チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2004年07月 INDEX

2004/07/01 「虎の子」の日
2004/07/02 VISA更新
2004/07/03 中古ディーゼル発動機購入。
2004/07/04 また、犬が2匹増えちゃった。
2004/07/05 「メロディアン」復活
2004/07/06 ケサリン誕生日
2004/07/07 今日は暑い。
2004/07/08 車の修理
2004/07/09 車微調整
2004/07/10 向かいの娘「スク」、逝く
2004/07/11 「スク」の葬式
2004/07/12 「スク」の火葬式
2004/07/13 「ロンドン」販売停止か
2004/07/14 ビデオ(日本の番組)をみる
2004/07/16 車のリモコン故障
2004/07/17 チェンライで「鯛」の刺身
2004/07/18 道路工事!
2004/07/19 芝刈り
2004/07/20 「かんぴょう」作り。
2004/07/21 「オリアン(チャムトーンの子犬)」が喰われた!
2004/07/22 お寺のスポンサーのお宅へ
2004/07/23 音楽のダウンロード
2004/07/24 大雨降る
2004/07/25 魚とり
2004/07/29 なんとなくスランプ
2004/07/31 「茸うどん」を作る。
2004年7月の日記

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「虎の子」の日 2004年07月01日
 タイでは、ボーイスカウトを「ルーク・スア(虎の子)」という。
毎年、7月1日は、ボーイスカウトの日と定められているらしく、訓練のため近くの林の中に出かけた。女子は、ガールスカウトではなく、「赤十字少女隊」の服装で、虎の子と一緒に訓練に出かけた。ふだんも、毎週木曜日には、小学生から中学生まで、ボーイスカウト、赤十字少女隊の服装で登校しているが、その日の授業は、ほかの人そんなに変わっているふうには見受けられない。いつごろから始まったのかは、知らないが、おそらく、「ベトナム戦争」の頃の反共教育と関係があるものと思われる。タイのボーイスカウト教育は(軍隊すらも)、いわゆる「軍国主義的」な厳しい規律などは教えられない風である。タイの社会にとっては、いいことかどうかは、考えさせられることが多い。本当のところ、もっと社会道徳を厳しくしつけたほうがいいのではと思えるが、教師を含めて、大人たちが、あまりにもいい加減で、そんなことはできないのかもしれない。先だっても、わが村の新任の女教師が、キャミソールにミニスカートで登校し、好調に大目玉をくらったそうだ。タイでは、肌の露出過剰は、教師でなくても顰蹙を買うくらいなのに。

 右手の指、2本を大怪我して、ちょうど一年になるが、いまだに全治しない。小指と薬指だから、まだいいようなものの、親指や人差し指だったらと思うと、考えただけでも、ゾットする。まあ、ラッキーだったというべきかも知れない。

 昼過ぎ、井上さんが、日本人(三木さん)ご夫婦を連れてチャムトーンにこられた。「バーン・ムアンカム」にお住まいとのこと。我が家から、15kmほど東へ行ったところ。
 今週の土曜日に、チェンライで日本人会の集まりがあるとのことで、お誘いを受けたが、出かけるつもりはない。夜にわざわざ、チェンライの町まで出かけて、「不愉快な」思いをすることもあるまい。集まっている「人種」が好かん。日本に住んでいたとしても、この種の人間の宴会などには絶対出席はしてないと思う。タイに来ている日本人って何でこんなのが多いんだろう。やっぱり、タイはダメな日本人の「ゴミ捨て場」なのかもしれない。やだね。何をやるにしても、そんなこと日本へ帰ってやったら、といいたくなる。日本でできないことが、タイなら出来るなんて、考えないほうがいいよ。恥を知れ。

VISA更新 2004年07月02日
 年一回更新している、滞在許可VISAがやっとおりた。相変わらず、時間のかかることで・・・。
 普通の日なのに、メサイは結構にぎわっていた。経済が回復してきた証拠か。なんとなく、バブルの頃に近づいてきた雰囲気。

中古ディーゼル発動機購入。 2004年07月03日
 手押し式の芝草刈機用に、中古のエンジンを買う。5.5馬力。比較的新しい。持ち主が長らく使用しないまま、ほってあったものを、修理屋で修理して売りに出したもの。新品で買うと、7000バーツ(2万円くらい)するものを、3800バーツで。 以前、芝刈り機についていたエンジンは、しばらく家を留守にしている間に、野菜畑の水撒き機用に流用されてしまい、いちいち取り外したり、取り付けたりするのが面倒で、中古のエンジンを探していたところ。これで、刈りはらい機で腰が痛くなるなんてこともないし、きれいに芝刈りが出来そう。

 しばらくぶりにチェンライへ。プリンター再度修理に出す。この前頼んだ店が、なくなっていてあわてたけど、同じビルの中の直ぐ近くに越していて一安心。「M&Y computer」という店だが、商売繁盛なのか、いぜんの2ばいくらいに拡張していた。
 写真がきれいに印刷できるので、今のEPSON、まだ、捨てるのは惜しい。インクもロール紙もだいぶ残っていることだし。ただし、修理できるのかどうかは定かでないが。EPSONのバンコク駐在員の話だと、このモデルは部品交換の必要のある故障だと、タイでは修理不可能とのことだが。

 SONYのモニターはまだ修理できてない。簡単そうで、難しい故障らしが・・・。

 メコーで買い物。「塩イカ」に挑戦。軽く茹でて、塩をたっぷりかけて冷蔵庫へ。こんなもんで、「塩イカ」ができるのかどうか不明だけど、例によって「怖いもの知らず」の挑戦。うまく出来たら、「塩イカのきゅうりもみ」が楽しみ。金子氏の調査(?)によると、「長野県」にしかないものらしい。「チェンライ」も「内陸県」なので普及するといいけどな。とにかくこの辺の人たちは「海産物」を食べるようにしないと、ヨウド不足による「バセドー氏病」が多いから。

 刺身用に「ソーダかつお」と「グルクマー」を購入。「グルクマー」というのは、このあたりでは、「パ・トゥー」といって、小さな蒸し器に乗って売られている首の曲がった魚。生まれつき首が曲がっているのかと以前は思っていたが、そんなはずはない。小さな蒸し器に、むりやり押し込めるために、首の骨をおっていることを、ずっと後になって知った。知人から「鯵のたたき」にするとおいしいよと聞いて試してみることにした。

 日本米購入。新米の季節である。5kg、150バーツ(400円ほど)は安くないけど、おいしければいいや。

また、犬が2匹増えちゃった。 2004年07月04日
 義弟のタウィたちが、手がやけて、飼いきれないと手放すことになり、犬肉にされそうになり、引き取ることにした。「マイケル」と「オーウェン」、ともに、フットボールの有名選手のなまえを頂戴したらしい。お寺から子犬の時に引き取ったもので、我が家の「ビック」と外見は全く異なるが、同腹の兄弟である。すでに成犬で我が家の犬たちと仲良くやれるかとても心配。肉にされると聞いて、我が家のボスはいても立ってもいられなくなり、後先考えずに、譲り受けることに・・・。
 これで、我が家の犬は、チャムトーンの3頭とあわせると、全部で15頭、今までの最高頭数の記録と並んだ。このほかにチャムトーンには、三日をあけずに、2頭の子犬がやってくる。

「メロディアン」復活 2004年07月05日
 数日前から、娘が「メロディアン」をいじり始めた。15年以上前に、日本の親戚からいただいてきたもの。当時すでに、日本の子供たちは、音楽の授業の必修だったのだろう。一人一個は「メロディアン」を持っていて、小学校を卒業すると使わなくなり、どこかにしまわれてしまっていたものを、2,3個いただいてきた。当時は、タイの田舎では、「鍵盤楽器」なんてものもなく、大人たちが珍しがって遊びで吹いた程度で我が家でも、棚の奥のほうにしまわれたままになっていた。こんな田舎での、最近は、「キーボード(簡易シンセサイザー)」もみられるようになり、中学校で「メロディアン」も使われるようになった。とはいっても、日本のように各人が持つなんて事は不可能で、学校全体でもせいぜい数個しかないのが普通。
 音楽の授業で「メロディアン」のことを習ったのか、「タイ国家」を吹き始めた。ドレミは教えても、音符は教えないのだろう。全く楽譜は読めない。音符の下に、ドレミを書き込ませて練習するようにさせた。
 タイの田舎の音楽教育は、中学生でも、日本の小学校の低学年にも及ばないのではと思われる。それなのに、音楽の演奏のセミプロ級の人たちを、時々見かけるが、たいしたものだと感心する。高学年になれば、音楽の演奏を教える「私塾」のようなものはあちこちにあるらしいのだが・・・。

 そんなわけで、我が家の「メロディアン」にも、やっと、日の目を見ることになった。日本の元の持ち主は、当の昔に成人してしまったことだろうが・・・。日本の家庭で眠っている「メロディアン」などの初等教育用の楽器を、途上国に寄付する運動もあるようだが、とてもいいことだと思う。「音楽」は、翻訳の必要のない「国際言語」なのだから、大いに音楽教育を盛んにしてもらいたい。

 復活といえば、我が家の「芝刈り用の草刈機」も今日見事に復活した。エンジン以外にも、刃やボルトなどいろいろ新しくしたが・・・。

ケサリン誕生日 2004年07月06日
 夜半からずっと降り続く。いつもなら、誕生日の「タンブン」は早朝6時頃、出かけるのだが、雨で8時過ぎに延期。昨日からの、雨量は100mmを越したものと思われるが、メカム川の上流ではそれほどでもなかったのか、川の増水はほんのわずか。
 誕生日にお寺参りするなんて、ほかの国でもあることなのか。このあたりでも、数年前までは、そんなことしてなかったように思われるのだが・・・。

今日は暑い。 2004年07月07日
 このところ雨模様の日が続き、数日は過ごしやすかったが、今日は暑かった。ただし、朝は、ちょっと冷え込み(?)、最低気温22度。寝冷えする気温。

 「サツマイモ畑」の草取りをお願いする。畑といっても、山の緩斜面に2年前に、日本のスーパーで買った芋を植えただけ。収穫するだけで、たいした手入れもしてないが、とてもおいしい芋がたくさん取れるので、雑草との競争だけは協力してやることに。ほっておけば、やはり地元育ちの雑草には勝てない。これで、「犬」「猫」さえちゃんと役割を果たしてくれれば、今年もおいしいサツマイモが食べられそうである。

 別の山の畑には、「竹」を植えてもらう。硬質の竹で、たけのこも食用になるが、将来の財産。今でも一本、20バーツで売れる。昔は、家の建築材料に使われた丈夫な「竹」。

 今日は日本では「七夕」だけど、このあたりには、そんな習慣はない。

車の修理 2004年07月08日
 前々から、足まわりが少々具合悪いことはわかっていたので修理を依頼する。
「ショックアブソーバー」全部交換。前輪用:3500バーツx2、後輪用:1600バーツx2。しめて10200バーツ(工事費込み)。高い。
ついでに、時々エンストするので、アイドリング時の回転数を少し上げてもらう。750〜800回転。
 別のタイヤ交換の工場で、車輪ぶれのチェックをしてもらったところ、前の駆動輪と車軸を連結する関節状の部品にだいぶガタが来ていて交換することに。検査料、ギアオイル交換など含めて、6280バーツ。こちらのほうは、まあまあ、リーズナブルな料金といえる。
 それにしても、ずいぶんと出費してしまった。

 宇都宮から、生活用品などの小包届く。いつもながら、感謝感謝。

車微調整 2004年07月09日
 昨日修理手もらった車、走行中わずかに左にぶれるので微調整してもらった。昨日は就業間際でというか、最後は就業時間を過ぎていたため、ちょっと調整が不十分だったと、弁解していた。それにしても、この工場の工員(まだ30歳前後)は、タイ人らしからぬ仕事振りで、好感が持てた。昨日も帰り際に、もし不具合があったら、直ぐに来てくださいとまで行っていた。彼ぐらいちゃんとした仕事をする工員なら、日本でもそんなにはいないのではないかと思われた。帰りしな、ケサリンも小生の満足度を推察してか、チップを100バーツ渡していた。滅多にないことである。

 別の工場の「ショックアブソーバー」を含めて、交換部品は回収してきた。ショックアブソーバーはまだ使える可能性がある。

 民具雑貨やで呼吸のような楽器を購入。290バーツ。演奏しなくても飾り物でもいいやと買った。安い。そのほか、物好きな来客用に「カントーク・テーブル(昔スタイルの籐製食卓)セット」を購入。930バーツ。

向かいの娘「スク」、逝く 2004年07月10日
 昨夜半、我が家の犬たちがいつになく吼え、なかなか、啼き止まなかった。とうとう来るときが来て、その時間に、向かいの「ナン」おばさんの娘「スク」が亡くなったのだということがわかった。彼女の闘病生活は長かった。発病したのは、この2〜3年のことらしいが、HIV陽性がわかってから、かれこれ10年以上になる。昨春、「脳炎」の症状が出て、一時実家の「ナン」おばさんの所へ帰ってきていたが、経過が良くてバンコクのご主人の所に戻ったりもしていたが、この春先、また具合が悪くなって、帰省してきていた。5月頃からは、自力歩行も出来なくなり、日々、衰弱して行った。もうだめだろうということが何回かあったが、昨日まで生きながらえてきた。

 彼女は、「エイズ」に感染しているにもかかわらず、バンコクの若者と結婚した。多分、そのことは隠さず話していたものと思われる。若者は、「インスタント・ラーメン」工場で働いている華人系の男だそうだ。彼女の実家は、わが部落内でも、かなり貧乏なほうで、彼女が、帰省してからも、2000バーツ、3000バーツと頻繁に送金してきていたらしい。彼は、妻の死去の報を聞き、今朝早くにやって来た。おそらく、一番の飛行機の便で来たものと思われる。今は、息をしなくなった彼女と対面し、あたりかまわず男泣きに泣き、出された食事にも、手をつけなかったそうだ。彼女の方も、いまわの際になって、彼に会いたいと、心もとない声で懇願したそうだが、かなわなかった。彼女は良い男と結婚したと思う。
 タイに住む華人系の人たちは、先祖が大変な苦労をして移住してきて今があるわけで、一般には、もっと割り切っていて冷淡な人たちが多いように思い込んできていたが、そうではない人たちもいることをはじめて知った。ただ残念なことに、人が良い家族は、経済的には恵まれていないように思われる。彼の母親は、「コラート(東北地方の中心都市)」で、やはり工場で働いているそうだ。母親も、明日には、駆けつける予定とのこと。この家族に幸多かれと祈ってあげたい。

 

「スク」の葬式 2004年07月11日
 「スク」の葬式は、3日2晩で行われる事になった。予算が少ないことと、亭主一家が遠方から参列していること、さらには死因が「エイズ」であることなどによる配慮からと思われる。亭主の家族は両親はじめ数人が「コラート(ナコンラーチャシマ)」から駆けつけていた。
 葬式では、出棺の折、亭主の身内はじめすすり泣くものが数多く見受けられた。とても珍しいことだ。人前で涙を見せることがないこのあたりの人たちも、倫理観がかわって来たのか若い人たちを中心に10人近くの泣き顔が見られた。
 「スク」は、一時期バンコクで歌手の真似事みたいな仕事もしていたようで、帰省した折もよくカラオケで歌っていた。病気がかなり重くなって、すでに自力では歩けなくなってからも、彼女の歌うカラオケの大きな音が近所に流れていた。葬式でも、彼女の好きだった曲が流され、それを聞いて葬式の裏方で集まった近所の女性たちも涙していた。

「スク」の火葬式 2004年07月12日
 「スク」が煙になった。
少し、さびしい葬式だった。

 昨日からのデジカメの写真を「VCD」に焼いて、夕方、渡した。

日本では、参院の選挙の結果が出た。民主党が躍進したらしいが、大して変わりばえするとも思えない結果に終った。昔の社共のように反自民の票の受け皿がないためではないか。

「ロンドン」販売停止か 2004年07月13日
 日本にいる間、長いこと「ロング・ピース」党だった。なかなか似たタバコはないものだが、こちらに戻って偶然にもよく似たタバコを見つけた。「LONDON KING SIZE」というシンガポール製の輸入タバコである。輸入とはいえ、タイ政府の証紙が貼ってあり、ケースには「心臓病を誘発しますよ」と脅し文句の注意書きが、タイ語で印刷されている。「ロング・ピース」同様に強力なタバコだが、日本のタバコのようには、ケースにニコチン量は明記されてはいない。一般に外国のタバコは、タイもそうだが、あのタバコのくさい匂いがきつい。「ロンドン」は、ロング・ピース同様、喫煙後もそれほどには臭くない。
 その「ロンドン」が、この一ヶ月ほど前から、品切れ状態の店が多くなり、ひょっとして、輸入しなくなったのではないかと、とても心配している。一昨日など、ずいぶん遠くまでタバコやめぐりをしたが、わずかに5箱ほどしか手に入らなかった。これでは、夫婦の2日分くらいにしかならない。カミサンは、タイのタバコに変えようというのだが、タイ製でもっとも近いものが「クロンチップ」だが、やはりかなり臭く、辛い。
 タイの街場では、日本以上に、嫌煙運動が盛んで、いまや、喫煙者は野蛮人扱いされているようだ。そんな事情もあってか、いまやタバコの税収に頼らなくても良くなったのか。そんなわけで、輸入が取りやめになったのかもしれない。
 メサイに行けば、ミャンマー製の闇タバコが格安で手に入るが、密輸品のため、いつ捕まるかわからない。危険を冒して、常用するわけには行かない。
 「ロンドン」なくなったら、どうしよう。

ビデオ(日本の番組)をみる 2004年07月14日
 久しぶりに、機器の点検をかねて、日本で撮りためたビデオ・テープを見た。
長いこと(2年余り)使用してなかったため、ビデオ装置は、調子悪かった。我が家には、現在、松下電器製のビデオと同じく松下製の横長テレビに付属しているビデオ装置の2つがあるが、後者のほうは、ビデオ装置ばかりか、画面の色も調子が悪く、買い換えるというものを、近所の人から譲り受けた年期もので、あちこち随分修理した。
 余談だが、松下のアフターサービスは、「世界最高」ではないかと思う。我が家では、洗濯機(全自動)は3台続けて「愛妻号」だが、以前、故障したときに(家人が誤って、200Vのコンセントに・・・)、丁重な手紙とともに無料で、制御基盤を送ってもらった。その後も、調子が悪かったとき、やはり、別の制御基盤を無料で提供してもらった。購入時は、他社のものより若干高価ではあるが、これだけアフターサービスがいいと、高いとは思えない。それに比べて、「SONY」のサービスは悪かった。松下は、家電業界では、まだまだ世界のトップレベルを維持できると思われるが、「SONY」の将来は、明るくないと思われる。

 ともかく、長い間使用してなかったため、最初は全く画面が表示されず、「ヘッドのクリーニングをお勧めします」なんて表示され、支持にしたがって念入りにクリーニングしたところ、4〜5年前に録画した、3倍速の画像であるにもかかわらず、鮮明な画像が再生されたのには、ちょっと驚くくらいだった。最近はテープ自体の性能耐久性も随分良くなったものだと思う。「カビ」も生えていなかった。
 お蔭で、一日楽しませてもらった。100本あまりのストックがあるので、しばらく楽しめそう。

車のリモコン故障 2004年07月16日
 車のドアのロック用のリモコン装置が故障。
以前にも何回か調子が悪くなって、ロック解除できなかったことがあったが、鍵を使用して中に入り、ゴチャゴチャやっているうちにエンジンがかかった。今回は、どうしてもロックが解除できなかった。チェンライへの帰りに「バンドゥー」の市場前に停車して、さあ帰ろうとリモコンでドアロックの解除をしたが全くだめ。いつものようにキーを使ってドアを開けエンジン始動してもうんともすんとも言わない。久しぶりの炎天下で、滝のように汗が流れいらいらするばかり。近くに修理できそうな店もなく、仕方なく、「ソンテオ」に乗ってチェンライの町外れの行きつけの修理やさんへ。こんなことも経験があるのか、直ぐに車の止めてある場所へ。結局、リモコン装置のロック解除側のスウィッチが調子悪いとのことで、装置を働かないように電気回路に細工をして、エンジンがかかるようになった。ほんの2〜3分の作業。リモコン装置は、修理してもらうことに。
 ハイテクというのは、いったん故障すると、ほんとに手に負えないものだとつくづく思い知らされた。「やだねったらやだね♪」、演歌の一小節が口をついて出そうになる。ただ、これだけのことだが、この一時間ほどの間、炎天下でほんとにたいへんな思いをした。

 修理に出していた「EPSON」のプリンターは、一応なおった。なんとなく調子悪そうだが、チェンライではこんなものかもしれない。写真の印刷にだけ使うことにしよう。あとは、安物の「CANON」で。
 「SONY」のモニターは、相変わらず修理できていない。チェンライの家電製品などの大手老舗の「タウィヨン」がSONYの代理店らしく、そちらに部品の手配をしたとか。今後、SONY製品が故障したときは「タウィヨン」に持ち込んだほうがよさそう。
 「BRAUN」のシェーバーの刃に穴があいてしまい、売っていそうな店にあたってみたが、本体すら売ってない。「電気かみそり」なんて、タイ人はあまり使わないみたい。そういえば、ひげの濃い人には滅多にお目にかからない。これから、インターネットとかいろいろ探してみないと。

 チェンダオの高橋さん、矢田部さんと来宅。自宅で取れたラムヤイお土産。我が家にもあるが、まだ熟していない。雨が多く、今年はいくらか遅いのかも。
 明日我が家の池で釣りをして「テラピヤ」の刺身を作ることに。

チェンライで「鯛」の刺身 2004年07月17日
 高橋さんと谷田部さんが釣りをしにこられる。
刺身用のおおがたのテラピアはほとんどつれなかったが、とにかく、刺身を作る。頭部を出刃包丁で切ると、「活きじめ」状態になり、鮮度が落ちない。あらの一部で「潮汁」まがいのスープを作る。ご飯以外は、すべて、チャムトーンで調理。刺身はまあまあの味だった。お二人には喜んでもらえたようで、ともかくも良かった。

 あまり釣果が上がらなかった理由のひとつは、前から予定していた(らしい)、「ホテイアオイ」の排除作業のため、大勢人が出入りしたことによるようだ。水面の8割くらい「ホテイアオイ」に覆われてしまい、魚の成長にも良くないばかりか、釣りをするのにも不便だったが、これでだいぶすっきりした。

 今日は一日いい天気、と思っていたら、夜7時過ぎ雷雨。一瞬停電も。

道路工事! 2004年07月18日
 子供たちに手伝わせて、チャムトーンの入り口前の道路の補修工事をした。重い大型のごみ収集車が、頻繁に通るため、未舗装道路の痛みが激しく、ところどころで「サニー」の腹をこするようになった。わずか50mほどの区間だが、疲れた。
 下の養魚池の「ホテイアオイ」一部移動。こちらのほうも、「水遊び」をかねて、子供たちに手伝わせる。
 ケサリンは、「キノコ採り」、あまり取れなかったが、香りのいいキノコがあり、「澄まし汁」にする。これは結構いけた。「マツタケ」に似た香りがした。カナダ産の「マツタケ」に似た色、かたちをしていた。

 一日中炎天。室内でも、30度を越していた。

芝刈り 2004年07月19日
 芝を刈る。タダそれだけのことだが、エンジンがうまくかからなくて、てこずる。芝刈り機の刃も磨耗(?)して、研ぎなおし。結局、2時間ほど費やす。

 電球交換。ただそれだけのことだが、新築以来交換してないところが何箇所もあって、照明器具が高い天井についていたり、メサイで買ってきた、3個100バーツの電球式蛍光灯に最初から点かないものがあったりで、てこずる。スーパーや量販店では、100バーツだしても、1個も買えないのだから、ひとつふたつ壊れていても仕方がないか。

 猫用の雑草を植木鉢に植えて、部屋にいれてやる。直ぐに、食べ始める。

 蒸し暑い。雨なし。

 昨日から、また、花壇の「ゼフィランサス」いっせいに咲いている。こんな光景に出会えると日ごろの苦労も苦労じゃなくなる。至福。

 「コーラ」は敵が多くなり、今までのように、のさばれなくて、さびしそうにしている。というより、見方になる犬は一匹もいない。人間だったら、今、死にたい気持ちになっているのでは。かわいそうだが、序列が落ち着くまでは、出来るだけ介入しないほうがいいと思う。何匹か、オスを去勢したほうがいいかもしれない。

「かんぴょう」作り。 2004年07月20日
 なかば野生化した「夕顔」の実を近所から手に入れ、「かんぴょう」を作ってみる。以前、このあたりで日本の業者からの委託で「かんぴょう」を作っていたが、その子孫ではないかと思われる。肥料などやってないので、身はかなり小型で、果肉も薄いので2個だけだとちょっとしか作れなかったが、さて、どうなりますか。

 昼過ぎ、ごく短時間だが、強い雨風。

 東京の最高気温は、39.5度で観測史上の最高気温だそうだ。さぞ、暑かったことでしょうね。チェンライと比べてどうなんでしょうか。ちなみにこちらの今日の最高気温は、31度。39.5度というのは、4月の「ソンカーン(タイ新年)」の頃といい勝負。

 「90日報告」を入管に郵送する。郵送でもいいなんて、どんな効果があるのか疑問。

「オリアン(チャムトーンの子犬)」が喰われた! 2004年07月21日
 ケサリンは、朝からご機嫌がすこぶる悪い。当然のことだが、可愛がっていた子犬が食べられてしまったらしいのだ。毎朝、子供たちを送って行ったあと朝食もそこそこに、チャムトーンへ行き、犬と猫に餌をやり、猫のトイレを取り替えるのが日課になっているのだが、車で近づくと車の音を覚えていて、犬猫が門のところまで迎えに出てくる。今朝は「オリアン」の姿が見えなかった。異常事態を直感して、寝泊りしている義父に問いただしたところ、昨日夕方から隣の小屋へ行ったきり戻って来ないので「死んでる」かもしれないとのこと。「死んでる」ということは、この場合「食べられた」ということに等しい。
 ただこの子犬については、「所有権」でちょっとあいまいなところがあった。我が家の小屋の奥に井上さんの土地があるのだが、そこには常時、山岳民族などの使用人が住み込んでいる。以前、その小屋の番人として雇われていた「ジー」なる、タイヤイがどこかからもらってきた子犬で、餌をほとんどやらなかったりして、面倒見が悪いため、しばしば、我が家のほうに来て上をしのいでいたのだが、ちょっとした「いさかい」があって解雇されてしまい、数キロはなれた別の「職場」に越して行ってしまい、我が家で面倒見ることになった。もう、2ヶ月以上前のことである。2ヶ月も我が家で飼われていて、われわれは、もう我が家の犬のつもりをしていたが、「ジー」にしてみると、あいかわらず彼が飼い主のつもりでいたのかもしれない。
 小さな子犬も2ヶ月もすると結構大きくなり、さぞや食べ応えもあったことだろう。
毎日のように、遊んでやり、「ノミ」とりをして可愛がっていたケサリンが不憫。
 彼女が怒るわけはほかにもある。番をしている父親が、役立たずで、そのくせあれこれ言い逃れやわがままを言うこと。親子関係をかなりうるさくしつけられてきたのか、面と向かって責めたりなじったり出来ないの当然としても、子から親に対してお願いすら容易でないらしい。
 特に仕事のないケサリンが、日々、昼食を作ることになっているのだが、今日はそんな気にもなれず、何もしないため、昼食はほかのものたちが野良仕事から帰ってからやっと支度が始まり、1時過ぎになってしまった。

 芝生の移植。花壇の周りの草取りをしていたら、不要の芝がたくさんあって、ただ捨てるのはもったいないので、別のところで生かしてやった。

お寺のスポンサーのお宅へ 2004年07月22日
 昼から、チェンライに住んでおられる「山のお寺」のスポンサーのお宅へ坊さんを連れて行く。現在建設中のお寺のチェディの寄進者とのこと。8月にスポンサーの知人ご一行様が、バンコクから「寄進旅行(パパー)」にやってくるので、案内状を作る資料をもってこいとのことで、坊さんじきじき持参というわけ。何しろ、日本円にして総額では、何百万円かの代物だからスポンサーをないがしろには出来ない。
 チェンライの街中に住む華人系のお宅で、行ってみてびっくりしたが、奥方様が、小生行きつけの「カシコン(旧農民)銀行」メチャン支店の支店長を最近まで勤めていた才女(婆さんだが)。何回かお会いしているはずだが、当然相手はこちらのことを覚えてはいないようだった。
 さすが元銀行の支店長さんで、坊さんが持参した資料を四方山話の傍らに、さっと目を通し、われわれの見ている前で、誤植を左手に持ったボールペンで修正し始めた。間違っているからといって、何も坊さんの目の前でなおさなくてもいいのにと思ったが、これは日本人だけが感じることかもしれない。客に恥をかかせないで、後でなおせばいいものを。華僑の多くが持っている「傍若無人」ぶりを感じた。他人様のことなど考えていたのでは、貧乏から脱却できないのだろうけど。
 お宅には、新車の「ベンツ」ほか複数台の車があり、結構な金持ちらしい。ご主人(マスオさん風)の話だと、メチャン界隈にもかなりの土地を持っているらしい。息子さんはお医者さんだそうだ。金持ちの華僑らしく、屋敷は狭いが家の中は随分きれいにしている。病弱の高齢の母親は、たいへんなきれい好きで、お手伝いさんに煩く言って四六時中掃除させているらしいが、タイへやって来た当初の苦労が想像できる顔やみなりをしていた。今でも、金持ちにしては、質素なんだと思われた。

音楽のダウンロード 2004年07月23日
 しばらく前から、インターネット経由で、音楽を聴くことにこり始めている。ジャンルは「五目飯」でおおむね何でもござれである。インターネット経由といっても、スピードの遅い電話回線では、ストリームで聴くわけには行かないので、便利なソフトを使って、取り込んでから聴いている。実は、このソフトは、「著作権法」に引っかかるらしい。日本やアメリカで、摘発されて高額な賠償金を請求されるケースがあったらしい。チェンライなんて外国の片田舎にいては、たとえ法律違反とはいえ、こんなことでもしないと聴きたい曲は手に入らない。とにかく重宝する仕掛けである。
 このソフトを同時に動かしている、世界中の非常にたくさんの人たちの持っている音楽から選り取りみどりで曲が選べる。ところが、自分の持っている曲を、むやみに誰にでも持っていかれないような「監視プログラム」というものがある。もともとの仕掛けは、外国製なのだが、この監視プログラムはどうやら日本製らしい。なんとなく日本人が考えそうな、言ってみれば「姑息な」仕掛けである。使っていて感じたことだが、他人からもらう一方で、自分のものはあげないというヤカラがいる。この監視プログラムを使うと、ある程度そんな不届きなヤカラを見つけることが出来る。摘発されるのが恐ろしいのか、もらういっぽうの人は日本に特に多い。一般には、外国人の場合は、マナーとして自由に他人からもらう代わりに自分のものも積極的に公開している。日本の場合は、「こそ泥」のように、他人のものを取ってくるばかりの物がかなり多い。
 何事につけ、細かくておおらかではない「日本人気質」のサンプルを見ているようで、ちょっと悲しくなる。

大雨降る 2004年07月24日
 昨夜はずっと降りっぱなしだった。おそらく、年間雨量の一割くらい降ったのではないか。今日予定していた、田植えは、田んぼが冠水して明日以降に延期。それでも、新しい土手が出来たお蔭で、道路を車が通れないなんてことはなくなった。
 今日は、女性たちは終日魚とり。
また珍しい魚が取れた。ちょっと見、形は鯰に似ているが「ギギ」の仲間らしい。メコン川から上ってきたものではないかとのこと。なんとなく気味の悪い黄色のぶちがある。
右の写真のとおり。体長は20cm足らず。

 体長30cmほどの「すっぽん」も捕れた。
明日当たり「スッポン鍋」が味わえそう。昔は、体長50cm以上もある超大型のものもたまには捕れたらしいが、今ではもう捕れなくなった。乾期に電気を使って根こそぎ捕っちゃうからだそうだ。

魚とり 2004年07月25日
 今年は養魚池を完全に干してから稚魚を入れなかったため、給餌をしても、成魚が皆食べてしまい、稚魚の成育が遅い。そのため、成魚を捕獲することに。「ネン(刺し網の一種)」を仕掛ける。1回目はまあまあ捕れたが、魚も賢く2回目からはほとんど取れなかった。10kgほどしか。
 午前中は、田植え。ケサリンだけ手伝い。苗の生育が悪く苗不足。近所で苗の余っている農家を探したが、今日のところは見つからず。

 「スッポン」、一部スープにしたが、あまりおいしく出来なかった。なんとなく気味が悪いせいもあるのかも。ずっと昔、子供の頃、半田市の親戚を訪ねたとき、知らずに食べさせられたことがあったような記憶があるが、その後は食べてないかも。何でも好事家たちには、精力がつくとかで結構高価なものらしいが・・・。

なんとなくスランプ 2004年07月29日
 たいしたこともないけど、「日記」など書く気しない。なんとなくスランプ状態。
芝を刈る。カオパンサ(雨期安居)も近づき、世の中そわそわ。明後日が「ワン・マカブチャ」(俗にローソク祭りと云うらしい)。

「茸うどん」を作る。 2004年07月31日
 うどん用にとかみさんが買ってきた「万能粉」で茸うどんを作ることに。しばらく前に、「紫シメジ」の仲間らしき茸を採ってきて、味も香りも結構なもので、これで「茸めし」か「茸うどん」を作るとさぞおいしいだろうということになり、今度茸が出そうなときにはうどんにしようと決めていた。
 今日は絶好の「茸採り」日和ということで、まだ茸が手に入ってないうちから、うどんの粉を捏ね上げた。粉が出来上がるのを待たずに、女性たちが茸採りに向かう。留守番部隊は、一時間ほど粉を寝かせた後、うどんつくり。今回は、以前買っておいた「麺類製造機」をはじめて使う。小型だが、おなじくらいの大きさのものが日本だと、1万円以上するようだ。こちらでは、中国製だが1500円ほどで手に入れた。小麦粉のグルテンが不足気味で、仕上がりはいまいちだがまあよしとするか。冷麦や蕎麦も出来そうだし。「だし」はちょっとばかり贅沢で、「煮干」、「花かつお」、「昆布」、これらはすべて頂き物。いただいた人に感謝感謝。これらの「だし」の材料は、たいへんな貴重品で、ケチケチしか使えない。当分は手に入りそうもないものだから。そのほかに、「鶏がら」、これは一羽分、50円ほど。「味醂」の代用で「忍(しのぶ・タイ産の日本酒、とても安くて重宝している。一合ビンで20円くらい。)、後は、醤油、これは「チェンライ」産の大豆醤油(「ヤマモリ」)、塩は、タイ産の天然塩、とてもソフトな塩である。
 うどんも、半分ほど茹で上がり、だしも出来た頃、茸が「大量に」やって来た。今日はまた、年に一度あるかないかの「大収穫」。
 早速だし汁の中に「茸」をぶち込んで、「茸うどん」完成。この味を知っている、娘とかみさんは、大満足。自家製の「一味唐辛子」をかけて食べると、まあまあの味である。ただ、少々の不満は、粉が最適ではないこと。この次は、自分でミックスして作ろうと思う。
 かみさんたちは、うどんを平らげた後、休むまもなく近所の人たちと誘い合せて、再び「茸山」へ茸採り。そんなにとってどうするの。

 昼前、親戚付き合いしているアカ族の「ネー」が「たけのこ」をどっさり届けてくれた。漬け込み用の「たけのこ」と、「ノーライ」と言って、茹で上げたものを山賊風サラダ(ヤムノーという)にしたり、付け味噌(ナムプリック)をつけて食べるとすこぶるおいしい「たけのこ」の2種類を、あわせて40キロあまり。全部買ったとすると、500バーツじゃ手に入らないかも。土産に「ラムヤイ」を持たせてやる。後で、かみさんからは「金」払ったんだろうねといわれたが、払っちゃ失礼だから払わなかったと弁解。また、別の機会にお返しすればいい。

 ケサリンたちは、「ワン・マカブチャ」で早朝から正装して寺詣で。年に何回も着ない「ランナー・タイ衣装」、なかなか似合っている。



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