チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2005年01月 INDEX

2005/01/01 新年の実感はあまりない。
2005/01/02 長野の山崎さんからメール。とてもうれしい!
2005/01/03 久しぶりの温泉
2005/01/04 サニー洗車
2005/01/05 チャムトーンの水道修理
2005/01/06 ピックアップ、燃料漏れ
2005/01/07 「たにしご飯」
2005/01/08 「こどもの日」
2005/01/09 「間違いで」酒をあおる!
2005/01/10 タクシン首相、メチャンへ来る
2005/01/11 タクシン首相、田舎の家に宿泊
2005/01/12 メカム川をせき止める
2005/01/14 「ガス・レンジ」復活。
2005/01/15 コーヒー豆、買い付け
2005/01/16 バイク修理に出す
2005/01/17 久しぶりの買い物
2005/01/18 井上さんから、「豚」2頭いただく
2005/01/19 チェディ落慶法要
2005/01/20 「尼」さん明け
2005/01/21 メサイの入管へ
2005/01/22 病院の予約日でチェンライへ
2005/01/23 一日中チャムトーン
2005/01/24 ピックアップ補修
2005/01/25 カー・ステレオが使えるようになる
2005/01/26 矢田部さん来宅
2005/01/27 魚とり
2005/01/28 また、魚とり
2005/01/29 ノンカンの入学手続きのためチェンライへ
2005/01/30 またまた、カーステレオ交換
2005/01/31 眠い!
2005年1月の日記

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新年の実感はあまりない。 2005年01月01日
「あけましておめでとうございます」
とはいうものも、例年通り、ここ北タイの田舎では、新年の実感は全くない。昨日から、きょうにただ、日が変わったというくらいのもの。それでも、最近はテレビの中などでは、西暦の新年の「行事」みたいなものがにぎやかになってきたようだ。
今年の正月は、土日と振り替え休みで、三が日が連休になり、暮れの休みも重なって、バンコク方面からの観光客が、たいへん多いらしい。
 これまた、例年通りなのだが、「酔っ払い運転」によると見られる交通事故が多発して、外出もはばかられる。
 我が家では、きょうは午前中、昨日の年越しの「バカ騒ぎ」の後片付け。
野良仕事のある連中は、野良仕事。「野菜」つくりは、「米」と違って、何日もほっておくわけには行かない。何しろ今の時期、雨がほとんど降らず、水やりを欠かせると、
収穫にならない。
 そんなわけで、元日とはいえ、正月気分とは程遠い。
明日あたり、寒いので、「温泉」にでも行くか、なんてかみさんと話しているがどうなることか。

長野の山崎さんからメール。とてもうれしい! 2005年01月02日
 長野時代の同僚、山崎洋一さんからメールいただいた。
ご家族のお元気そうな、大きな大きな写真が添付されていた。
幸せそうな、皆さんのお顔を拝見出来て、他人ごととは思えず、幸せな気分に浸ることが出来た。
 メール送信にも便利な写真縮小用のフリーのソフトを送ってあげる。届いた写真は0.95MBあった。しかも、「添付ファイル」と本文中にも同じものが。まだパソコンの扱いに慣れていないためだと思え、ちょっと余計なことかもしれないが・・・。小生に、もし、実も子供がいたら、(実は、いた。流産で2ヶ月ぐらいで、陽の目を見させてやれなかった。この事実を、おおやけにするのは初めてで、今まで身内にも言ったことはない。)、ちょうど、山崎さんくらいの年齢になっており、甘く切ない思い出がよみがえってくる。
 チャムトーンの「ジャンボ」(超大型犬ジャーマン・シェパード)の運動。約4KM付き合わされた。戻るころには、彼の方もヨタヨタ。やっぱり、かみさんの言うとおり「軍用犬」の払い下げのようだ。国境警備の軍あるいは国境警察が老犬になると、山岳民族に払い下げるらしい。払い下げを受けた前の飼い主が、あまりの大きさで飼いきれなくなって捨てたらしい。しつけは良く出来ているので、普通の家で飼われていたものとは思えない。
 世の中便利になったもので、「箱根駅伝」3,4区を除いて、ずっと、インターネットラジオの中継で楽しむ。日本にいるのと全く変わらない。明日も、時間があったら聞くことに。
 台所の裏手の方に、すすで真っ黒になった鍋釜専用の洗い場を作る。水道配管30mほど延長工事。(この程度のことは、かみさんたちに手伝ってもらって、すべて自分だけで作業。)1時間もかからずに終了。今まで、流しで洗っていたため、洗い場が真っ黒になるので、かみさんの発案で、別の所に洗い場を作る。

久しぶりの温泉 2005年01月03日
 朝から「箱根駅伝」。チャムトーンに行ったため、8,9区ほとんど聞き逃す。
駒沢大学が4連覇。往路完全優勝の東海大は6位。
 チャムトーンで「みかん」の収穫。今年はたくさん成って、食べきれないほど。2,300キロはなったと思われるが、きょう採ったのは、10kg程度。結構甘い。
 午後3時まえ、「メチャン温泉」に子供たちを連れて出かける。家から車で、20分足らずのところにあるのだが、年に2,3回くらいしか出かけない。きょうは、観光客も多く、混雑していた。タイ人も、熱い湯船に入るようになったようだ。
 順番待ちしている間に、「温泉卵」を作って食べる。熱々のクリーミーな卵はおいしい。
 いい湯だったが、やっぱり「温泉」は、後がちょっと疲れる。泊りがけ、上げ膳据え膳でないと、気分が出ないけど、残念なことに、タイにはそんないい所はない。
 かみさんいわく、そんなにゆっくりしたいのなら、沸かし湯でもいいから、チャムトーンにでも「温泉」作ったら。ちょっとその気になりそうになる。
 朝から、午前中いっぱい、「霧」の中。寒い。
明日から、子供たち、また学校だ。かみさん、寝坊するなよと、子供たちにきつく言っていた。

サニー洗車 2005年01月04日
 3ヶ月ぶりくらいで、車を洗う。車内も、バキューム・クリーナーで、きれいに清掃したあと、雑巾がけ。二人でするとはかどる。ケサリン以外の我が家の連中は、整理整頓、後片付け、掃除、洗濯といったことには、きわめて、いい加減で無頓着で困る。
そんなことで、物がよくなくなるし、壊れる。
 かく言う小生自身も、日本人としては、かなりいい加減なのだが。
 「タイ人は、汚いのが好きなんだ」と彼女にあてこする。彼女は、半ば、普通の「タイ人」ではなくなっているのかもしれない。使用した工具や大工道具など、どんどん片付けてくれる。時には、まだ使うつもりなのに、片付けられちゃうことも。
 義父はいくらかは、「きれい好き」だが、まれに気が向いたときにしかやらない、こちらの方は、「なまけもの」。
 今朝も、深い霧。風もあり、一時、よこなぐりに「小ぬか雨」のような大粒の霧。
ハイウェーは視界100m未満。車はライトをつけてのろのろ運転。

チャムトーンの水道修理 2005年01月05日
 午前中、チャムトーンの谷の水を引いている、水道管の補修と水ための清掃を行う。
 山梨の宮川さんから、知人のタイでの長期滞在ビザの申請に関して、問い合わせのメールあり。返事を出すも。はじめての申請に関しては、自分のころとくらべると大分変わっているのではと、少々心配。

 「貧者」に土地の分配。政府の貧困農民対策の一環で国有地が払い下げられることに。昨年秋ごろから、この政策が発表されていたが、ともかくにも、やっと実現。メチャン郡では、メチャンの町を大分西へ行ったあたりの「温泉」の近くの国有地、数百ライが、分配されるらしい。そのあたりには、農地に適当な平坦な土地はないので、おそらくなだらかな山の傾斜地に違いない。自称「貧困農家」は山ほどいて、抽選になるらしいが、たとえあたったとしても、「とうもろこし」くらいしか栽培できず、あまり「貧困対策」にはならないのではと思う。
 タウィたちが、車で、近所の「貧困者」を満載して、抽選に出かけていった。
本当は、貧困の度合いの高いものから、順番に配分されるのだが、このあたりで、税を納めているものや、ちゃんと登記された土地を、ある程度以上持っているものは、1,2割しかいないわけで、必然的に抽選になってしまう。
 だけど、イサンなどほかの土地の人たちから見ると、かなり裕福に見えるらしいのだが・・・。

ピックアップ、燃料漏れ 2005年01月06日
 新年早々、またまた、車の故障。いやな予感。
 朝、子供たちを送って行こうとして、ピックアップ・トラックを少し動かしたところ、燃料タンク下に油の大きなシミ。車の下をのぞいてみると、燃料タンクの半分くらい、油まみれ。危ない、危ない。ガソリン車でなくて良かった。
 早速、修理屋へ。
夕方までには、修理完了するとのことで、夕方、とりに行く。
タンクの破損ではなくて、タンクからエンジンに給油するパイプが破損していたとのこと。ゴム管に交換。ゴムで、ほんとに大丈夫なのか心配。
 まあ、たいしたことなくてよかった。修理代、320バーツ。こちらの方も、安くて助かった。

 犬に壊されたブーゲンビリアの鉢植え、植え替え。大鉢なので1時間近くかかった。
 
 昨夜、双眼鏡で「マックホルツ彗星」を見る。彗星の尾は全く見えなかったが、かなりはっきり見えた。地球に再接近する今夜は、もっと大きく見えるかも知れない。
 昔とあまり変わらず、チェンライの空は星が良く見えて、幸せ。安物の双眼鏡ながら、「昴(すばる・プレヤデス)」星団には、30個くらいの星が見られた。

 

「たにしご飯」 2005年01月07日
 久しぶりに「たにしめし」。
この時期のタニシは、おいしいものとそうでないものとの両極端。
干上がった田からとったものは、タニシが休眠しており、長い乾期を乗り切るために、「体力」を蓄えていて、とてもおいしい。それに反して、まだ干上がっていない田で採取されたものは、いまどき餌もほとんどなくなっていて、やせ衰えていて食べる気にならない。
 国道18号を善光寺平から柏原の方へ登っていく牟礼の坂の途中の国道脇に「たにしレストラン」があり、そこで食べた「たにし料理」を思い出した。いまどきの若い人にとっては、「たにし料理」なんて「げてもの」扱いなのだろうけれど、「たにし」の味をかみしめながら、幼少のころが懐かしく思い出された。長野界隈では、「たにし」を食べられるのは、このレストランか、「権藤」あたりの気のきいた「居酒屋」か「飲み屋」くらいのもの。酒の飲めない自分にとっては、一人で、飲み屋などには行くわけにも行かず、「たにし」が食べたくなるとちょくちょく、出かけたものだった。
 ピックアップのエンジン・オイル交換。8,000kmのものを入れてもらったら、景品に、わりとまともな「ポロシャツ」がついてきた。ほんとに、タイは景品商売が好きなようだ。
 明日は「こどもの日」。1月の第2土曜。
昨日あたりから、あちこちの小学校で、こどもの日の行事がも催されている。校庭の一角に特設舞台がこしらえられていて、まわりには子供たちだけでなく、父兄も大勢見物している。入れ替わり立ち代り、子供たちが舞台に上がり、さまざまな芸を披露する。そのたびに、子供たちは、お菓子のご褒美を頂戴する。
 明日の、「こどもの日」には、近くのTV中継所の空き地でも同じようなことがおこなわれて、一部は、ラジオやテレビで中継される。「ケイ」たち、我が家の子供たちも、毎年のように着飾って、お化粧して出演していたが、今年はどういうわけか、誰も出かけないらしい。
 それでも、明日は、子供たちに奉仕する日で、例年通り、どこか物見遊山に連れて行かなければならない。
 今朝は、そんなに寒くはなかったが、50m先も見えないほどの濃い霧だった。
 昨夜の「マックホルツ」彗星は、気のせいでほんのわずかに尾が見える程度だった。今回の彗星は、この程度のものかもしれない。それにしても、目が悪くなったなと思う。双眼鏡だとこんなにたくさん、シャープな星々が見えるのに、肉眼では、日本の街中で見た夜空とあまり変わりがない。年のせいとはいえ、もうダメだね。悲しいね。
 

「こどもの日」 2005年01月08日
 子供たちの「物見遊山」は、タウィに任せる。
メチャンの「トーショドー」、「チェンライ空港」(こどもの日で、催しものがあり、無料開放)、「ドイトゥン」に行ってきたらしい。
 われわれは、義父の診療予約日のためチェンライへ。
相変わらず、改善してない。今回から「薬」を変えた。薬代は、1000バーツ以上で、タイとしては随分高価な薬。
 「こどもの日」のため、どこへ行っても、車、車、車。隔世の感あり。
「BIG-C]で「ADSL」について問いあわせたら、プロバイダーのメール・サービスと抱き合わせでないものは、メチャンでは3月ころから始まるとのこと。
 パソコンのモニター、なんとなく調子悪い。やな感じ。

「間違いで」酒をあおる! 2005年01月09日
 チャムトーンの下草整理。2人、お願いする。「ラオ」と「ニー」。
よそ様に、作業をお願いしたときは、昼食、夕食を提供するのが慣わし。特に夕食では、「酒」も振舞う。今回は、昨日の「こどもの日」に、ご馳走を作らなかったこともあり、子供たちにもご馳走するということで、「焼肉パーティー」。
 熱々を、かみさんがサービスしてくれた「日本の」ご飯の上に乗せた「焼肉どんぶり」。あわてて食べて、喉につまりそうになり、そばにあった「ペットボトル」の「水」を、これまた、おあつらえ向きにその脇においてあったコップにそそぎ、一気に喉へ。「後悔先に立たず。」これがなんと40度の「焼酎」。「それは酒だよ」って、遠くの方で警告してくれたらしいが、何しろ、むせてしまいそうなわけで、そんなもの聞こえるはずがない。飲める連中は、少しはなれたところで、先ほどからやっていたので、まさかのまさか、小生のそばに「酒」があろうなんて、夢にも思わず。またたく間に、喉から胃にかけて、かっかっか。やっとのことで、どんぶりの焼肉ご飯は食べ終わったが、そのうち、手、足、顔、からだ全体が、赤黒くなり、立っているのもおっくうで、池に張り出している、桟橋の上で大の字。小半時、じっとしていたが、なかなかさめず。ケイの運転するバイクで家まで送ってもらう。
 まだ、目のまわりが、なんとなくへん。生まれつきとはいえ、下戸というのは情けないものだとつくづく思い知らされた。

タクシン首相、メチャンへ来る 2005年01月10日
 明日、チェンライで開かれる「移動閣議」でチェンライに来た、タクシン首相が、今夜、メチャンの町の「中華街」新設オープン式典に出席。
 中華街が目当てなのかタクシン首相が目当てなのか、近隣の町、村からのたいへんな人出。わが村でも家に残っている人は、老人か子供ぐらい。おそらく、1,2万人の人出で、メチャン軍の3人に2人くらいが出かけたのでは・・。
 我が家では、ケサリンがご執心で、子供たちを連れて出かけた。
メチャン警察署本署前の三叉路に新しく工事中のロータリーのあたりに、大きな特設舞台が出来ていて、右左の両隣には、大スクリーンがこしらえてあり、超特大のスピーカーも用意されていた。早い人は、ごご3時ころから来ていたそうだが、首相が舞台に上がったのは、8時半過ぎ。われわれも、1時間近く待っていた。人垣、人ごみの中をかなりずうずうしく、かき分けかき分けして、遠目ではあるが、タクシン首相の実物を拝顔することが出来た。
 2,3日まえに、下院の総選挙の公示があり、「タイ愛国党」の選挙応援の、ためということもあるのだろうが・・・。チェンライ県では、タクシン愛国党の人気は、圧倒的で、8区のうち6区は間違いなく、愛国党の候補が当選するらしい。きょうの中華街開きにも、愛国党の候補が顔を出していた。
 山のお寺の坊さんの買い物の付き合いで、チェンライへ。
この19日にチェディの「落慶法要」が執り行なわれるので、その準備のため。
こちらの方も、なかなか大掛かりな「お祭り」になりそうで、寺の門前の畑に、「ブル」が入り、臨時の駐車場までこしらえられた。我が家の前を通っている寺への道、1kmほどの沿道に、「ムカデ旗」が立てられることになっており、我が家も3本、寄進させられた。1本、100バーツ。現物がきたけど、高くはない。
 みかん畑の下草整理。昨日の続き。

タクシン首相、田舎の家に宿泊 2005年01月11日
 昨日「移動閣議」のためなどで、チェンライに来たタクシン首相ら閣僚たちは、「ホテル」にではなく、「移動閣議」の開かれる「メーファールアン大学」の近くの農家に、ホテル代を節約するため、全員民泊したそうな。首相は、パイナップル産地として名の知られた「ナンレー村」の村長宅に泊まり、「カオラム(竹筒飯)」を振舞われご機嫌だったとか。今は、選挙期間中で、「人気取り」、「票稼ぎ」と非難されてはいるが、人気取りの戦術にかけては、まことに天才である。ちなみに、首相は北タイ出身者(チェンマイ)。
 土曜日ころから、南西の風吹き始める。もう、「寒期」も終わりなのかも。朝晩は、まだかなりの冷え込みだけれども。
 西暦の暦は、チェンライあたりと同緯度のナイルの中流あたりで、出来たに違いない。12月ころが、寒さの底で、1月になると、気温は徐々にではあるがあがり始める。

メカム川をせき止める 2005年01月12日
 チャムトーンの灌漑用水用の堰の改良工事の準備で、用水側の迂回させるために、近隣の村々の農民総出で、せき止め工事を行う。1,000人以上が集まる。すべて人力仕事で、実に壮観。中には要領よくサボるヤツもいるようだが、共同作業をに励んでいるところを見ていると、タイ人もまんざらでもないと思う。(写真のとおり)
 きょうは、山の寺の「旗上げの儀式」も行われた。早朝から、坊さんの読経のうちに、寺の門前にいたる約1kmの道路の両側に、「ムカデ旗」を上げた。日本の神社の「のぼり」にもにたようなものだが、19日の「チェディ落慶法要」い見える人たちへの歓迎の意味も込められている。
 今日から、「ジャンボ」の散歩は、自転車を使用。それでも疲れる。だんだん元気になってきたようで、喜ばしい。ここが、お前の「ついのすみか」なんだから。
 「Thunderbird(Mailer)」と「Firefox(IEのかわり)」を使い始める。今のところ、全く問題なし。OEでしばしば起きる送信の不具合も解消。


「ガス・レンジ」復活。 2005年01月14日
 この家を新築したときに購入し、「旧台所」(作り付けのシステムキッチン)にあった「ガスレンジ(レンジフード付き)」を、現在使用している、地元スタイルのキッチンに移動。5人がかりで、分解掃除して使用できるようにした。当時は、チェンライやチェンマイでは手に入らず、バンコクのデパートでやっと見つけたもの。4口ガステーブルはともかく、レンジは、鶏の丸焼きなど数回使用しただけ。このまま放置しておいても、錆びるばかりで、今まで使用していたガステーブルの老朽化を機会に、「寿命」を全うさせてやることに。
 担任教師から、言われたとのことで、ノンカンの証明写真24枚印刷。使用目的など問いただすと、二転三転の返事で、きつく叱る。教師から、進学希望者対象に、写真代140バーツ請求されたらしいが、我が家では、パソコンで写真作るので、現物を提出すると返事したらしいが、進学願書受付もほぼ終ったこの時期に、なぜ、こんなに写真が必要なのか、解せない。あくまでも憶測だが、写真やからのワイロをせしめるためではないかと、かんぐりたくなる。

コーヒー豆、買い付け 2005年01月15日
 今年も我が家の「コーヒー」は、使い物にならず、1年分、買いに行く。去年と同じ、ドイトゥンのラフ(ムスー)族の「カイエン・パッタナ村」。少し値切って、キロあたり80バーツ。去年より10バーツ安いが、今年は、「アラビカ種」。22kg買った。さて、お味の方は。世の中一般では、こちらの方が、圧倒的に評価されているようだが。
 そのまま、足を伸ばして、ノンカンの母親を訪ねる。2年近く前から、「子宮癌」と診断され、今は再婚先のラフ族の村ではなく、実家に身を寄せている。30歳を少し過ぎたばかりなのに、すっかりやせてしまい、老女の顔をしていた。背中が痛いといっていた。今は「民間薬」の煎じ薬だけだそうだ。
 心から感謝される。去年夏ころから、会わせてやろうと言っていたのだが、我が家からだと50km近く、山の中に入ったところで、なかなか行けなかった。やっと行けて、ほんとに良かった。
 ずっと以前、娘の顔を見たくて何回か、我が家のあたりに来たそうだが、あいにく学校へ行っていたらしく、一度も会えなかったとのこと。
 今日、彼女の口から聞いた話だが、案の定、ノンカンの父親である「義父」は、彼女と一緒だったころ、「アヘン」を吸っていたとのこと。彼女の話からすると、それが決定的な離婚の理由のように思えた。
 写真は、ノンカンの母親と「ひいおばあさん」。「ひいおばあさん」は、80歳近いらしいが、年寄りずっと若く見えた。「ひいおじいさん」は、現在83歳だそうだが、ほとんど寝たきりとのことで、ノンカンが叔父(バンコクの大学に在学中?)に案内されて、200mほど離れたところに住んでいる「ひいおじいさん」を、見舞いに行った。よっぽどうれしかったのだろう、いっしょに行ったケイともどもに、10バーツづつの「小遣い」をくれたらしい。かみさんは、「尊いお金だから、絶対遣っちゃダメだよ」と言い聞かせていた。

バイク修理に出す 2005年01月16日
 本田のポケットバイク、チェーンがすぐ外れるため、修理に出す。15年ほど前に、ケサリン用に購入したもので、その後もたびたび故障しそのつど修理して使ってきた。ノークラッチで、スターター付きのため、バイクの練習用には重宝で、その後も、ケイら、子供たちがバイクの運転練習用に、お世話になった。エンジンはまだ快調で、廃車にするのは、もったいなくて。ちょっとそこまでのお使いにも便利。キックとプッキーのためにも。
 お寺の「落慶法要」の準備たけなわ。ケサリンは、日に、2,3度足を運んでいる。
「ソー(民族伝統楽団)」も呼ぶらしい。そのための、特設舞台が、門前の畑の中に作られたらしい。今の住職「トゥ・サック」になってから最大のお祭りになりそうだ。
 日があまりささず寒い。でも、降りそうにない。
南太平洋上で、今年の台風1号が発生したとのこと。ちょっと早いのかも。

久しぶりの買い物 2005年01月17日
 久しぶりに「マクロ(メコー)」へ買い物に出かける。
「ソーダ鰹」、「グルクマ(タイ鯵)」も買う。ともに、刺身で。
 タイ人は今、「津波災害」の余波で海産の魚介類を食べない人が多いらしい。海の生物が、被災して海に流された屍骸を食べているという噂がまことしやかに流されていて、当分は、海の魚は食べないのだそうだ。確かに、ごくまれに、「鮫」か何かに食いちぎられたあとのある屍骸があがることがあるらしい。
 それでなくても、被災した人たちの多くが「漁民」で、その救済に躍起となっている政府は、そんな風評を打ち消すのに躍起となっている。
 値段の方は、いつもと変わらないけれど。

 「選挙運動」たけなわ。今朝も、早くから、我が家の門前に選挙カーが3台やってきて、大きな声でが成り立てていた。選挙ポスターなど、すべての家の門柱に貼ってあるばかりか、道路の両側には、50mおきくらいに、大きさ看板が立てられている。随分選挙資金が必要なんだろうなと、いらぬことながら心配してしまう。ポスターやステッカーの数は、今までの総選挙では、今回がもっとも多いのでは。

井上さんから、「豚」2頭いただく 2005年01月18日
 
 井上さんから、「落慶法要」の「タンブン(奉納)」に、豚2頭頂戴する。
何日か前から、準備のために、遠方から見えている客人や準備に携わっている人たちの食料になる。「仏事」に殺生していいのかどうかは良くわからないが、このあたりでは
当日でなければ問題はないらしい。
 ミッ(ト)の運転する車で、大勢で「サンサイムン村」まで受け取りに行った。
明日の夕方からのメインの行事には、ご招待する予定。

 またまた、住職に「写真」を頼まれ、明日は、フル回転の予定。今日のうちに、撮れるところは撮った。何しろ、わが村開闢以来の一大イベントになるらしく、大勢の善男善女せにぎわうことだろう。すでに、今日のうちから、売店なども出ていた。

 村内の娘たちの多くが、「白装束」で、にわか尼僧になることになっており、ケイ、ノンカンも衣装を用意した。日本の「巫女(みこ)さん」を思い出し、ここらあたりでも、似たようなことをするものだと、変に感心した。


 写真は、明日、「落慶法要」と仏像の「開眼法要」が行われる「チェディ」
祭りのもようなどは、後日、「フォト・トピックス」でご紹介する予定です。

チェディ落慶法要 2005年01月19日
 早暁から、お寺の拡声器から、読経の声が流され、終日、さまざまな仏事が行われた。
本日のメイン・イベント、チェディのあちこちに鎮座まします仏像(すべてお釈迦様)の「開眼法要」は、夜の8時過ぎから、1時間あまりかかって無事終った。近隣の村々から15人ほどの僧侶が。首座は、メカム寺の「大僧正(クルーバー・アチャン)」。10年余り前に、大僧正の試験にパスし、そのときは、盛大なお祝い行事が行われた僧侶である。チェンライ県には、何人もいないえらい坊さんだそうである。
 寺の境内のチェディの下で仏事が、行われている一方で、門前の畑の中の急ごしらえの広場では、余興の催しが、並行しておこなわれていた。昼のあいだは、チェンライの伝統芸能「ソー」一座が出演し、夕方からは、さいわいへたくそな「カラオケ」ではなく、田舎のではあるが、プロ歌手が、入れ替わり立ち代りいまどきはやりの歌を聞かせていた。  寺の境内の拡声器と余興の拡声器が、それぞれ大音響を競い合って、うるさいことこの上ない。境内の行事は「厳粛な」行事のはずなのに、こんなのって平気なんだタイ人は。要するに、「お祭り」なんだから、いいのかもしれないが。
 夜7時すぎから、ケイたち、若い娘7人のにわか「出家」の儀式が行われ、明朝、「還俗」の儀式がすむまでは、「尼」さん。今夜はお寺に泊り込むので、それぞれの母親たちも、付き添いでお寺泊まりとなる。
 写真は、夜、打ち上げられた「手作り」の花火。10m以上はあがったみたい。
詳しいようすは、「フォト・トピックス(http://www.geocities.jp/banpayarn/index.html)」で後日。

「尼」さん明け 2005年01月20日
 にわか尼さんになったケイたちは、今朝早く「還俗」。
付き添いのケサリンたちの方が熟睡できずに、ぐったり。
 ケイたちは、今日は、休暇願いを出していたが、いつもどおりに登校。でも眠いだろうね。
 昨夜「開眼法要」がすんだチェディの仏像たちは、夜明けを待たずに、住職のトゥ・サックが、顔の覆いを取って回ったそうだ。ほんとは、この瞬間を見たかったのだが、別段どうということはないものらしい。
 今日は、後片付けで忙しかったらしい。
チャムトーンの奥の「タイ・ヤイ」の部落には、まだ、お寺がなくて、自分たちの「菩提寺」のように思っているのか、昨日も今日も、部落総出で協力しているようだ。かなり貧乏な人たちのはずなのに、好感がもてる。

メサイの入管へ 2005年01月21日
 在留ビザ「90日報告」で、メサイの入管へ。いつもは、郵便で送っているのだが、プリンターのインク切れと申告用紙がなくなったため、じかに入管事務所へ。
ついでに買い物。
 ・550バーツ(1,400円くらい)の録音用携帯カセットデッキ。(今回のお寺の祭りでは、近所の人のものを借りたため。)
 ・700バーツ(1,800円くらい)のピックアップ・トラック用のカー・ステレオ。ずっと昔、秋葉原で買った超安物を漬けていたのが壊れたため。(壊れてから、5年以上)
 あまりに安くて、値切るのを忘れて、かみさんに忠告された。

 とりあえず、ホームページの「フォト・トピックス」に前日の分をアップ。
本番の日の分は、お寺に上げる「VCD」の作成が終ってから。まだ、2,3日はかかりそう。
 チャムトーンの「ジャンボ」、体調すぐれず。餌をほとんど食べない。明日、水牛の生肉を食べさせるように・・・。
 原因は良くわからないが、尻尾の近くのお尻に小豆粒ほどの穴が開いていて、ちいさなクレーターのように、腫れている。銃で撃たれたか。まさか、夜間はつないでいるのでそんなことはないと思うが。熱があるようだ。

病院の予約日でチェンライへ 2005年01月22日
 義父、いくらか良くなったらしいが、きょうもまた、2000バーツあまり。
来月、また予約。
 プリンターのインク注入。ITDプラザのいつものところ。黒インクだけ。64バーツ。
予備に、インク・カートリッジを一式買おうと思ったが高いのでやめた。純正のものではないのだが、それでも4本で、1500バーツあまり。もうちょっと出せば、プリンターが1台買える値段。相変わらず、プリンターの価格設定はへんてこりん。純正インクや純正用紙で、本体の赤字分を回収しているらしい。ヘッド部分の部品交換費用は、本体の価格より高い!(CANONの場合。ほかのメーカーも多分同じようなものだろうと思える)
 昼食は、「ウェン・イン・ホテル」のバイキング。接客サービスは行き届いているが、鯵の方は、値段の割りにいまいち。一人120バーツ。「ワンカム・ホテル」の99バーツの方がおいしい。刺身もあるし。

一日中チャムトーン 2005年01月23日
 義父が遠い親戚筋に当たる僧籍の人の葬儀に参列するため、犬、猫のお守りで一日中チャムトーン。
 現役の坊さんがなくなると、正式の葬儀は、死後100日経過してから行われるのが普通。今回も、昨年10月に72歳でなくなった坊さんの葬式。
 葬儀の参列者全員に故人の伝記などを記したパンフレットが配られる。それによると、故人は47歳の時に出家したんだそうだ。随分遅い出家で、出家するについてはいろいろと事情があったんだろうなと推察される。すでに孫がいてもおかしくない年齢である。
 チャムトーンの「イ・ノイ」(猫)が初の出産。人によくなついて、可愛い猫。午前中、陣痛で苦しいのか、擦り寄ってきて「泣いて」いた。今のところ一匹だけだったが、後足のあたりに咬み傷があってすでに事切れていた。死産ではない。逆子でくわえて引っ張り出したかも。まだ、何匹かは生まれそう。
 冬至から一ヶ月、随分暑くなってきた。朝晩の寒さもなくなり、夜はちょうどいい気候。
日本はまだまだ寒い日が続くんだろうね。

ピックアップ補修 2005年01月24日
 タイには、何万キロチェックなんていう制度はない。したがって、ころあいを見て自分で、整備工場で点検してもらい、必要な消耗部品などの交換をしてもらうことになる。
今回、「ショック・アブソーバ」前後すべて取り替えた。ついでに後輪のタイヤ交換。
  ・ ショック・アブソーバ  4本で    2,000バーツ(予定より安かった)
  ・ タイヤ(195/70 R14) 2本で  2,800バーツ (ちょっと値上がり)
ついでに近くのカー・オーディオ屋で、カー・ステレオの交換。
  ・ スピーカー交換   1,650バーツ
 メサイで購入した、700バーツのカー・ステレオは、不具合でFMが受信できず
明日取替えに行くことにする。「安物買いのナンとやら」で・・・。

カー・ステレオが使えるようになる 2005年01月25日
 メサイへ行ってカー・ステレオ交換する。500バーツたして、ワンランク上の機種に買い換えた。ついでに、後部座席のスピーカー購入(450B)。
 教師の研修とかで、半ドンの子供たちを拾って、昨日のカー・ステレオ屋さんへ。今度は、感度はあまりよくはないものの、一応FMも聞ける。昨日、とりつけた前部ドアーのスピーカー位置をずらして付け直してもらう。ドアのガラスがちゃんと閉まらなかったため。
 何から何まで、日本だったら、大クレームものだが、タイでは「我慢、我慢」、今では腹がたっても、耐えられないというほどのことはなくなった。タイでは「お客様は神様」ではない。お互い、人間対人間、それでいいのだと思う。
 谷田部さんから、日本の食材数々いただく。留守中に届けてくださったようだ。きっと、日本で働いておられる奥様が、まとめて送ってくれたものなのだろうと思う。チェンダオの高橋さんの奥様情報では、谷田部さん、タイ在住、許容限界ぎりぎりらしい。
 ピックアップの前方方向指示ライト一式交換。部品やで、65バーツで買ったものを家で交換。安いね。日本だったら、間違いなく1,000円くらいは取られそう。
昨日の「ショック・アブソーバ」も安かったが「カヤバ」のマークが入っていた。タイで作っているのだそうだが、萱場工業と関係のある会社かも。

矢田部さん来宅 2005年01月26日
4時前、谷田部さん、義弟の方といっしょに来宅。
奥さんの兄弟間でのゴタゴタも解決したそうで、なんとなくすっきりした心境のようだった。末の妹さんご夫婦の家を別棟で建てるのだそうだ。
 奥さんは今月11日に戻ってこられたそうで、現在は、チェンダオのお寺で「にわか尼さん」中とのこと。いろいろ日本の食材をいただいたのは、奥さんが持ってこられたものと判明。夕食後の帰宅された。
 チャムトーンの「ジャンボ」、お尻のできもの(?)悪化した。穴が大分大きく、大人の指の先ほどになった。今日行けなかったので、明日獣医に連れて行くことにする。手術の必要ありそう。
 朝晩は、ちょっとまた、寒さがぶり返してきた。

魚とり 2005年01月27日
 メカム川の下流の方で、たくさん魚が取れるという情報を聞きつけて、魚とりに出かける。我が家の真東、直線距離で10kmほどのところ。
 昨日は川の水位が下がっていて、たくさん取れたが、今日は、水が増えて、ダメとのことで、場所を変える。今の時期、乾期作の田植え時に当たっていて、灌漑用水のコントロール変更が頻繁で、川の水位は急激に変わるらしい。
 「クオイ村」の堰でも、水門の調節をしていて、こちらの方は、さいわいに、かなりの収穫になった。一番大きい獲物は、7kg弱の大鯰。一部「刺身」にしてで食べてみた。鯰の刺身はおいしいよという日本人のある人から聞いていて、はじめて試してみたが、まあまあだった。テラピアの刺身ほどではないが。

 チャムトーンの「ジャンボ」、お尻の傷口ますます大きくなって、詳細に調べてみたら、なんとなんと、傷の穴の中に「うじ虫」がいっぱい。毛抜きでつまみ出すと、30匹近く。昨日の薬で、ほとんど死んではいるようだったが・・。ああ、気持ち悪い。聞くところによると、このあたりの「青いハエ」は、ちょっとした傷でも、かぎつけて産卵するらしい。1,2日で孵化し、うじ虫は生きている動物のからだの中に侵入し、どんどん肉を食っていくらしい。普通は小さな傷のうちに、なめたりして被害にはあわないらしいが、今回はたまたま、なめるのが非常に難しい場所だったため、やられてしまった。現時点で、直径が2cmあまり、深さは2cm以上かも。アフリカの「ツエツエバエ」の話は聞いたことがあるが、こんなことははじめてである。

また、魚とり 2005年01月28日
 昨日、最初に行ったところが、水が引いたとの情報で、バカみたいに今日も出かけた。
でも、ひいたことはひいたが、ほんのわずかばかりで、結局、収穫なしで、帰ってきた。
 昨日の、大鯰の噂が広まったのか、昨日行かなかった、女性5,6人も同行。
 日中は暑かったし、収穫なしで、ほんとに疲れた。

ノンカンの入学手続きのためチェンライへ 2005年01月29日
 「ウィタヤライ・アティワ・チェンライ(チェンライ職業専門学校)」に進学が決まった、ノンカンの入学手続きのため、チェンライへ。今年の高等部の入学者は、名簿では560名ほど。このうち、男子生徒は、わずかに30名ほど。
 ノンカンのように、重複して名簿記載されている子供がいたり、申し込みだけして、入学を許可されたものもでも、他校と掛け持ちの子供も、結構いるようで、実際に入学するのは、500名以下のようだ。
 手続きに際の諸費用は、3000バーツ(日本円8,000円)ほど。
 同じ村の、娘さん親子も、同行。
 ついでに、つい先日、学校前で交通事故を起して入院中の同級生を見舞う。右足骨折と、心配なのは頭部。病院のベッドに寝てはいるものの、顔から判断したかぎりでは、たいしたことはなさそうに見えたが、「言語障害」を起しているのか、口をきけないらしい。
頭部には、手術の後が・・・。ノーヘルでバイクに乗っていて、送迎用のワンボックスカーにぶつかったらしい。
写真は、「チェンライ職業専門学校」

またまた、カーステレオ交換 2005年01月30日
 今度は、POWER OFF したら、そのあと電源が入らなくなった。交換のため、メサイへ。 3度目で、さすがに、売った方も、愛想が悪くなった。いくら安売りできるからといって、そんな粗悪品仕入れるから、自業自得でしょう。こちらの方がえらい迷惑。
 子供たちも同行し、買い物に付き合い、炎天下、あちこち歩いて、くたびれた。
日中の気温は、メサイの街中では、35度近いのでは。
 雨が待ち遠しくなってきたが、まだしばらくは降りそうもない。

眠い! 2005年01月31日
  昨夜、ケイとノンカン、近所の人たちと「チェンライ・メンライ王祭り」に、6時過ぎに出かけ、帰宅は、夜半1時過ぎ。連れて行ったのは、従兄弟の「ミット」夫妻。あまりにも非常識。心配で「ミット」あて電話するべく、電話番号を調べようとしているとき、無事帰宅。その前に、2時間弱眠っただけで、そのまま眠れず。完徹ではないが、実に眠い。
 昼前、谷田部さん宅へ。奥さんも「にわか尼」修業から戻っておられた。奥さんから、いろいろ愚痴を聞く。それにしても「髪結いの亭主」とは、粋な人だ。奥さんは「永住ビザ」を持っておられて日本へ出稼ぎ。旦那は、タイiの田舎で、小遣いもらって、ぶらぶら。こういうケースは、このあたりでは「稀有」のこと。ケサリンに言わせると「ジン(奥さんの名前」が気の毒。確かに、彼女も北タイの女性としては、ほんとに良くできた人だ。8年まえに、日本で乳がんの大きな手術をしたそうだ。日本のことがとても好きなようだ。
 末の妹夫婦用に、屋敷内に家を新築中。旦那も含めて、一族郎党、一手に引き受けて面倒見ている。長生きしてくださいよ。
 タイへ来てから、はじめて「うな丼」食べる。蒲焼、ごくごく小型のもの、1匹、89バーツでメコーで買ったもの。中国産で少々生臭かったが、まあ、「うな丼」に変わりはない。たまになら、いいかも。珍しく、子供たちより、大人の方に人気があった。
 ケサリン、今夜も川で魚とり。昨夜は2,3匹。ほんとに好きだね、魚とり。
 天気予報だと、明日は「雷雨」、降れ降れ。



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