エピローグ

☐ 私達は二人とも信州に生まれた。 私は少年期を信州で過ごしたので、野山で遊ぶチャンスに恵まれ、都会では味わえない遊びを経験し、多くの思い出をもちました。 長野は四方を山に囲まれています。 春は野に蝶を追い、小川で小鮒を捕まえ、野池でエビを掬い、産卵で岸に寄る野鯉を待ち伏せ、こん棒の一撃で仕留めたり、毎日が面白くて楽しかった。 ある時期カイコの成長日記を書くため、百姓家の桑畑に入り込み、先端の柔らかな桑の葉を摘んで、農家の爺さんに大声で追いかけられ、死ぬほど怖かった思い出は忘れられない。 夏は町の西を流れる裾花川に泳ぎ、田んぼの畦でタガメやオタマジャクシと戯れ、母親の小言封じにドジョウを掬って帰ったりした。 秋はキノコと栗の季節。特にキノコ狩りは大好きで父親や親類の叔父さんに連れて行ってもらった。 キノコ狩りは山の東斜面を探す。 目を凝らし、山の斜面を這うようにして、ゆっくり上がる。 キノコを見つけたときの満足感は言い様がないほど嬉しいものです。 冬は舵取り付きのソリが自慢だった。 当時珍しかった舵取りソリの威力を見せてやろうと、友達の視線を感じながら、急斜面を猛スピードで駆け下りたまでは良かったが、運転を誤り立ち木に抱きつき、目から火花が散った。 今の子供たちは遊びの How to を親や本から学ぶが、われわれの時代は子供たちだけで遊びを作ったものである。

☐ 進学のため1955年に信州を後にし、50年近く故郷以外で過ごした。 2002年、一切の社会活動に終止符を打った。 設立以来38年続けた会社を、後継に引き継ぎ、自由の身となった。 自分としては、もう少し若いうちに引退したかったが、経済環境の変化が激しく、創業時からの仲間に止められ、数年のロスタイムを承知せざるを得なかった。 人は年を取るとノスタルジーにかき立てられる。 仕事から解放され自由になると、38年間、共に働いた妻の良子にも、「ふるさとの素晴らしさ」を改めて感じて欲しいと思う。

☐ タイトルの「ふるさとブナの森」は好きな言葉、響きがいい。 ブナの森と最初に出会ったのは、奥裾花の原生林である。 そこは少年期に川遊びをした裾花川の源流でした。 裾花川は、原種岩魚が生まれる奥裾花の湿原から、流れ出ていたのである。 水芭蕉の鑑賞に訪れた我々は、水芭蕉と共に名前も知らない巨樹、見たことも無いような大木が林立する大森林を見た。 その景観は私に強烈なインプレッションを与えた。 私の体の内部に響き共鳴した。 言葉では言い表せない感動を覚えた。 「目の前のブナの樹齢は300年位だ」と森のおじさんが教えてくれた。 その樹の肌の白さや滑らかさが目新しく、とても美しく見えました。 瑞々しい若葉を広げたばかりの大きな樹冠、ほかの森にはないブナ原生林の雰囲気が、めっぽう気に入り、殆んど瞬間的にブナフリークになってしまった。

☐ 蘚苔類が集まって作る幾何学模様の樹肌は芸術。 キノコは地味だけど、その姿はかわいくて好感がもてる。 ブナの森は若木や巨樹が林立し、メルヘンチックな雰囲気をもっている。 森の全てが欲しくて撮影に力が入りました。 森の中の笹をガサガサ揺らし未確認動物が走り去ったり、ウサギやリスなど、多くの生きものたちに出会うブナの森の魅力に引かれ、キノコ鎌をカメラに持ち替えて森通いを始めた。

☐ 少年時代、身近に物知り爺さんや大学生などがいて、キノコの見分け方など雑学めいたことを教わり、ちょっと得意になって、仲間に教えたりした。 しかい、今になって、教わったことに嘘が多かったことが判り、愕然としている、 ブナについても然りである。 「ブナをはじめコナラやクヌギなどの広葉落葉樹、つまり夏緑樹は、雑木と言って材木としての価値は低く、売れるまでに長い歳月が必要だ。 二世代に一回、山出しできれば上出来で、おまんま(ご飯)の種にならない」 と教わった。 「ブナは炭にしても、軟炭で高く売れない木偶の坊(デクノボウ)。 そんなこんなで、山師は難儀して厄介もののブナを切り倒し、早く育ち、金になるヒノキやスギを植林するんだ」 と教わった。 そのことは長い間信じていた。 しかし大人になってキノコ狩りに足繁く通ってみると、碌なキノコの取れないスギやヒノキの山より、収穫の多いブナの森が豊かな森に思えた。 やはりブナは価値ある貴重な樹だった。 長い間、嘘を信じ、嘘を言い触らしてしまった。

☐ 無事還暦を通過し、多くの人々に暖かく接して頂き、今日あることを感謝したい。 これまでにお世話になった方、支えて下さった方々に、感謝の気持を伝えたいと思い、私達共通の趣味である写真で、ふるさとを見て頂こうとと思い立ち、まとめる事にしました。 この「ふるさとブナの森」の写真集で、ふるさと信州の良さが少しでも伝われば、無常の喜びです。そしてあなたも「ブナの森へ行ってみよう」と思ったら声をかけてください。 Everyday Sundayの我々がお供します。 重い器材を担いでヨシベェと二人、「熊出没に注意」の立て看板にヒヤヒヤしながら、ゼェーゼェーと息を切らして沢を登りつめたことや、ブッシュを掻き分け、三脚をセットした苦労も報われます。

☐ 写真集が完成するまで、多くの人々から激励や協力をいただきました。 動物医療センターの原大二郎院長には、計画の段階から適切なアドバイスを頂きました。 井上こみち先生はお忙しいなか、安曇野のコテージや撮影場所のブナの森まで足を運んで、プロのノウハウを与えてくださいました。 長野県森林総合センターの小山泰弘氏には『信州ブナの研究資料』を頂き大変助かりました。 写真の選別に協力してくれた市野姉妹やわがファミリー軍団「いとこはとこ会」の諸氏、熊除けにと言って一緒に山を歩いてくださった安井夫妻、小宮山俊画伯の愛弟子 Mr.Rajesh(新日本美術所属)、その他多くの方に感謝し、厚く御礼申し上げます。
 
- エピローグ完 -




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