プロローグ

▽ ブナの森の写真集を作ろう、ということになりました。
 ブナの森の撮影から帰り、一息入れる時間帯は、なんとなく達成感があります。失敗や反省も多々あります。そんなことの繰り返しで、挫折しそうになることもありました。しかし、ブナの森の心地よい安らぎ感や、次なる山行きに期待し、撮影を続けることができました。最初のうちは里山の浅いところ、車の駐車地点からあまり遠くない所で、撮影していましたが、興味あるブナの情報が入ると、まだ見ぬブナを想い、徐々に山の奥深く入るようになりました。熊との遭遇を最大に恐れながら、でも二度も恐ろしい熊と出会ってしまいました。しかも至近距離で!

▽ 撮影時間は約5年に渡りました。と言っても最初の3年間は、本業の傍らの山行きですから、週末やホリデーに限られてしまいます。しかも天候に左右されますので、僅かな日数しか撮影行できません。仕事を休める日のほとんどを、ブナの森の撮影に費やしました。休暇の度に、山行きを強行する事は、しんどい一面がありましたが、ブナの森に身を置く楽しみが勝ります。「あの斜面の、キノコ菌に犯されていた大ブナは、どうなっただろう」などと思いをはせてしまいます。

▽ 私たちは情緒的な視点で、ブナの森を捉えることにしました。ブナたちは、歴史の物語を、たずさえて林立しています。妻と二人で山に入り、かっこいい巨樹や、成長過程でストレスを受けたブナ、外的要因で奇形樹となったブナ、自然と壮絶なサバイバルを戦い抜いたブナなどにレンズを向けました。それらのブナは、成長期に体験した出来事を語り伝えてくれます。それはとても貴重な情報であり、私たちにとって興味深いことです。

▽ 最初はブナに対する知識はほとんどありませんでした。ブナの森が美しいからとか、ブナの森にいると気分が良いから、という理由でブナの森へ通いました。ブナの森へ行くと、ウサギやヤマネに出会えます。アカゲラのドラミングが聞こえてきます。木の上に産みつけられたモリアオガエルの卵や、サンショウウオの棲家を覗き、森の奥に足を踏み入れれば虫の鳴き声が聞こえます。ヤマアカガエルが大合唱で迎えてくれます。山野草は途切れることなく、時季を繋いで、目を楽しませてくれます。ブナの森は楽しい森です。毎回新しい発見があり、好奇心にかられて、森へ足を向けてしまいます。ブナの森を撮り続けていると、それなりに新しい知識が蓄積します。しかし、専門的にならないように、あくまで情緒的な面から画像を通してブナと対峙しました。

▽ 唯一、不思議に思えることがあります。それは「動物も、植物も、全ての生きものを、最初に作ったのは誰なの」という不思議です。彼らが命を繋ぐための知恵と言おうか、巧みなシステムは、誰が作ったのでしょうか。我々人間が作るシステムは、時の経過でかならず疲労します。作り直さなければなりません。しかし、自然のシステムは、如何に古くなろうとも、色褪せない。決して劣化することのないシステムです。何処の誰が、未来を計算し尽して、完全無欠のシステムを、作ったのでしょうか。不思議です。私だけが持つ疑問でしょうか。

▽ 我々モンゴロイドは、自然崇拝をベースとして、歴史を積み重ねてきた民族です。以前、アジアの少数民族に興味を持ち、彼らの地を訪ねたことがあります。彼らの信仰の源は、ほとんどが自然崇拝です。山や森、そこにいる生き物全てを、信仰の対象として、崇め祭り暮しています。私は天地の総てを神が創ったと信じています。かつて日本の山は、ブナで覆われていたといいます。ブナの森は「あがりこ(注)」に見られるように、われわれ日本人の生活と密接に関わりあってきました。しかし、ブナを代表とする夏緑樹林の真の価値が評価されず、経済的のみの判断で、日本中のブナが、切り倒される運命に、なってしまいました。

※編者注: 「あがりこ」については、「あがりこ」 : インデックス に写真付で解説してあります。
 「ブナ」が雪深い山国の人々を、長年支え続けてきた感動の姿です。

▽ ブナ殺しと呼ばれた大伐採が、行なわれたといいます。神に対する冒涜行為だったと思います。山崩れや洪水が起きるのは、罰が当たっているのかも知れません。ある製紙関係にいた老人から聞いた話ですが、ブナ殺しが行なわれた理由は、西洋文化が日本に入ってきた為だというのです。西洋がもたらした紙文明を普及するがための国策だったと言います。当時の政府は。大手製紙会社に、パルプの原料として、国有林の伐採権を与え、紙の大量生産を推奨したのです。やがて伐採期限が迫ると、製紙会社は只同然で入手した伐採権を行使するため、総動員して山のブナを切り倒した。国有林のブナを手当たり次第伐採したというのです。これがブナ殺しの実態だと話してくれました。しかし戦後復興の時代でもあり、当時の人々に大いに喜ばれたとも言っていました。歴史の一面ではあります。

▽ 今も昔も人間とは愚かなものだと思います。近年、環境保全が言われ森林保護としてブナの植栽や自然更新がおこなわれ、ブナの森の保護育成が、クローズアップされています。信州はブナの極相林が多くありません。年間降水量が少なく冬の気温が厳し過ぎる為だといいます。ブナは気温格差が小さく湿潤な気候を好む樹です。多くのブナ極相林は新潟県との県境に分布しています。山国信州の宝として「ブナの森」を大切にしたいと思う一人です。この写真集を見て「ブナの森」に興味を持って頂けたら幸せです。

▽ ビジネスリタイアしてからは、時間が自由になりました。色々な森を撮影していると記憶に残る森があります。興味を惹かれる森には何度も通いました。時間帯をかえたり、手を変え品を変え、じっくり取り組みました。出会う度に異なる表情を見せてくれる飽きないブナがあります。さまざまなアングルから納得するまで、たっぷり時間をかけて撮りました。充実感を感じたひとときでした。本業のかたわら駆け足で撮った画像は、気に入ったものが少ないと思っていました。結果は逆でした。ここに採用した幾つかの画像は現役時代に駆け足撮影で撮った作品です。強烈なファースト・インプレッションは写真に現れます。初体験でしか得られない感動は格別新鮮で、自分にとって特別なものだと改めて知りました。「一枚づつ取り出せるほうが見やすいし便利だね」「本箱の肥やしにならないよ」と言う友の提案に従い、綴じない写真集としました。もし気に入った一枚が見つかりましたら壁に画鋲で貼ってください。
 
- プロローグ完 -




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