チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2005年03月 INDEX

2005/03/04 ちょっと、ごぶさた
2005/03/05 夜中に降った
2005/03/06 娘たち、魚とり
2005/03/07 メカム市の市長に、「クー・ウェート」当選
2005/03/08 モー」ナンバーで「幌」なしだと、罰金だそうだ
2005/03/09 車検(つづき)
2005/03/10 芝のスプリンクラー補修
2005/03/11 智子から電話
2005/03/12 チャムトーンにTV設置。
2005/03/13 洗車
2005/03/14 チェンマイへ
2005/03/15 チェンダオ温泉
2005/03/16 ピック・アップ、ラジエーター液漏れ
2005/03/17 メカム学校の文化祭
2005/03/18 「文化祭」、フォト・トピックスで公開しました。
2005/03/19 またまた、雨。しあわせ!
2005/03/20 堆肥の天地返し
2005/03/21 中学校の卒業式
2005/03/22 故義母の末弟、ブン叔父さん亡くなる
2005/03/23 大掃除
2005/03/24 叔父ブンじいさんの火葬式
2005/03/25 今年初めてのプール
2005/03/26 「ヘット・ハー」出始める。
2005/03/27 アイ・ノンの弟、「パット」の火葬式
2005/03/28 床屋へ行った
2005/03/30 「梅」を買いに、ドイ・メサロンへ
2005/03/31 芝刈り
2005年3月の日記

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ちょっと、ごぶさた 2005年03月04日
 例によって、別段、理由はありませんが、ご無沙汰してしまいました。
 先だって、栃木の手塚さんから、お土産にいただいた「ロング・ピース」の、なんともいえない香りに酔いしれておりました。3年ぶりくらいです。心づくしの品、ほんとにありがたいと思って、感謝しております。「嗅覚」というのは、記憶喪失にはならないみたいです。
 ところで、今夜あたり、「雨」があるかもしれません。今年になってからは、まだ、一滴も降ってないような気がしますが、もう、忘れてしまいました、雨の感触。今朝から、どんより曇り空で、日中も、ほとんど陽がささず、肌寒い陽気です。
 今日は、雨を期待して、肥料を買ってきて、あちこちに撒きました。ちょっとした賭けです。もし、降らなければ、撒いた肥料の有効成分の大部分は、空中に雲散霧消してしまうらしいです。すこしでも降ってくれれば、肥料分は、土の中に吸収され、植物たちも、おいしいご馳走にありつけて、喜ぶと思うのですが・・・。一年に一度だけの、化学肥料。どうか、雨を降らしてください、お願い致します。
 それにしても、肥料も随分値上がりをしてしまいました。「カイムク」という、ガリー船マークの、NPK、15:15:15のものですが、NPK以外にも、亜鉛やマンガンなどの微量成分の入っている、ちょっとばかり「高級」な肥料です。40KGの袋入りで650バーツ。以前、もうだいぶ前にはなるのですが、確か、400バーツ前後で手に入ったものです。
 もう、早いところでは、今月はじめから、学年末休暇。2ヶ月半の長い長い休みです。向かいの娘が通っている、チェンライの職業学校も、1日から休みです。我が家の子供たちが通っている、メカムの学校では、来週から、学年末試験が始まり、休みに入るのは、20日過ぎからのようです。公立の学校は、科目ごとに、1年間の授業時間数が定められており、普段休みがあまりない学校では、早くから休みに入ることができるようです。メカムの学校は、なんだかんだと休校の日が多かったため、休みに入るのが遅れたようです。

夜中に降った 2005年03月05日
 待望の雨が、深夜に降ったらしい。というのは、朝、かすかに地面がぬれているところがあちこちに。多分、雨量は、ほんの1〜2mm。この程度の雨では、庭の草花たちも、息つくわけにはいかない。
 気温が、急に下がり、「寒の戻り」の寒冷前線の雨。しまい忘れていた、ダウン・ジャケットを、一日中身に着けていた。最低気温、10度そこそこかも。
 チェンマイの方では、だいぶまとまった雨になったようだが、日照り続きなので、いくらかでも潤うといいのだが。
 ケイの同級生3人、夕食まで我が家に。月曜から、年末試験。息抜きか。
「サウンド・ライブラリー」、だいぶ曲を増やした。ランナー・タイの民族芸能は、珍品だと思う。CDでは、売られているのだろうけれど。ルーク・トゥン、モーラムのほか、試聴用だけれども、ヒット・チャートのPOPSも何曲か付け加えた。
 テサバーン・メカムの選挙運動終る。
下院の総選挙が終って、一息つくまもなく始まった、「メカム市(?)」の市長(ナーヨック・テサモントリー)と、市会議員の選挙運動が、やっと終った。ポスターや大きな立て看板など、国会議員の選挙をはるかに上回る一大選挙活動だった。明日、投票が行われるが、大型の看板は、今日中に撤去しなければ選挙違反になるらしく、夕方までに、せっせと撤去していた。選挙当日には、選挙運動の看板は出してはいけないというのは、なかなかいいことだ。いやでも、投票日が来る前に、きれいに片付けなければならない。ただ、ポスターだけは、当分、道路わきの塀や木の幹などに、張られたままになりそうだが・・・。この間の、国の選挙のポスターが、いまだにあちこちで、そのままになっている。

娘たち、魚とり 2005年03月06日
 娘の同級生が、昨日に続いてやってきて、養魚池で魚とり。
2kg ほどの「レン魚」ほか、かなりの魚が取れたらしい。「レン魚」以外は、3人の友人たちが、それぞれ持ち帰ったとのこと。
 それにしても、魚とりなど、あまり好まないケイが、友人たちがやって来たため、池の中に入ってまで、サービスしたようだ。
 おおむかしのことを思い出した。小学校時代、人気取りのために、毎日のように家から何か持ち出してきて振舞っていた同級生がいた。娘もそれと同じでなければいいが・・・とちょっとばかり心配。『泣いた赤鬼 』(浜田 広介)を思い出した。

メカム市の市長に、「クー・ウェート」当選 2005年03月07日
 昨日の選挙の結果、知り合いのデベロッパー「クー・ウェート」が当選したらしい。
わが村は、直接には関係ないのだが、彼が市長になるということは、道路など整備されることが期待でき、結構なことだ。なにしろ、ハイウェイから、我が家までの道路は、舗装されてはいるというももの、あちこちたいへんなデコボコ道で、運転もままならぬ。車の傷みも、かなりなもの。誰かの「ピンはね」で、道路工事は、手抜きだらけ。

「ケン・パク・ラ」、北タイの日常家庭料理である。
毎朝、子供たちを送って行った帰り、メカムの市場(カート)に立ち寄る。義父の昼食用の惣菜を買うためであるが、小生も、時々は、市場の中を散策する。
今日は、おいしそうな「きくらげ」を見つけ、かみさんに、「ケン・パク・ラ」を所望する。「きくらげ」と「パク・ラ」の鍋物といった感じのおかずである。
 乾期のきくらげは、天然ものではなく、薄くて味もいくらか大味なのだが、今日のは新鮮でおいしそうだった。売り子のおばさんが、外国人である小生が「ケン・パク・ラ」を知っていることが、奇異に見えたらしい。かみさんにあれこれコメントしていた。
 「パク・ラ」というのは、タイの標準語では「パク・サオム」というらしい。ねむの木の若芽を想像してもらえばいい。生食も結構いける。
 「ケン・パク・ラ」には、調味料として、「パ・ハー(プラ・ラー)」、「カピ」、唐辛子、ナンパー(ナム・プラー)などを使う。
 「パ・ハー」というのは、小魚を長期間塩漬けにしたもので、「塩辛」と、味も香りもほぼ同じ。臭いといって嫌う人もいるらしい。単に、「ハー」とも言う。市場で売っているが、我が家のものは自家製である。
 「カピ」も、海産の小魚や、「アミ」などの塩漬けだが、こちらの方は、すこし固めの紫色をした「味噌」を想像してもらえばいい。店先で、ポリバケツのような大きな容器にヤマモリにして売っているのを見ると、小豆の「餡子(あんこ)」のようでもある。
 「パハー」とか「カピ」とか聞いただけで、うんざりする日本人もいるようだが、「鰹の塩辛」が好物の小生にとっては、ご馳走である。化学調味料を常用するよりは、ずっとましである。
 「ケン・パク・ラ」なんて、こんな風に紹介されるような「立派」な、料理ではない。ごく普通の家庭料理で、「ケン・パク・ラ」が聞いたら、面映い思いをするのではないだろうか。

「モー」ナンバーで「幌」なしだと、罰金だそうだ 2005年03月08日
びっくりしたなあ、久しぶりに。
我が家のピックアップは、「ムー・ソン(中古)」で、20年近く前に購入した超老兵。去年、あちこち整備したので、すこぶる調子がいい。
 そのピック・アップ・トラックの車検の時期が近づいたので、民間車検場に持ち込むと、すげなく断られた。法規が変わって、「モー(タイ語のアルファベットの1字)」ナンバーの車は、幌がついてないと、車検できないとのこと。おまけに、人間様用のベンチまで備えつけないといけないらしい。え!ほんとにほんと?
 我が家の車は、4ドアーのピック・アップで、当時のセダンと同じ、「モー」ナンバーになっているらしい。こんなことも、はじめて知った。 
 荷台に着脱式の「幌」がついていたのだが、あまり役に立たないばかりか、結構重量があり、燃料節約の意味もあって、普段ははずしてある。無用の長物扱いで、去年の春、欲しいという人がいて、売る寸前だった。500バーツという約束までしていたが、買主が引き取りに来ないまま、その話は立ち消えになっていた。今でも、倉庫の場所ふさぎで残っている。実際のところ、売らなくて、よかったわけである。もし、売ってしまっていれば、ナンバーの付け替えか、あたらしく「幌」を購入しなければならないところだった。
 万一、取り締まりの検問でこのことを発見されると、2000バーツの反則金なんだそうな。危ないところだった。
 それにしても、「幌」の着脱なんて、車の持ち主が自由気ままにできるものと思っていたら、そうではないということで、ほんとにびっくり。ちゃんとした理由があって、法律が改正されたのだと思うが、その理由知りたいものだ。
 さらに、今年から(?)、車検の期日と自賠責保険の期日を同期させるよう、やはり法規が改正になったらしい。従来、車検の期日が来ても車検せずに、半年近く期日オーバーしていても罰則もなく車検してもらえた。去年の我が家のケースがそうだった。そんなことがあると、保険の空白期間ができてしまい、事故があった場合被害者は泣き寝入りということになりかねない。全国的には、こんなケースが多いらしい。そのための改正らしいが・・・。
 ちなみに、タイの車の車検制度だが、何年か前までは、車の検査も陸運局で実施していたが、いつのころからか、検査は、民間検査場(略して「トー・ロー・オー」というらしい)で済まして、そこが発行する検査済み証と税金を陸運局に持参して、車検の手続きをしてもらう。何のことはない、陸運局なんて単なる「税務署」みたいなもの。

車検(つづき) 2005年03月09日
 お上の申すままに「幌」をつけて、メチャンの「トー・ロー・オー(民間車検場)」で、手続きを済ます。自賠責保険も、新たにかけなおす。荷台のベンチは、なくてもかまわないようだった。
 車検が完了するまでに、1ヶ月近くかかるそうだ。何台かまとまるまで、陸運局には行かないからかも。次回、エンジンオイルの交換は、オイル代だけでやってくれると、特別サービスのようなこと言ってたが、どこだってオイル交換の手数料なんて請求されたことはない。オイル代に込みなんだから。車検手続きの手数料は、60バーツ。メカムだと、200バーツだそうだから、こちらの方は安いのかも。
 日中、暑い。最高気温、30度近くかも。またまた、庭の草花、枯れそう。
いま、アマリリス、満開。♪〜あーかい花ならアマリリス、まーどに優しく咲いた日に〜、歌の文句じゃないが、アマリリスは「赤」がいい。赤の大輪は、すこし晩生で、まだ、つぼみも出てないが、白斑入りの赤が、満開。一番早かったのは、原種にもどったらしい、赤の中輪咲き。大輪の薄紅の品種も咲き出した。一鉢、二鉢じゃ物足りないが、50株ほど並ぶと、ちょっとばかり壮観。

芝のスプリンクラー補修 2005年03月10日
 昨夜、ベランダで「柔軟体操」をしたせいで、ちょっとあちこち痛い。
久しぶりの親子3人で、年甲斐もなくがんばりすぎたかな。
 芝のスプリンクラー配管、仮設状態だったのを、接着剤で接続しなおして、深めに埋める作業をした。ついでに、懸案だった「マンゴー」の切り株も取り除く。
 グッピーの池のひとつに、「がま」のおたまじゃくし大繁殖。かみさんと二人で、水変えをして、すっかり駆除。だいぶグッピーがやられたようだ。吸い付いて表皮の粘膜を食べるらしい。ついでに、睡蓮の植え替えをする。根が鉢に満タンで、腐り始めていた。
 今日は、子供たち、学年末試験直後のしばしの休日。プッキーだけは、「学芸会(17日)」のダンスの練習とかで登校。
 「ねぎ」の整理。乾燥野菜工場で、人手がないとかで、「ねぎ」は、根を切って枯れ葉など整理して出荷しているが、なかなか手がかかって大変なこと。近所の人たちなど、おおぜいの人たちに手伝ってもらっているらしいが、1kgで1.5バーツだそうだ。なかなかいい収入になるようで、多い人だと200kg近く処理するらしい。このあたりに、こんないい働き口はないと見えて、タイ・ヤイの部落からもおおぜい来て手伝っている。大工手間でさえ、200バーツにはなかなかならない。今日は、50人近くの人が働いていた。

智子から電話 2005年03月11日
 夜、随分久しぶりに、智子から電話あり。何はともあれ、元気そうで一安心。相変わらず、飲んでいた。近々、パソコンが無料で手に入るので、メールのやり取りくらいできそうだとのこと。

チャムトーンにTV設置。 2005年03月12日
 今夜から、義父がまたチャムトーン暮らしすることに。何をやっても、一人でいれば、小言も言われないしということらしい。発電機で、テレビ見られるようにする。みんな中古品で、苦労したが、結局、アンテナ(350バーツ)と同軸ケーブル(360バーツ)だけ新調して、何とか見られるようになる。
 暑かった。

洗車 2005年03月13日
 明日、早朝、チェンマイへ。6時に家を出る予定。明日に備えて、車の掃除。
メチャンまで出かけて、タイヤの空気圧など調整してもらう。無料。
 チエングダオの高橋さん宅に、一泊させてもらう予定。
午後ひと時、遠雷あるも、雨ほとんどなし。天気予報では、ここ2,3日雨模様のはずだが・・・。

チェンマイへ 2005年03月14日
 夜半から、朝方にかけて、パラパラ雨。
早朝6時出発で、チェンマイへ。
総領事館で「在留証明書」をもらうため。
 途中休み休み行き、メカチャングで朝食。ついでに温泉卵も。
10時半すぎ、目的の領事館に到着。手続きをして、もらえるのは午後2時からとのことで例によって、デパートのはしご。「カート・スアンケオ」と「エアーポート・プラザ」。たいした買い物もないのだが、お付き合いで疲れた。
 取りらのデパートの生鮮食品売り場(スーパー)とも、これといったものは見当たらばイ。納豆と味噌を買う。
 昼食は、カートスアンケオのクーポン食堂で「カオマンカイ・トート」。あまりおいしくない。
 午後2時過ぎ、在留証明を受け取って、今晩泊めてもらう予定のチエングダオの高橋さん宅へ。
 メーリムあたりからボツボツ降り始め、メーテン近くなって激しい雷雨。前方が見えないほどで、時々超スロー・ドライブ。4時をまわったころ、高橋さん宅に到着。チエンダオは、ほとんど降らなかった様子。
 南の方角から、雨が近づいてくるようで、時折稲妻も見えるが、ほとんど降らない。
程なくして、メーテンの山内さんご一家も見え、飲み食いしながら雑談している間に夕食のしたくも整ったようで夕食。
 そのうち停電し、1時間以上回復しなかった。昨夜は、チエングライの我が家でも停電し2時間近くたって、子供たちが寝静まったころになって、やっと、回復。これからの時期、北タイでは、落雷(?)、強風によると思われる停電が多くなる。回復時の異常電圧でパソコンが壊れることもあり、要注意。
 

チェンダオ温泉 2005年03月15日
 疲れていたせいもあったのか、昨夜はぐっすり休めた。
あさ、6時に目覚めて、チエングダオ山を目の前にした、ベランダの結構な安楽いすで、のんびり。空はどんより曇っていて、程なくして、雷鳴とともに大粒の雨。疾風を伴った、まさに、この時期の北タイの雨だ。もしかすると、わずかに「ヒョウ」混じりだったかも知れない。渇き気味だった地面もすっかり潤ったようす。
 朝食後、山のふもとの「温泉」へ。
車横付けの「秘湯」。大人二人が、入れるくらいの、井戸枠の湯船がこしらえられていて、湯加減も丁度いい具合。硫黄泉である。こんな温泉が近くにあるなんて、羨ましいかぎり。最近は、知る人とぞ知るで、おおぜいの日本人がやって来るらしい。情緒満点で今のままの「温泉」がいいが、あたり一体に何ヶ所も泉源があるようで、変に開発されなければいいのだが。
 温泉の後、火曜定期市で、キュウリ、ナスなど日本野菜を買い込んで、帰路に着く。
途中、休憩かたがた、「メーアイ」のオレンジ・ファーム「TAP」で、みかんを買う。
4時前に、家にたどりつく。
我が家のあたりは、雨も、それほどは降ってなかった様子だったが、夜に入って、大風とともに激しく降ってきた。これくらい降れば、空気中の粉塵もすっかり洗われて、明日から、しばらくは、さわやかな空がみられる。庭の木々も、よろこんでいるに違いない。

ピック・アップ、ラジエーター液漏れ 2005年03月16日
 パサーンの「おかまや」さんで、修理。このあたりの車の修理工場は、それぞれ専門に分かれていて、「オカマや(モー・ナーム)」の看板の出ているところでは、ラジエーターとマフラーの修理が専門。
 取り外して、液漏れしているところを「ハンダ」溶接。ラジエーターの中もすっかりきれいに掃除してくれて、しめて150バーツ(400円ほど)。なんとまあ、安いことで・・・。しあわせ。繁盛しているらしく、今日の昼食は、午後3時半だそうだ。お客本位の極上サービス。日本のことを思い出した。日本だと、3日くらいかかるなんていわれても、我慢するしかない。もっとも、「代車」などという「制度」もあるけれど。しかも、1万円くらいは、覚悟しないといけないかもしれない。日本の社会というのは、高給も取れるけれど、なんとなく「たこ」が自分の足を食べているような社会かも。

メカム学校の文化祭 2005年03月17日
 陽射しが強く暑いが、雨の後で、さわやかとも感じられる陽気。
チャムトーンから戻って、すぐに、メカム学校の文化祭へ。
たいへん盛大で、あれこれたまげることばかり。詳細は、近日中に「フォト・トピックス」で紹介の予定。
「キック」は、エプロンかけて、「カノム・コーク(たこ焼き風のおかし)」の製造(?)販売係。「ケイ」と「ノンカン」は、またまた、マスゲーム風のエアロビックス・ダンス。「プッキー」は、もっぱら消費者。
 いけばなの工芸細工、「にら」の苗など、バザーで購入。
ケサリンが、にらの苗を使って、「餃子」作り。これは、前々からの予定で、たまたま今日「にら」だけが手に入らなかったため、鉢の「にら」を「剪定」して使用。グッド・タイミング。
 今日も「雷雨」の天気予報、はずれ。

「文化祭」、フォト・トピックスで公開しました。 2005年03月18日
 犬。猫の餌がなくなり、「メコー」へ買い物に。
レシート見て、びっくり。3,500バーツの買い物のちょうど半分が、犬、猫の餌。
たくさんいるのだから、仕方がないが・・・。でも、二人分の「タバコ代」より安いか。1匹1匹のあの顔を思い浮かべると、そんなにケチるわけにもいかないし・・・。
 メカム小中学校の「文化祭」の写真、大急ぎでUP。
今年度の学校も、あと月曜、火曜で終わり。今日は、中学3年生だけが、昨日のあとかたづけのために登校。ここでは、日本のような「卒業式」って、ないらしい。なんか、ちょっぴりさびしいね。大学では、「時期はずれ」に、王族行幸の盛大な卒業式があるのに。
 大ニュース。
チャッキーが、本気で「結婚」するつもりらしい。相手は、同じ村の中学2年生。ケイと同い年だから、まだ、14歳。義姉・ブオパンが、先ほど夕方に来て、「はらんでいると心配なんで、今夜、相手方に申し込みに行くから」と、暗に、協力・援助を申し入れてきた。もちろん、仮に「結婚」したとしても、「年齢制限」があって、入籍はできない。万一、こんな「子供」が、子を産んだとき、たいていは、母親の子供として入籍するらしい。そんなに珍しいことでもないのかも知れないが、最近は、聞いたことがない。
 ケサリンは、このところずっと、この親子に不愉快な思いをさせられてきているため、今夜も同席しないし、結婚式だって行かないとオカンムリ。いくらタイとはいえ(いや、これで結構義理を重んじるところがあるところなのだが)、義理や恩を感じないヤカラには、それ相応の応対の仕方があるというもの。それがいいそれがいい。
 それにしても、14歳とは。村内でも「あばずれ」の評判が立って入るとはいうものの。チャッキーも賢くないね。せっかく「空軍」に志願して入隊し、まともになるかと思ったのに。一人娘だそうだから、婿入りで、日雇稼業か。

またまた、雨。しあわせ! 2005年03月19日
 午後4時頃から、宵の口にかけて、数度にわたって雷雨あり。風も強くなく、地中かなり深くまでしみわたったのでは・・・。前回の雨のあと、それほど間をおかずに降ってくれて、近々、「ヘット・ハー(きのこ)」も出てくるのではと楽しみにしている。

堆肥の天地返し 2005年03月20日
 先だって、草花の鉢植え用として、落ち葉を積んでおいたのを、天地返しする。新たに、落ち葉を追加し、肥料もすこしだけ混ぜる。踏み込みが強すぎたせいか、下のほうは、全く堆肥らしくなっていなかった。
 「韮(にら)」、畑に移植。
 芝生の草取り。ひと雨、ふた雨降っただけなのに雑草の伸びるのは早い。雨上がりで、雑草を抜くのもらく。今とっておかないと、後がたいへん。

中学校の卒業式 2005年03月21日
「パティマニテート」というのが、中学校の卒業式に当たるらしい。直訳すれば、「最後の講話」ということになる。小さなブルーのリボンで閉じられた卒業証明証と中学校3年間の成績表を、保護者代理で「ノイ」がもらってきた。卒業証書は、あまり重みのある、卒業証書ではないようだ。(写真)それでも、卒業証書と写真が添付されている成績表は、再発行してもらえないので、大事に保管しなければならない。将来進学や就職時に、必要になるからだ。
 タイでは、大学の卒業式は、王族の一人が卒業証書を、卒業生一人一人に手渡しする盛大かつ厳粛な行事だが、中学校の卒業式だとさっぱりしたものかもしれない。ずっと昔の自分のことを思い出したが、結構おセンチになったものである。同級生の何人かは、卒業後、進学せずに離れ離れになってしまい、もう、これきり会えなくなってしまうのではないかと、ちょっぴり不安な気持ちになったものだ。実際のところ、それ以来、同窓会などでも再会していない旧友が何人もいる。清水平一君、原川三郎君、小島辰巳君、まだまだ、何人もいるが、みんなどうしているのだろうか。息災であることを祈りたい。

「暑さ寒さも彼岸まで」というが、こちらでは、3月の彼岸すぎ頃から、「酷暑」の季節に入る。今日も、猛烈な暑さだ。最高気温は35度前後かも。雨のあった後で、むし暑さも加わり、我慢の限界ギリギリ。

故義母の末弟、ブン叔父さん亡くなる 2005年03月22日
 昼前、メサイへ子供たちの水着を買いに行く途中で電話が入り、義母の末弟(メサイ郡ポン村に住んでいる)が、今朝がた亡くなったとのこと。叔父は、10年余り前に一度、死にかけたことがあった。肝硬変で大量の吐血をし意識不明になり、3,4日意識が戻らず、そのときもうだめかと思ったが、全く奇跡的に回復し、生きながらえた。その後も、肝臓を患っていたことにもよるが、体力はもとには戻らないままだったようだ。この8月で70歳。6人の子供のうちの一人は、シンガポールの華人系の男と結婚して、かの地に住んでいるが、旦那が2号を作っていて、夫婦仲もうまいってないらしい。
 義母の兄弟も6人だが、残っているのは、アンプー・トゥーンの伯父と、ランプーンのリー郡の伯父だけである。
 義母の兄弟たちは、数十年ほど前、青年になってから移住してきた。すでにそのころには、チェンライ県は、多くの人たちが移住してきたあとで、条件のいい土地はなく、みな農地にはあまり適していない、恵まれないところに住んでいて貧乏だ。住まいも、集落の一番外れで、屋敷土地もたいへん狭く、すぐ裏には火葬場がある。それでも、雨が少なく、農業向きでない生まれ故郷のランプーン県よりは、まだましだったのかもしれないが。
 メサイからの帰りに、立ち寄ってお線香をあげてきた。火葬式は、金曜日だそうだ。貧乏で、互助会の4万バーツしかあてにできないので、葬式は3日2晩で済ますのだそうだ。
 チャムトーンの子猫、「イ・パイ」の子猫5匹に、「イ・フォイ」の子猫3匹が合流。前部で子猫だけで、8匹。もう、名前の付けようもない。「イ・フォイ」は、「いなむら」の中で、生んで育てていたらしいが、子猫があちこちで歩くようになって危険なため、小屋の中に越してきたらしい。親子で子育て。 
「メム」は、あれ以来帰ってこないので野垂れ死にをしたのだろうが、チャムトーンの猫は、全部で、13匹になってしまった。

大掃除 2005年03月23日
「ポン村」のブン叔父の葬式にランプーンから10人ほど出かけてきて、我が家がその宿泊場所になりそうだということで、家の中の大掃除。何はともあれ、長い間掃除らしい掃除をしてなかったので、たいへん結構なことである。2年ぶり位で、カーテンの洗濯、網戸の掃除などして、いくらかすっきりした。
 大掃除のメリットはきれいになるだけでなく、今まで見失っていた品物が、出てくることである。今回も「リンガフォン」のテープが見つかった。猫が、棚の向こう側に落としていた。

叔父ブンじいさんの火葬式 2005年03月24日
早朝、ランプーンからの客20人近くが来宅。「リー郡」の80歳をすぎた老伯父もこれてよかった。朝食後、いっしょに「ポン村」へ。
予想より参列者も多く、300人は超していたようだ。シンガポールから長女が戻ってきていて(酔っ払ってはいたが)、式に間に合ってこちらの方も、とりあえずよかった。
 我が家からは、20kmほどしか離れていないのに、葬式のやり方は、いろいろ違っていた。1)棺おけは、特製の葬儀用の「冷蔵庫」に入れられている。 2)BGMは、低音のリズミカルなパーカッションのソフトディスコ調。これには、ちょっとばかりびっくり。 踊りだしたくなるようなリズムの音楽。これもまたありなのかもしれないが。3)坊さんの出番が少ない。火葬場で「バンサクン」と称して、来賓者の「僧衣」の「献上」のような儀式が行われるのだが、火葬場では、僧侶たちは、参列者の席の後ろの方に座っていて、「バンサクン」が済んでから、テーブル上の「僧衣」を、とりに行く。もともと仏教のしきたりからすると、こちらの方が「正解」なのかも知れない。本来僧衣というのは「献上」するものではなく、民の着古し(糞僧衣という)をひろってくるものだそうだから。坊さんが、最後に「引導」を渡したのかは、確認できなかったが。4)参列者全員に、「焼香」の「飾り」といっしょに「ハンカチーフ」が配られた。ちょっとばかり豪華。
 棺への「焼香」が済むと子供たちと、先に帰宅する。ランプーンからの来客のための食事の準備のため。
 われわれ以外も、ランプーン組といっしょに程なくして帰宅し、チャムトーンの魚で精進落し。結局、ランプーンの人たちは、日帰りで帰っていった。みんな残念がることしきり。明日用事がある人がいたみたい。
 「ニュース」。
近所の「アイノン」の末弟(無期懲役でバンコクの刑務所の服役中)が、20日に獄死(?)していたらしい。昨夜、向かいの「トーン」の車で、兄弟連中が遺体を引き取りに行った。今夜遅くに戻ってくるらしい。詳細は不明だが、先月には、あれこれ食べたいものを催促する手紙が届いたらしいし、仮釈放の時期も近いとか言う話だったのに。留守宅(一軒おいて西側の家)では、葬儀の準備が始まった。
 麻薬取引にからむトラブルで、イコー(アカ族)を殺害し金品を奪ったらしい。殺人罪だけなら、よほどのことがなければ、5年程度の懲役のはずだが、売り物の「薬」をかなりの量、持っていたため、「無期」になったものと思われる。
 

今年初めてのプール 2005年03月25日
 雨模様だったが、午後から、今年になってはじめてプールへ。
長いこと水に入ってないので、子供たちみんな、スタミナ不足。
 「アイ・ノン」の弟、真夜中に無言の帰宅。遺体引き取りに世話人としてついていった、向かいの「トーン」が、刑務所の担当医から聞いた話では、「エイズ」死だそうだ。随分痩せてしまって、小さくなって、ジッパーのついた袋に収められていたとのこと。
覚せい剤の注射器での感染らしい。
 夜「お通夜」に出席。
夕方、6時過ぎから1時間あまり断続的に雷雨。風も強くなく、結構なお湿りといった感じの雨。

「ヘット・ハー」出始める。 2005年03月26日
このところの雨で、チャムトーンの池の周りで、黄金のきのこ「ヘット・ハー」が出始めた。早いところでは、半月ほど前から出ているようだが、その頃は、キロ当たり200バーツ近くで売られていたようだ。現在でも、100〜120バーツ。うまくすると100キロ以上は、収穫できるので、値段が若干下がっても、1万バーツ以上になる「黄金のきのこ」なのだ。このあたりには、1万バーツの月給をもらっている人は、まずいない。校長の給料でもそんなものではないだろうか。
 3日ほど前に、ジーゼル・オイル、とうとう値上げ。経済のマイナス効果を考慮して、昨春以来ずっと政策価格で据え置かれていた重油が、一気に20%ほど値上げされた。
リッターあたり45円ほどになった。タイは、これからインフレになるらしい。なにしろ、taiの車の9割くらいは、ジーゼルで走っているらしいから。農産物の生産者価格も値上がりしてくれればいいが、なかなか、そうまくはいかないようだ。

アイ・ノンの弟、「パット」の火葬式 2005年03月27日
 この2,3日は雨模様で涼しかったが、今日は一転「酷暑」。寒暖計では、30度に達していなかったが、湿度と陽射しの強さで、葬列についていくのもたいへんだった。
 「パット」は、享年37歳。もう少し若かったかと思っていたが、タウィより1歳年上とのこと。それにしても、もう、10年あまり刑務所暮らしだったわけだ。ヘンな話、刑務所暮らしのお蔭で4,5年は長生きできたらしいとのこと。奥さんの方は、ずっと前に、やはり「エイズ」で亡くなっている。同時に「HIV」ウィールスに感染したと仮定すると、普通は女性の発病の方が、男性よりずっと遅く、発病後も女性の方が長生きするようだ。もし、「パット」が、刑務所暮らしでなかったら、もう、とっくにあの世に行っていたと、もっぱらの噂。亡くなった人に対して、不謹慎ではあるが、そんなこともありえないことではなさそうだ。「シャバ」にいたのでは、たいした医療も受けられないが、刑務所の中だと、最先端の治療をしてもらえるらしい。(人体実験みたいなこともあるのかも・・・)
 「パット」には、14歳になる娘さんがいて、葬儀にはずっと参加していたが、たまに見かけると、「作り笑い」か、従姉たちと妙にはしゃいでいるのが、気にかかった。感じやすい年頃で、やり場のない悲しさを、懸命にごまかしているように見えて、切ない思いにかられた。
「パット」の名前は、通称も、本名も同じ「パット」で、「木曜日」という名だ。彼の姉妹には、ほかに「月曜日」さんと「金曜日」さんがいる。このあたりでは、「出生届け」に生まれた曜日が記載されているほどで、生まれた日の曜日は後々まで、気にかけているらしい。それぞれの曜日には、それぞれの「守り本尊」があって、「金細工」屋さんなどで売っている。「南伝仏教」と矛盾しませんか。
 ちなみに、「パット」の苗字は、「ディー・マーク(たいへん結構)」という。こんな死にかたをしたのでは「マイ・ディー・マーク(たいへんよくない)」だと思うが・・・。
 近いうちに、タイ人の姓名などについて、ちょっとまとめて、書いておこうと思う。

 余計なことだと思うが、わが村には「パット」と同罪で「無期懲役」になったものが、あとふたりいる。カムナンの弟とアイ・ノンの奥さんの連れ子。
 そんなこともあって、今回の葬式は、いつもとちがって暗い陰気な葬式だったような気がする。カムナンもほとんど顔を出さなく、火葬式だけ出てきた。
 一人殺しただけで、3人も「無期懲役」というのは、タイでは異例のことと思うが、殺されたのが観光資源でもあり、海外からも何かと援助の多い「山岳少数民族」「アカ(イコー)」だったのが、運が悪かったようだ。しかも殺されたもののかみさんが、罪が軽すぎると言うことで、最高裁まで上告したそうだ。
 殺されたイコーが、麻薬の仲買だったことなど、全く情状酌量の対象にはならなかったらしい。このあたりには、こんな「逆差別」が結構ある。
 お上には逆らわないという、平地のタイ人の生き方も損をした要因かもしれない。

床屋へ行った 2005年03月28日
 チェンライへ出かけた。
タイで購入したEPSONのプリンターが故障したらしく、修理依頼に。
今回は、EPSONの代理店へ。当然のことかも知れないが、インク注入したら保障しないよと「保障約款」読んだかと叱られた。先だってインクが切れて、別のところで注入してもらった後から調子が悪くなり、使えなくなった。「約款」なんて、例によってものすごく小さい字で印刷されていて読む気がしなかったが、そのように明記されているらしい。それでも、さすがタイで今回に限り無償修理してくれるらしいが、インクは買わないとダメらしい。1セットで5000円以上する。1クラス下の機種なら新品が購入できる価格だ。詐欺まがいのこの価格体系、一体どうなってんだろうね。タイには「公取」はないし、日本だったら訴えたくなるところだが。
 とにかく、バンコクに送って部品の検査などするので、1週間以上かかるらしい。

 BIG−Cの中にあるTT&Tの店で、インターネット・カード購入。ついでに、ADSL確かめたが、メカム地区はまだとのこと。メールなどと抱き合わせのプロバイダーのADSLサービスなら、すでに何社か利用できるらしいが、料金は高いし、月間使用量(データ転送量)の制限があり、それを超えると割り増し料金を取られたりで、使う気にはならない。CATの“HI−NET”なら、月999バーツで無制限。

 帰りに、メチャンにより、かみさんたちが買い物している間に、散髪。終ったあと、ケイがあごの下にあった「かみそり傷」を目ざとく見つけて、「エイズ」感染の心配をしてくれた。このあたりでは、床屋で感染した人も結構いるのだそうだ。替刃式の使い捨ての刃を使用していたようだから(ちゃんとは確かめなかったが)、大丈夫だとは思うが、そう言われるとかなり不安にはなる。以後、気をつけます。
 今日の「ヘット・ハー(きのこ)」の売り上げ660バーツ。前回とあわせて、1080バーツ。(80バーツ/kg)

「梅」を買いに、ドイ・メサロンへ 2005年03月30日
 梅干用にタイ産の梅を買いに、久しぶりにドイ・メサロンに行く。ドイ・メサロンは急速に変わった。あたりの山の斜面は、あちこちに茶畑。今、タイは「茶」がブームである。アイスクリームくらいなら理解できるが、薬用になるといって、歯磨き、シャンプー、石鹸、化粧品などなど。茶入りだとなると売れ行きがいいらしい。最近は「おいし」という銘柄のペットボトル入りの緑茶が、爆発的人気らしい。このペットボトルのキャップの裏に当たりくじがついていて、運がよければ100万バーツとか。拾ったペットボトルで100万バーツせしめた幸運なおばさんのことが、TVや新聞で報道されていたようだ。
 ドイメサロンは、海外からの観光客(主に台湾系中国人)のほか、バンコクなど国内からの観光客も多い。それらの客を相手に、メサロンの山上だけでも、数十軒のお茶やがある。店の5軒に1軒くらいはお茶やではないかとさへ思われる。
 「梅」は今年も、時期が遅すぎて、空振り。2月でないと・・・。まえにも同じことを書いたような気がする。代わりに、サンティキリの学校の前で、「マメスモモ」とできそこない(?)の青い「黄桃」を買ってきた。梅の代わりに果実酒にでも。
 頂上の公園では、さつきが咲いていた。地上とはだいぶ気温が低いようだ。大花の「ゼフィランサス」も満開で、花壇の脇から球根すこしばかり失敬してきた。
 山の上のパンやさんで「シュウクリーム」購入。店主は中国人のようだった。もしかして日本人かも。
 
「ドークケ(サンタンカ)」、昨年挿し木したもの打ち一部、20本ほど鉢上げして植え替え。
 今日の「ヘットハー」売り上げ、200バーツ。

芝刈り 2005年03月31日
 このところ、1週間おきくらいにまとまった雨があり、急速に庭の芝が伸びたので、久しぶりに、芝刈り機を出して芝刈りをした。



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