2004年初版時のプロローグ


ブナの森 は安らぎの森です。時間を忘れ、撮影に没頭した一日が終り、味わう達成感は心地よいものです。時にシャッターチャンスに見放され、疲労感を背負って森を後にする日もあります。それでもブナの森へ足が向いてしまいます。森は心を癒し時間を忘れさせてくれます。ブナの森は不思議なパワーを持っています。あたり全体から爽やかさを醸しだし、元気を与えてくれる森、それがブナの森です。1年は365日あります。しかし天候に左右されるのでわずかな日数しか山入りできません。雨上がりの森の美しさは格別です。時に想像を絶する後継に出会えます。カメラマン至福の時です。古来ブナの森は里山の人々の生命維持装置だったと言われます。屋根が埋まるほど雪が降る豪雪地帯の生活は過酷です。晩冬畜えた薪が底をつくと、彼らは雪上に顔を出しているブナの枝先を薪にします。やがて春になりブナは目を覚まし、切られた傷を癒し成長を繰り返します。そうして出来た姿を人々は「あがりこ」と呼びます。ブナは里山の人々の生活と密接に関わり合い、命を繋いできた樹木です。

戦後、樹齢300年ほどの利用可能なブナは壊滅的に伐採されました。今日見られるブナの森は概ね二次林、三次林です。製紙会社に働いた老人は、「ブナの大量伐採は、西洋文化が原因だ」と話してくれました。合理主義を由とする近代社会は、経済優先が至上命令でした。「ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」とチョンマゲに別れを告げた維新政府は、近代化を急ぎました。『手漉き和紙と毛筆文化』から『洋紙とペンの世界』へと変化するなか、製紙工場はパルプを必要とし、高まる需要からブナなどの雑木林(夏緑樹林)の伐採を思いつき、森の存在価値を検証しないまま、伐採へ舵を切ったそうです。時の政府は製紙会社に好条件で伐採権を与えました。営林署のブナ大伐採事業を当時の人々は《ブナ殺し》と言ったそうです。今「ブナ殺しは犯罪だった」と言われています。森を守るはずの営林署が森を破壊する。私もその行為は犯罪と言っても過言ではないと思っています。昭和に入り、伐採許可期限がせまると、国家事業の営林政策だとして、国有林のブナを皆殺しにしてしまいました。当時は戦後復興の時代で、木材需要が活発でした。製紙会社は明治時代に只同然で入手した伐採権を行使しました。里山の人々を雇用し、ブナを切り出しました。皮肉にも戦後復興時の失対事業として、里山に暮す人々は伐採事業で潤い、喜んだと聞きます。残ったブナは、山出し不可能な深山幽谷にある峰のブナだけです。その様を見て「ブナの峰渡り」などと言われています。今、私たちが奥山で見る大木、巨木は営林署の「ブナ殺し」から逃れたブナです。

不思議に思うことがあります。すべての生きものを創ったのは誰?という疑問です。動植物の命を繋いでいくシステムを創ったのは誰だったんでしょうか。自然界のステムはあまりにも完全無欠です。悠久の年月にも色褪せないビクともしないシステムを、何処の誰が、何時、どのようにして創ったのでしょうか。不思議に思います。現在は森林保全が盛んです。治山、保護林としてブナの効力が理解され、里山では課外授業の一環として小中の生徒が植栽による森の更新を行なっています。信州の森、極相林は多くありません。年間降雨量が少なく、冬の気温が厳しすぎる為だと言われます。山国信州の少ないブナの森を元気のまま後世に伝えたいと思います。この写真集を見てブナの森 に興味を持っていただけたら幸せです。
(2004年初版時のプロローグ)




2004年初版時のプロローグ                            
inserted by FC2 system