2004年初版時のエピローグ


奥裾花へ水芭蕉の撮影に出かけました。私の子供の頃は深山幽谷の近寄りがたい山奥でした。今は道も良く車で行けるようになりました。鬼無里は私の母方のお爺さんの出身地でよく耳にする地名だったので身近に感じてはいました。戸隠から奥裾花の水芭蕉へ行く途中、裾花川のリバーサイドに「おやきのいろは堂」という店があります。昔ながらの故郷の味と素朴な故郷の匂いを与えてくれる店です。お焼きを頬ばり小一時間車を走らせると奥裾花自然公園。私たちはこの地で「ブナの森」に出会いました。奥裾花のブナ原生林は見事でした。奥裾花は少年期、川遊びに興じた裾花川の源流です。裾花川は長野氏の西部地区を流れ、千曲川最大の支流の犀川へ合流、千曲川、信濃川と名を変え日本海へ注ぎます。奥裾花の源流では、原種イワナの幼魚が、無数に群れていました。私が最初の泳ぎをおぼえた裾花川、その川の源流に立ち半世紀の時の流れを思いながら、昔の友や当時の出来事を思い出し、懐かしい気分になりました。

水芭蕉の群生地を囲むように林立する名前も知らない大木、青い空が見えない薄暗い森に立ち、圧倒され、驚き、感動しました。私にとってのファーストインプレッションは強烈でした。私の目は点となり釘付けにされ、シャッターを切ることさえ忘れていました。「目の前の大きな木はブナで、樹齢300年位だよ」と、森のおじさんが教えてくれました。初めて見るブナの大木は見事で、それだけで新鮮でした。更に白い滑らかそうな樹肌は、幾何学模様が美しく、ずっと見ていて飽きない不思議な魅力がありました。芽吹いたばかりの若葉が、もえぎ色の大きな樹幹を造っていました。ブナ原生林の雰囲気に魅了され、私はブナフリークになりました。

1965年、八洲建設工業株式会社を創設、以来40年間、事業にすべての時間を費やしてきました。早い時期から、ある年齢になったら仕事から解放されて、妻と二人で好きなことをやって暮したい。私たちはお互いに意味のある人生を送ろうと話し合ってきました。運が向いて、62歳の時、仕事の流れ、従業員の今後など周りの環境が整い、40年続けた事業を締めくくり、終ることが出来ました。多くの人々に支えられ無事に今日を迎えることができ、感謝しております。
心より御礼申し上げます。

私たちは趣味で続けてきた写真をまとめ、感謝の気持を伝えるべく写真集『ふるさと ブナの森 信州』をまとめることにいたしました。この写真集から、私たちのふるさとである山国信州の良さを感じていただければ Photographer として少し胸を張れる気分になれ幸せです。写真集が完成するまで多くの皆さんの協力をいただきました。動物愛護センターの原大二郎院長には、計画の段階から相談に乗っていただきました。ノンフィクション作家の井上こみち先生は、忙しい時間を割いてブナの森まで足を運び、プロのノウハウを与えてくださいました。
長野県森林総合センターの小山康弘氏には、出来たての貴重な『信州ブナの研究資料』を頂き、大変助かりました。一緒に山を歩いてくださった仲良しの安井夫妻、小宮山俊画伯の愛弟子 Mr.Rajesh (日本美術所属) その他多くの方のご協力に感謝し、厚く御礼申し上げます。
(2004年初版時のエピローグ)




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