ェンライって、どこにあるの?

全国図 位置 

 東経100度、北緯20度。台湾よりは南、フィリッピンよりは北に位置しています。東京から、南南西に直線距離にして、約4,000km。

 バンコクから、北へ約800キロほど。東京から広島くらい離れています。タイ国の最北に位置する県で、100年ほど前までは、ミャンマーのヤンゴン方面に出るほうが、なにかと便がよかったらしいです。

 午前中に成田をたつと、バンコックで乗り継いで、「チェンライ空港」には、夕方7時ころに到着します。チェンライ空港が「国際空港」に昇格したため、一切の入国手続きができます。成田空港で預けた手荷物も、チェンライで受け取ることができます。国際線からの乗客も少ないため、入国手続きで長蛇の列などということもなく、とても便利になりました。


ェンライって、どんなとこ?

 タイの大部分が、「熱帯サバンナ気候」に属する中で、数少ない「亜熱帯気候」にはいり、「暑期(3〜5月)」の一時期を除いて、われわれ、温帯人間にとっては、比較的過ごし易いところです。さいはての田舎ということもあり、人情豊かな素朴な人たちが生活しており、食事も、南のほうのように「激カラ」なんていうこともなく、なかなかいいところです。


 県都のチェンライまで、バンコクから、路程で785キロ、空路だと約1時間半の、最北の県です。北西はミャンマーと、また、北東はラオスと国境を接しています。メーサイ、チェンセン、チェンコンに、国境の検問所があり、近年物資の往来も盛んになりました。メサイの第2橋梁はこの4月には完成し、また、チェンコンには、対岸のラオスの町フエサイとの間に橋の建設が計画されていて、完成すると雲南まで高速道路でむすばれるらしいです。
 この一帯は「ゴールデン・トライアングル」といって、かつては、麻薬取引で世界に悪名をとどろかせていたようですが、現在では、ごく一部を除いて、その面影は消えてしまったようです。チェンセンの「ゴールデン・トライアングル」には、「ホー・フィン」といって「アヘン博物館」が建てられ、海外からのお客さんばかりでなく、地元の子供たちの遠足の場所になっています。

 チェンライ県の面積は11500ku、その半分以上が、海抜2000m以下の山岳丘陵地帯で、県都チェンライの海抜は、約400mです。人口150万、そのうち、いわゆる少数民族と呼ばれている人たちが、20万ほどで、少数民族の種族数や人口のもっとも多い県のひとつです。そんなこともあり、山岳少数民族は、チェンライ県の重要な観光資源のひとつにもなっており、山岳民族めぐりのトレッキング・コースになっていたりします。
 ちなみに、人口密度は、130人/ku。

 気候的には、一年の半分が雨期、あと半分が、乾季にはっきり分かれていて、年間雨量は、2000mm前後ですが、そのほとんどが、5月末からの雨期に集中し、年間降雨日数140日程度です。
 一年を通じての最高気温は、38度くらいで、最低気温は、10度を少し下回る程度です。最高気温は、4〜5月頃、最低気温は、地元で「寒季(ナー・ナウ)」とよんでいる11〜1月頃に記録します。ただ、近年は、「地球温暖化」の影響か、乾季にも、まとまった雨が降るようになり、数年前には、最低気温も、 1.5度まで下がって、みんな震え上がったそうです。
 氷がはったり、雪が降ったりすることはありませんが、乾期末ころ、「雹(ヒョウ)」が降り、まれには、ゴルフ・ボール大なんてのもあって、農作物や家屋に大きな被害を与えることもあります。

 県外からの交通手段としては、バンコクからの定期便が、1日5往復程度、チェンマイからが2往復(こちらの方は、廃止になったり復活したりで、あてには出来ませんが)。あとは、長距離バスだけで、鉄道は、計画だけあって、まだ実現しておりません。ただ、道路は、県南から最北端のメーサイまで、植栽のきれいな中央分離帯のある、片側2車線の道路が、開通し、車は、驚くほどの高速で走っています。時速120kmなどもそんなに珍しいことではありません。
高速道路として作られているわけではないので、交通事故があとをたたず、当局も苦慮しているようです。

 一人当りの国民所得は、全国統計によりますと、下から5指に入る、貧乏県ということになっていますが、チェンライ県は、お役所が把握できない収入が多く、全国的には中程度というところではないでしょうか。田舎の県としては恵まれている方かもしれません。

 観光事業による収入や外国からの送金のほか、おもな産物としては、米、とうもろこし、大豆、しょうが、竜眼(ラムヤイ)、にんにく、リンチー、パイナップルなどがあり、最近では、コーヒー、茶の産地としても有名になりつつあります。

 大きな工場いわゆる、工業製品を、生産する工場は、ほとんどありませんが、缶詰工場、乾燥野菜工場など、農産物加工がらみの工場は出来てきたようです。日本の醤油工場や、日本米の精米所などもあり、わずかですが、日本からの下請け工場の移転等もあるようです。

 日本人の「ロングステイ」先としては、チェンマイが有名ですが、『住み良い県、ナンバーワン』に選ばれたことなどもあって、最近は、チェンライに「ロングステイ」する人も出てきたようで、現在では、チェンライ県に長期滞在している日本人は、1000人以上いるものと推測されます。







 メーチャン(メチャン郡)メーカム(メカム町)

チェンライの地図  標準語では、「メーチャン」、「メーカム」と、のばして発音するのですが、地元の人たちは「メチャン」、「メカム」とのばさないで発音します。これだけで、よそ者かどうか、わかるらしいです。
 メチャン郡は、タイの中でも、最も良質の「リンチー」の産地として有名です。

 「メチャン郡(右の全県図のピンクの部分)」は、チェンライ県の中でも、最北に近く、西は、チェンマイ県、ミャンマー領に接しています。
 数年前に、王室の御用邸(パ・タム・ナック)を含めた、少数民族の住んでいる山岳地一帯が「メーファールアン郡」として分離し、面積は半減してしまいました。
 郡役所のある「メーチャン」までは、県都チェンライから、車で30分ほどです。
 赤で塗りつぶしてある部分が、わが町「メーカム」です。この西のはずれに我が家があります。
詳細は、以下で・・・。



メーチャン郡のデータ

   人口     115、000人
   面積        790ku
   人口密度  145人/ku。

   テサバーン・タンボン(市)  4
   タンボン(町)         11
    ムー・バーン(区)       132




我が家のあたり

付近の地図



 バンコクから、県都・チェンライを経由して、ミャンマーとの国境の町メサイへ通じる国道1号線(通称パホンヨーティン道路)の、里程標865km付近の「メカム寺(ワット・メーカム)」(大きい赤丸)のわき道を、西へ4kmほど入ったところ(小さい赤丸)が、わが村、バン・パヤーン(BAN PAYARN)のあるところです。
 県都チェンライからは、車で45分ほど。

     住所  : B. Nongien T. Maekham A. Maechan
     連絡先 : 053-665-171
     メール : nori _ payarn @ msn.com
 ( スペース 削除 して 手入力 で )

 少数民族の部落を除く、平地のタイ人の部落としては、一番西のはずれにあり、最後まで、電気が来なかったとところです。集落が出来たのも、このあたりでは、最も新しく、40年ほど前にチェンライ県の南部、パーン郡などから移住してきた人たちが住み着いたのが、現在の集落の始まりです。
 当時は、パヤーン村(バーン・パヤーン)とよんでいたそうですが、現在では、行政区画上は、ノンギエン村(メーカム町第7区)に統合されています。

 現在の人たちが住みつく前、はるかに昔に、人々が生活していた形跡はあるのですが、長い間ほとんど無人の期間があったようです。
 わが家の新築工事の際、地下およそ1mくらいのところで、「新石器時代」の遺物がたくさん見つかり、さらにその上層の、地表から4〜50cmのところからは、「アユタヤ時代(ランナー・タイ時代)」のものと思われる陶磁器の破片が、たくさん見つかっています。おそらく、わが家のあたりは、川岸に面しているので、壊れた陶磁器など生活用品の処分場所だったのかも知れません。
 現在のチェンライ県一帯がビルマのモン族の勢力下にあった時代に、先住者のタイヤイ(シャン族)などがすんでいた可能性があります。

 また、わが部落「パヤーン村」の周囲は、高さ2〜3mの土塁で囲まれていた跡があり、かつてメカム川が蛇行していた時期には、「輪中集落」のようなところだったようです。


 わが家から2kmほど西へ行ったところに、「チャムトーン」と呼ばれているところ(緑色の丸)があり、養魚池や番小屋を作ってあります。管理人などいないので、猫・にわとりなど生き物のために毎日出かけなければなりませんが、暑期の一番暑い時期でも、いくらか涼しく、のんびり出来る場所です。
 山も川もあり、水にも恵まれていて、余生を過ごすのには比較的快適なところだと思っております。

「写真集」 ( 「 こんなところに住んでます。 」 ) をご覧ください。



inserted by FC2 system