子を含めて、みんな歌を歌うのが大好きだ。そろそろ還暦のおばさんも歌がうまい。
 聞こえてくる歌声は、なんとも頼りない声で、娘の「スク」が歌っているにちがいない。今日は、少し気分がいいのかもしれない。あるいは、最後の「カラ元気」なのかもしれない。
 家族にとっては、一分一秒でも長生きさせてやりたいという思いだろうが、傍で見ていると、もうそろそろ家族を解放してやってもいいのではないかという気がしないでもない。おばさんをはじめ、家族のみんなが、「スク」が、家族にもたらした「幸せ」に見合う以上の看病をしてきた。おばさんは、田舎の女性にしては、どちらかというと派手好みで、小ぎれいにしてはいるものの、すっかりやつれて、70をとうに過ぎたようにさえ見られるようになってしまった。

 明日は、「ウィサカブチャ」の日で、托鉢僧への「お供物」の準備が始まる。

メサイの日本人、無理心中 2004年06月02日
 今日は「ワン・ウィサカブチャ」で国民の祝日である。「仏誕会」とか言うそうだが、お釈迦様が生まれた日のことではない。「ゴータマ・シッダールタ」という人が、亡くなり、「涅槃」に入って「仏」釈迦になられた日を記念する祝日である。
 この日には、お寺の坊さんは、托鉢に出かけ、老若男女の信者(ウパシカ・ウパソクという)は、坊さんに供養の品々を差し上げる。釈迦の教えに従って修行する僧侶をねぎらうためであるらしい。サフラン色の袈裟を身に着けた坊さんの行列をあちこちで見かける。袈裟はあいにくの雨だったが、それでもびしょぬれになりながら托鉢して歩く修行者の姿は、なんとなく神々しくさえ見えた。

 2,3日前のことらしいが、メサイ郡(メチャン郡の北隣、タイの最北)に住んでいる日本人(55歳)が、焼身自殺をしたらしい。5歳の娘さん道連れの無理心中とのこと。(TVニュース、新聞記事による)奥さんは、ミャンマー国籍(多分不法滞在)で、危ういところで巻き添えにならずにすんだということだ。いろいろ事情はあることとは察するが、「日本人」であるがゆえに、地元での反響も大きく、迷惑なことだと思う。なぜミャンマーの女性と結婚して、タイ国内に住んでいるのか、日本国内の友人から常に送金があり、当人も頻繁に(つき1回くらい)日本に帰っていたらしいが、何をしていた人なのか、なぞが多い。タイの新聞情報であまり当てにはできないが、不思議な人である。冥福を祈る気持ちにはなれない。

滞在延長VISA 2004年06月04日
 調査に時間がかかるのか何かわからないけど、まだ許可か下りず。来月2日までの仮VISA。

 チャムトーンのリンチー出荷。100kgくらいにはなったと思うが、多分4〜500バーツ。大勢で手伝ってくれたけど、手間賃のほうが高いくらい。

 井上さんとこの使用人「ジー」(ミャンマー国籍)、出て行った。ちょっとしたいざこざがあった模様。子犬を2匹おいて出て行ったがどうするんだろう。また、うちで引き取ることになるのかいな。

車の掃除 2004年06月05日
 朝から、天気が良くて、久しぶりに車の掃除。数日前から、エアコンの吹き出し口から、スポンジ状のものが飛び出してきて困っていた。
 車の底は、メチャンの修理工場で高圧洗車してもらう。80バーツ。メチャン一安いといっていたがほんとに安い。車内は家で掃除していったが、またやってくれた。この工場は板金塗装が売り物なので、後日、以前追突されたところを修理してもらうことにする。
 「サンナヤオ」で植木など購入。
「マナオ」、ピンクの「ドーク・ケム(サンタンカ)」・・なかなかきれいなピンク。

庭の整理 2004年06月06日
 4月の大風でつぶれてしまたった野鳥ケージを最下段だけ残して、取り壊す。今まで、つぶれかかっていたケージがかろうじて支えになっていた「タコッブ」の最後の大枝も、折れてしまった。わずかに、小さな数本の枝だけが、緑色の葉をつけて残っているが、幹が「シロアリ」に食われてほとんど空洞になっていて、生き延びていくのは難しそう。
 リンチー、ソムオーの覆いかぶさってきていた大枝数本を切り落とす。マンゴーの木も虫にやられて、立ち枯れ状態の一本、切り倒す。これで、半年分ほどの焚き付けができた。
 鬱陶しい枝を切ったため、庭の家の前がずいぶん明るくなった。
ケサリンたちは、庭の開いているところに、「マナウ(スダチの一種)」の苗など植えつけた。

 昨夜、雷雨があったが、日中は日差しが強くむし暑い。最高気温、30ど越したかも。

またまた、パソコン・トラブル 2004年06月07日
 SONY製のCRT・モニター、壊れたみたい。数秒でオフラインになってしまう。
代用で、ケイのを横取り。修理しないといけないが、こんなとき日本から持ってきた「100V」用は厄介だ。


 メカム川の道路わきの、洪水対策工事始まる。川があふれるところに土手を新しく作るらしい。タイにしては、わりに迅速な対応というべきか。雨期のさなかにちゃんと完成するのかは疑問。何しろ、川の水はちょっと降れば増水する。今日も途中で、中止になったようだ。

 チャムトーンの脇の出来損ないの灌漑用水で、ポンプ3台使って魚とり。こちらのほうも、午後になって本格的に降りだした雨で、中断(?)、いや、中止かも。谷からの雨水が流れ込んだらしい。ガソリンの無駄遣い。油の価格が上がっている折から。今、ハイオク、1リッター、18.4バーツ(50円くらい)、これまでの最高値かも。

 「キン」のトリミング。2時間、座っていて、腰が痛くなる。年だね。

チェンダオの高橋さんたち来訪 2004年06月08日
 午後、高橋さんたち来宅。山内さん、広田さん、矢田部さんも。
一時間ほどで、帰られた。

 今度は、プリンター故障。用紙のフィードがうまくいかない。
早急に修理しないと。

 130年振りで、金星が太陽面を横切る天体現象。天気の良かったチェンマイでは、おおぜいの子供たちも観測に参加したとのテレビ・ニュース。

 上の子供二人、土日の英語教室に参加することに。日本語は家で教えろとまた催促される。

水道管の修理。
 しばらく前から、外壁の水道管埋め込みあたりからわずかに水漏れがしていて、現在使用していない配管のつもりで、切断したところ、母屋全体の配管だったため、また元に戻す。後日、縁の下に入って、配管のやり直しの必要がありそう。
 とにかく、配管をすべて壁に埋め込みにしたのは大失敗。建物全体が、「地震」か何かでゆがみ、壁の中の「エスロン」配管の継ぎ手あたりから漏れ出しているらしい。

モニター、プリンター修理に出す。 2004年06月09日
 結局、プリンターもモニターの修理しなければならなくなり。チェンライの修理やに頼む。減少としては、それぞれたいしたトラブルではないと思われるので、2,3日で直るのでは。

 宿題を手伝うため、プリンター1台購入。CABONのi255。2500バーツ。安物でチャチい。
 ケイの宿題というのは、「GPS」や「リモートセンシング」について、社会科の教科書に出ているWEBサイトで調べること。かなり専門的で、教師にも理解できないのではないかと思われる。

「ワイ・クルー」の日 2004年06月10日
 木曜日が「師」を敬う日(ワン・ワイ・クルー)と定められていて、中でも、この6月の第二木曜に敬いの「儀式(?)」が学校で執り行われる。
 「モイ・タイ」の選手が、リングに上がる前に、セコンドについている「師匠」の足元にひざまずいて、感謝の意と必勝の誓いをするのをたびたび見ることができるが、タイにおける「師」の権威はいまだに健在である。
 この日は子供たちは、手に手に線香、ろうそくとセットになった花束(?)を持って登校し、先生への贈り物なども持ってゆく。幼稚園から、大学まで皆同じらしい。大学の教師をしている日本人が、困るほどたくさん贈り物や花束をもらったという話を聞いたことがある。

 車の板金塗装屋へ、わざわざ帰りの車を用意して行ったが、ちゃんと見積もれる責任者がいないとのことで、明日に延期。「代車」を貸してくれる制度は、都会にはあるのかもしれないが、このあたりにはない。サービスを低下させても、修理代が安いのであればそれはそれで結構なことなのかもしれない。

  洪水防止の土手つくりの工事がだいぶ進んだようだ。8日間の工事で、220万バーツの予算とか。業者は、赤字だといっているらしいが、そんなはずはない。一日30万バーツ弱なんてかかるとはとても思えない。

プリンター修理完了 2004年06月11日
 プリンター、一応修理完了したが、いまいち調子は良くない。紙をたくさん入れておかないとうまくフィードしない。何とか使えるので、まあいいとするしかない。

 昨日かと思った、灌漑用水の精霊祭り、今日だった。
今日は、鶏にとっては厄日で、農家一軒一軒ごとに一羽づつ「いけにえ」をささげるので、数百羽の鶏が昇天したことになる。北タイ暦にのっとって行われるので、北タイ一帯でいっせいに今日行われるのかも知れないが、もしそうだとすれば、何万羽か何十万羽かの鶏が犠牲になったことになる。いけにえの鶏は、茹でられて、参列者の酒のつまみになる。昼過ぎには、あちこちに酔っ払いがうろうろすることになり、危険極まりない一日となる。

 チェンライへ行ったついでに、メコーで買い物。冷凍のマグロの切り身が格安で出ていたので買ったが、さすが安いだけのことはある。全くまずい。以後絶対に買わないことにする。

「サンナー・ヤーオ」の谷田部さん一家、来宅 2004年06月12日
 今月の7日から、こちらに住まわれることになった、「サンナー・ヤーオ」の谷田部さんご一家がご挨拶を兼ねて、VISA延長の件で来宅された。サンナー・ヤーオ村というのは、我が家から、5〜6km南へ行ったところにあるが、隣近所のようなもの。
 ご主人だけこちらに残って、日本での永住VISAを持っておられるタイ人の奥さんだけ、日本に戻り、仕事を続けられるらしい。ちょっと変則。

 ノンカン、久しぶりに数学の宿題聞きに来る。
代数式の混ざったべき乗の加減乗除の計算。日本でも、中3でこんな問題やらされているのだろうか。ちょっと程度が高いような気がする。タイの田舎で、ちゃんと理解できる子供は少ないだろうし、大体、上級学校へ進学する時の試験に出るくらいなもので、実生活には役立たないのではと、余計な心配をしてしまう。

 玄関脇に、ランのミニ花壇を作る。立ち枯れしたマンゴーの木を生かすため。枯れ木を大型の植木鉢の中にたて、ランなど貼り付けた。この時期意外には日が差さない場所なので、どうなることか。

とにかく、むし暑い! 2004年06月13日
 今日は、一日中、快晴(?)。雨期中で湿度が高く、たいへんなむし暑さ。
今、午後6時を少し廻ったところ、無風状態で、じっとしていても汗がにじみ出てくる。こんな日は、年に数日くらいしかないが、こんな日は、エアコンがほしくなる。何もする気がしない。

 養魚池に、釣った魚を生かしておく生簀(カサン)を作る。ケサリンだけ5匹釣る。たくさん魚が見えるのに、餌をやった後で、食いが悪い。

無事是好日 2004年06月14日
 何もない。

 しいてあげれば、プリンターは、修理前と変わらず。修理屋は何もしないで300バーツせしめたということ。
 
 Tネットの回線、このところ不具合続き。技術者アホとちゃう。

 夜半、ほんのわずかにお湿りがあったが、日中は今日も快晴。暑い。もう、このあたりは、そろそろ雨期も終わりなのかも。

「赤ガルーダ」の話でも書いておくか。
数日前から、土地の登記簿の変更で、村民上げて右往左往。
登記簿の正本には、赤ガルーダ(クット・デーン)、緑ガルーダ(クット・キオウ)、黒ガルーダ(クット・ダム?)の三種類があるんだそうな。登記簿にガルーダ(インド由来の鳥のマーク、官文書にはほとんどこの鳥が鎮座している)が印刷されていて、その「色」によって、土地の「所有」の意味が異なるんだそうな。所有権に制限がもうけられていないものが赤、日本の登記はすべて是に当たると考えていいのかな。緑色は、占有使用権は認められているが、土地の売買はできないことになっているらしい。黒は、とりあえず、使用していることは認めましょうという程度のものらしい。
 現政権の特別の配慮か何か知らないけれど、緑を赤にいっせいに(?)昇格させることになったらしい。それで、みんな右往左往。多くの人が、借金のかたに農協や銀行に登記簿の正本がとられていて、コピーをもらいに行くので大騒ぎ。手続きは、「カムナン」の事務所(家だけど)でおこなわれ、朝から行列ができているとのこと。
 赤と緑では、担保価値も変わるんだろうね、きっと。
 余談だが、外国人と結婚した、女性は、1ライ(1600�)までしか、所有できないのは、相変わらずらしい。いずれにしても、「抜け道」はいくらでもあるらしいのだが。「永久借地(?)」して、何千ヘクタールもし使用している外人さんもいるらしいし。


60年安保 2004年06月15日
 44年前の今日、国会議事堂前で、樺美智子さんという女子学生が、亡くなった。いわゆる「60年安保闘争」。社会は変わっているのだろうか。それとも、人々の生き方が変わったのだろうか。社会を何とかしようという「バカげた心意気」みたいなものがなくなってしまったのだろうか。みんなが、「常識的」になり、「おりこうさん」になってしまったような気がしてならない。別に、それでも一向に構わないのだろうけど、元気があるほうがいいと思うがね。たとえ「カラ元気」であっても。
 今の日本は、蔭で愚痴を「グチグチ」とこぼすだけの、「老人社会」になってしまったのかもしれない。みんな元気出せ、日本の若者。(逃げ出したくせに、ちょっと無責任発言かな)

 ふたつ葬式が重なった。
ひとつは「メプーン」。向かいの家の娘「イ・ノム」の前夫の母親で、癌だったそうだ。
二つ目は「サンナーヤーオ」。「ターばあさん」の姪、したがって「ケオおばさん」の従姉妹にあたる。前任のプーヤイ・バーン(ポロン・チュム)の亡くなった前妻の妹。ロンターンはじめ近隣にも親戚、身内おおぜい。
 ともに、われわれ夫婦は、葬式には参列しなかった。たいした理由はないが、暑くてやりきれないため。

 草花の植え替え。挿し木で増やした「ドーク・ファンファー(ブーゲンビリヤ)」など。「ドーク・ケム(サンタンカ)」、たくさん挿し木した。発根すればいいが。

 

雨期の苗代つくり 2004年06月16日
 朝のうち雨。北タイ南部地方では、大雨で洪水とか。
これからは、大雨の区域はだんだん南へ下がり、中部タイでも洪水になるところが出てくる。

 あちこちで、雨期米の苗代つくりが始まった。このあたりでは、乾期米(ナ・パン)と、雨期米(ナ・ピー)の2期作。
水が豊富なこの時期の苗つくりは、いたって簡単。今まで、野菜つくりをしていた田んぼの、2mほどの畝の草を取り除いたところに、直径数センチ、長さ1.5mほどの木の枝の先のほうを、少し尖らせた棒を突き刺して、深さ数センチの穴をこしらえていき、その穴に籾を数粒入れてゆく。穴の間隔は、苗つくりなので、かなり密植で、10cm間隔くらい。後は、籾殻灰を被せておくだけである。この作業を「ポ・カーオ」という。これで一月足らずで立派過ぎるほどの苗が育つ。できた苗を、水田に移植(ダム・ナー)、田植えである。
 日本の苗代のように密に籾をばら撒いて作った苗の場合は、半月ほどで、15cmくらいに育った苗を、水田に移植(シム・カー)。このときは、苗つくりなので15〜20cm間隔に植える。そして、さらに一月後くらいに、本田に移植(ダム・ナー)することになる。苗つくりを2度行わないといけないが、苗は良く育つ。
 田植えが終れば、あとは収穫を待つだけである。11月ころには、稲刈り(キオ・カーオ)ができる。収量は、1ライあたり1トン前後。近頃米の値段は上がっているが、それでも、売値にして数千バーツにしかならない。このあたりでは、自家消費用の米しか作らない。

魚釣り 2004年06月17日
 久しぶりで長いこと釣りをした。午前中イッパイ。
今年は、例年より長く給餌したので、結構大きくなっている。

「ブン・ゴック」が死んじゃった。 2004年06月18日
 車を修理(当て逃げされたところの板金塗装)にだしにメチャンに行くついでに、今日の付き添いということで、「アイ・マン(ブンの長兄)」を乗せて行った。病院の大部屋は、面会時間ではないということで見舞うことはできなかった。
 彼は、1月近く前に車をぶつけられ、病院で検査してもらったところ、怪我のほうはたいしたことはなかったのだが、撮影したX線で肺結核にかかっていることが判明。しかも、かなり重症というか、末期症状だったらしくそのまま入院。入院しても回復する気配はなく、結局、酸素吸入用のパイプをつけたまま自宅療養ということに。このあたりの病院は、回復見込みのない患者は、簡単な延命措置をして帰されることがほとんどらしい。自宅療養中も、何回か巡回の医師が点滴をしに来ていたようだが、このところ見られなかった。少しは良くなったのかなと思っていたが、昨夜、呼吸困難になり、夜9時過ぎ再入院。あっけないもので、今日の午後3時過ぎ、病院の付き添いから悲報がもたらされた。肺結核というのは、長患いだ思っていたが、こんなに急にいなくなるとは・・・。享年、39歳。
「ブン・ゴック」のゴックというのは、「才槌(さいずち)頭」のことで、この辺りでは珍しく頭のうしろが出っ張っていた。ケサリンの一級下で、幼いころからの遊び友達だったらしい。いたずら坊主でいじめっ子だったようだ。長じてもこの性格は変わらず、覚せい剤で三ヶ月留置されたりした。どちらかというと、声の大きいほうで、彼がいるとにぎやかで、周りは明るくなった。6人兄弟の4番目で、昨年亡くなった「ミーじいさん」の子としては3番目。ちょっとハイカラで、百姓は好きではなかったようで、田畑で働いているところは見たことがない。一時、バンコクに出稼ぎに行っていたが、じきに戻ってきてしまった。豚の飼育の仕事だったらしい。彼には、ふさわしくない仕事だったようだ。一女(フォン、16才)がいるが、バンコクにいる前妻と暮らしている。
 離婚して間なしに、縁あって近くの村の年上の女性と再婚。小型のピックアップを買って、野菜の仲買などをしていた。再婚して張り切っていたのに、かわいそうというしかない。
 母親の「ター婆さん」は訃報を聞いて、大声で泣き喚いたそうだ。このあたりでは珍しいことだ。6人の子供の中では、もっとも世話をやかせた「ブン」が一番かわいかったのかもしれない。
 それにしても、一年間で二度も葬式をだすことになり、「ブン」の末弟の「ウット」は気の毒である。我が家でも、総出でバックアップすることになる。
 今夜からまた、あの悲しいBGMが、大音響で、昼となく夜となく、4日続くことになる。

納豆いただく 2004年06月19日
 湯浅さんが納豆をこしらえたそうで、結構いけるとの事で、井上さんが届けてくださった。湯浅さんとこのお店、閉めちゃったんだそうな。雑貨屋さんだけど、まだ商品が残っているうちは、知り合いにだけ譲るとのこと。近くに「ミニ・マート」なんかあったりして、儲けにはならなかったらしい。ハイウェイに面していて、以前は、あまりあのあたりには、お店はなかったが、今では結構近くに店ができてしまい、うまくいかなくなったようだ。

 「ブン・ゴック」のお葬式は、費用が足りないとのことで、3日、2晩ということになった。再婚してから、嫁さんの家(サンサイ・ムン村)に住んでいたが、そちらでは互助会に入れてもらえず、この村の互助会の分だけだと、3万バーツにならないとのこと。あちらの村では、嫁さんが、過去に2度ご主人を亡くしていたり、この数年の間に両親、兄弟、息子など次々に亡くし、新しい旦那の分は、「もう、いい加減にしてくれ」とのことでだめだったらしい。「マリ」さんというこの女性は、よっぽど運の悪い人らしい。今度のことで、ますます悪口を言われることになるのでは。ちょっと気の毒な気もしないではないが。

 車を修理に出していたりして、きょうは、天気も良くないし、一日中パソコンの前。体に悪そう。

「ブン」の火葬式 2004年06月20日
 朝早くから、火葬式の準備。
ケサリンたち主婦は、昨夜、1時過ぎまでかかって、「カオ・ニオウ(ご飯)」の袋詰め。少しさびしいお葬式だと思ったが、それでも、火葬式の今日は、300人近く参列した。式はいつもととおり、執り行われたが、亡くなった「ブン」がまだ若かったせいもあるのか、愁嘆場を見せる場面が何回かあった。
 前妻の「フォン」の母親も兄弟たちと一緒に参列し、火葬場では、給仕なども手伝っていた。今の奥さんとは、まだ一年たらずなわけで、フォンの母親との方がずっと長かったのだから、さして違和感は感じなかった。実際の年齢よりは、若く見えた。前妻は「タイ・ヤイ」で、生活習慣なども違うため、うまくいかなかったのかもしれない。
 今回も写真を頼まれていて、VCDに焼かなければならないが、面倒なことだ。また、一日がかりか。

 「ブン」の葬式の最中に、義父方の親戚から訃報が入る。隣の「パヤオ県」の「メチャイ」というところから。われわれは、今まで、全くお付き合いのなかったところからで、参列したほうがいいとは思ったが、あいにく「車」も修理中で、今回は出席しないことにした。義父を含めて、義父の兄弟連中は、今晩の「お通夜」にも出席するため、夕方、6時過ぎに出かけていった。ケサリンの父方の「ルーツ」は「パヤオ県」の南隣の「ランパーン県」で、「メチャイ」は、北への移住の途中にあたり、そのあたりに定住した親族もいたということか。今のチェンライの住人のほぼ100%が、「ランパーン県」や「ランプーン県」あたりから、「ホップ・ステップ・ジャンプ」と北へ向かった移住者の子孫で構成されている。

VCD作り 2004年06月21日
「ブン・ゴック」のお葬式の写真を「VCD」に編集。
フリーのソフトだけで作るのは、なかなか、たいへん。
需要は、あると思うのだけど、誰か、もっと便利なソフト作らないかなあ。便利で良いソフトがあれば、購入してもいいのだが・・・。まだ、有償のものも、あまり良くないし。
 車の修理は、明日の夕方までかかるそうだ。

 年金の変更通知が、今日届いた。減額といっても、ほんのわずかだからいいようなものの、普通は金を振り込む前によこすもんなんだけどね。たるんでるよ、お役所は。

車の修理完了 2004年06月22日
 当て逃げされてできた、直径30cmの傷など、すっかりわからなくなった。内外、ワックスもかけてくれ見違えるようになった。犬、猫の爪あとも消えてしまった。これで、長持ちする塗装なら、3500バーツは高くない。

 ガソリンを、メチャンの街中の小さな「ESSO」スタンドで入れる。もうじき20バーツ、ずいぶん値上がりした。それは仕方ないとしても、このスタンドは、どうもメーターを操作しているようだ。40リッターのタンクに、47リッター以上も入った。言い草が良い。「ほとんどタンクが空でした」。空だから、入れてるんだ。
 いまだかつてこんなことはない。どんなに入っても、42,3リッターしか入らないはずだ。燃費も、いつも11km前後なのに、9kmいってない。そんなバカなことってあるわけがない。最近TVのニュースでも、不正メーターのことが話題になっていたが、メチャンにもあったとは。金持ちは、手段を選ばず金を残すらしい。

 近所のおばさん二人頼んで、芝生の草取りと芝生刈り。しばらく刈らなかったら、20cmくらいに伸びて、ボウボウといった感じ。根元から刈り取った。
 芝生の部分を広げるため、明日、50屬曚豹△┐弔韻詬縦蝓


芝生の植え付け 2004年06月23日
 昨日の続きで、庭の草取りをしてもらい、芝生を植える。
この数日、そんなに天気は良くないが、雨量が少なく、あっちこっち乾いている。特に、植木鉢の花はカラカラ。久しぶりに水やり。

「メム」、コブラに襲われる。 2004年06月24日
 夜、8時少し前、庭の一角で、犬がしきりに吼えるので、家人たちが様子を見に行くと、この辺で「グーハオ」と呼んでいる、コブラの一種が、しかもかなり大きいのが。
みんなで、棒などでたたき殺したらしいが、すでに老犬「メム」は両眼をしきりとこすっていて、苦しそう。「グーハオ」の毒液をまともに受けたようだ。蛇は、毒牙から、実に正確に、毒液を発射する。薄明かりの下でも、犬の目はわずかに輝いていて、1〜2mの距離なら、狙いをはずすことはまずない。
 直ぐに、洗眼して、ありあわせの目薬をさしたが、両眼とも、まぶたの内側は、腫れてきていて、失明の可能性が大きい。「メム」は、我が家の最長老の犬(メス)だが、とても感覚が鋭く、おそらく真っ先に蛇の居場所に駆けつけたのだと思う。しかも、とても勇敢(怖いもの知らず)で、蛇や毒かえるにも立ち向かっていこうとする。
 万一、両眼失明ということになれば、この先、高々数年の寿命とはいえ、不憫この上ない。今まで、どれほど、「ねずみ」退治に協力したことかと思うと。

 今日も、とてもむし暑い。最高気温は32度くらいまであがった。

サラ(あずまや)の屋根の葺き替え 2004年06月25日
 チャムトーンのサラの屋根は、茅葺きのため少なくても2年に一回は葺き替えないとならない。材料もなかなか手に入らなくなって、板葺きに変える予定なのだが、これまた入手困難。今では、屋根は、トタン板かスレート板が主流で、昔風の材料は、希少価値になってしまったようだ。住まいの屋根も、コンクリ製や、タイルのかわらが使われるようになってきた。
 見積もりをしたところ、板せいの瓦は、一枚10.5バーツ(30円弱)で、3000枚近く必要だが、高すぎる。硬質の木の板を購入して、自分で板瓦にすれば、多分半値以下でできるのでは。
 屋根の葺き替えが終ったあと、萱が少し余ったので、ごろ寝用の小屋をこしらえてもらう。4畳半ほどの広さのオール竹製の小屋。明日にならないと完成しない。

 コブラにやられた「メム」はさいわいにして、毒液は目の中にはほとんど入らなかったみたいで、上下のまぶたの内側が少し腫れが残っている程度で、失明は免れたようだ。ほんとに良かった。盲目の犬の世話となると、考えただけでも憂鬱になる。
 くだんの「コブラ」は今頃、酒の肴にされているにちがいない。昼食後、蛇談義でにぎやか。何でも「コブラ」だけでも、数種類はいるらしい。誰の話を聞いても、「コブラ」には、年に1,2回くらいしか出くわさないようだ。昨日の「コブラ」は、その前日、隣家の庭で取り逃がしたものらしいことがわかった。

「昼寝小屋」完成 2004年06月26日
 昨日の続きの「小屋」完成。建築費、材料費、人工費、占めて3000円ほど。
完成祝いに、夜は宴会。宴会前から、久しぶりの雷雨。20mmくらい降ったかもしれない。乾きかかっていた、大地が潤った。
 右の写真は、8割方、工事(?)が進んだ状態。

 山の寺の坊さんから頼まれて、工事中の仏塔の写真を撮る。CANONのプリンターで最初の写真印刷。安物(i255、7000円)だけど、ほどほどに見れる。

昼前、ケイのクラスメートが大勢遊びに来る。女の子、5,6人、男の子5,6人。
ケイの要望で、テラピヤの刺身を作ってやるも、あまり人気なかったようだ。
 大人たちはみんなチャムトーンに出かけて留守にしていたが、後で聞いた話だが、酒を飲んだらしい。けしからん。不良の始まり。

チャムトーンに電気が引けない 2004年06月27日
 数十メートルのところまで、電線が来ているのに、チャムトーンの養魚池には、いろいろ問題があって、なかなか電気が引けない。そもそも、「郡」が分離し、我が家の池の辺りは、隣の「メーファールアン郡」になってしまったため、今電線が走っている「メチャン郡」側から越境で電気をとるのはできないらしい。さらに、難しくしているのは、土地が、登記されていないことだ。これも、我が家の土地が、そもそも、未登記の土地であったことにもよるが、登記手続きを遅らせている一番の理由は、「ドイトゥン開発プロジェクト」の中に囲い込まれてしまったためである。測量は、ずっと以前にすんでいるのだが「プロジェクト」の行く末が不明確なため、民間所有の土地としてなかなか認めるわけにはいかないということらしい。
 我が家の土地の奥の小さな山(丘?)を二つほど越したところに、タイ・ヤイの部落ができている。いわば「経済難民部落」だが、「ドイトゥン開発プロジェクト」の作業員として、ミャンマーからの難民を多量に受け入れ、現国王の亡くなった母親が、集落形成を認めたもの。当然、外国人であるため、土地など所有していないはずだが、この部落には、1年近く前から、電気が入った。少数民族や越境者は「超法規的」にいろいろ優遇されていて、平地のタイ人からすると、なんか釈然としないものがある。
 王母が亡くなって、だいぶ時間が経過し、政府のプロジェクト予算も削減され、ドイトゥンのプロジェクトも縮小の方向で、かたがついたのか、今日、「電力会社」の係官が、現場を見に来た。測量図面など、いくつかの書類は必要らしいが、金さえだせば、1週間以内に、電気を引けるということになった。ただ、ちょっと「法外」な費用のため、躊躇せざるを得ないところだが。15万バーツあまり。日本円にしても、40万円強。常時暮らすところであれば、少々無理をしてもと思うが、電気がなければ困るところでもないし。3軒共同だと、一見当たりいくらになるのかは、不明。

 今日は、終日、雨模様。おかげで涼しい。

終日、雨 2004年06月28日
朝からずっと、雨降り。涼しくていいが、田畑が冠水するかもしれない。
 することもなく、パソコンが遊び相手。パソコン相手だと、およそ、知的ではないが、ボーッとしているのも、また、ひとつの選択かもしれない。
 魚を釣り溜めしておこうと思ったが、雨だと食いが悪い。どうしてなんだろう。腹減らないんだろうか。

 わかめとたけのこの煮物、おいしい。日本で食べる味と同じだ。

変わったことなし。 2004年06月29日
 ずいぶん久しぶりに「岡田(学)さん」とチャット。
お元気そうで、相変わらずがんばっておられるみたい。
元ユニバックの人、3人もタイで「暮らしている」そうだ。タイも広くて連絡の取りようがないけど・・・。街中なのか田舎なのか。

何もない。 2004年06月30日
 今日で、2004年も半年が終る。
この半年、まあまあ、大過なく過ごしてこれた。
今日も取り立てて、何もない。
年とともに、元気、活力はなくなるが、仕方ないこと。
初めて、ここへ来た頃、無謀にも、「野蛮人」たち相手に、「腕相撲」をしたことを思い出した。そんな「怖いもの知らず」だからこそ、こんなとこへ来て、そこそこにやってこれたのだと思う。



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