チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2004年10月 INDEX

2004/10/02 長らくのご無沙汰です!
2004/10/03 学期末休み
2004/10/04 休止中にも、いろいろあった(1)
2004/10/05 SP-2
2004/10/06 「トン・テン」
2004/10/07 ソフトウェア購入
2004/10/08 ポンプ小屋の立て直し。
2004/10/09 雄犬の去勢
2004/10/11 LPレコードのパソコン録音
2004/10/12 芝の草取り
2004/10/13 モニターの修理
2004/10/14 葬式
2004/10/20 休止中にも、いろいろあった(2)
2004/10/21 柵(有刺鉄線)の移設。
2004/10/24 ブランド志向
2004/10/25 モニター、やっと修理から戻る
2004/10/26 トウィが死んだ
2004/10/27 想像しただけでおぞましい!
2004/10/28 オーク・パンサー(雨安居明け)
2004/10/30 義父、やっとのことで退院してくる
2004/10/31 溶接作業
2004年10月の日記

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長らくのご無沙汰です! 2004年10月02日
8月のはじめから、日記だけでなく、ホームページ一切の更新をしておりませんでした。身内の「不幸」な出来事が重なり、その気になれませんでした。現在も、いくらかは改善されたとはいえ、相変わらずの状態ですが、くよくよ考えていても、何も、解決されないことを痛感いたし、本日より、また、しこしこと書き込むことにいたしました。ホームページも作りかけのものがいくらかたまっていて、おいおい追加していく予定です。
 この2ヶ月の間にも、いろいろなことがあり、中でも、パソコンの故障で、わがパソコンは、日本へ往復してまいりました。修理が済んで、戻ってきても全く働く気がしないのか、電源を入れてもウンともスンとも診断してもらったところ、CPU(Pentium-4)が壊れていることが判明。交換したところ、見事に、奇跡的に復活いたしました。
おそらく、日本から戻ってくる途中で(航空便)、バンコクの空港税関あたりで、致命傷となる、X線非破壊検査を受けたものと思われます。タイあたりのX線装置は、一時代前の強烈なやつらしいのです。
 いづれにしても、とにかく、また以前のように使えるようになったことはうれしい限りです。今回の故障の原因になった、規定以上の高圧電流の流入を防止するために、UPSも新調しました。前のものは予算をケチったこともあり、ほんとにろくでなしでした。今回日本で受けた「大手術」は、パワーサプライとマザーボードの交換で、人間にたとえれば、筋肉と消化機関を全部取り替えたようなものです。さらに、こちらに戻ってから、脳みそに当たるCPUまでも交換していて、すっかり別人に代わってしまったようなものです。ただ、貧乏人にとって、さいわいなことに、往復の「旅費」以外「手術費(修理代)」は保障期間中(3年間)ということで無料だったことです。国内旅費は、佐川急便で無料でした。
「DELL」さんどうもありがとう。

学期末休み 2004年10月03日
子供たちは、今週の月火水に学期末試験があり、長期休暇に入った。明日と金曜日に試験の結果をもらいに行くため、登校するが当分まだ休みが続く。家に、4人も娘たちがいるとにぎやかでいいが、仕事でも押し付けないと、毎日ゴロゴロで怠け癖が着いてしまう。
 上の娘、二人は、休みか休みでないかににかかわらず、毎日日課が決まっている。朝は、必ず、5時半におきて、市場に行ったり、朝食の支度。小生用の、コーヒーと朝食も用意する。小生だけは、6時半頃までには、パソコンの前で朝食。夕方には、犬のご飯炊き、夕食の後片付けは、彼女たちの仕事。自分たちの衣類の洗濯や制服のアイロンがけなどは、当然自分たちでやる。
 休みの日には、ほかに特別の仕事もさせる。今日は、午前中は、「ヘンテコ瓜」の収穫の手伝い。「ヘビ瓜」の一種だが、瓜の長さは、15cm程度。このあたりでもあまり作ってはいないらしい。
 タイの田舎でも、最近の子供たちは、「手伝い」をしない子供が増えてきたようだ。学校の宿題などが多いためもあるが、勉強を理由に怠け癖が着いてしまっているらしい。
 それでも、我が家の子供たちは、家人たちが厳しく言うせいもあってか、まあまあ言うことは良く聞く方かもしれない。やるべきことをやらないと、ひどくしかられる。時に「死にたくなる」なんて、言い合っているらしい。
 だが、「鉄は熱いうちに打」たないと・・・。

休止中にも、いろいろあった(1) 2004年10月04日
2ヶ月休んでいる間にも、いろんなことがあった。
一番の重大事件は、前にも書いた、パソコンの故障と日本での修理。
二番目(?)は、犬の「ティウ」が誘拐されたこと。
 姿が見えなくなって、1週間ほどは、あちこち探し回ったり、聞きまわったりした。4,6時中一緒の義父の落胆ぶりもかなりなもので、「ティウ」がいなくなった直後は、相棒の「トゥイ」のおびえた様子から察するに、よほど怖い思いをしたものかと推測した。2匹で、策の外に出かけることが多く、鶏の雛などおそっているとの被害届けを聞くにつけ、「猫いらず」入りの餌を食べて野垂れ死にしたのか、銃殺されたのか、あきらめていた。
 「ティウ」がいなくなって、4日目頃だったと思うが、ひょっこり帰ってきた夢を見た。だが、その後も、姿を見たという情報は2,3あったが、いなくなる前のことらしかった。
 10日ほど過ぎて、もうすっかりあきらめていたところ、子供たちを学校に迎えに行った帰り、我が家から、5kmほど離れたメカムのお寺の裏を車で通りかかったところで、全く偶然に、ヤツらしい犬を発見。直ぐに車を止めて、名を呼ぶと車のドアー近くまでやって来た。姿の似た犬は、普段から、たまに見かけることもあり、もしや間違いではと、わが目を疑ったが、間違いない。いなくなったときのままの首輪をつけている。電光石火のごとく抱え上げ、後部座席の子供たちの足元に押し込む。「よかった、よかった、ほんとによかった」。「ティウ」がいなくなって、この方、家族みんながなんとなく憂鬱なき気分だった。チャムトーンの近くには、「犬レストラン」もあるらしいし、休止前にも書いた「オデン(オリアン)」は、いまだに見つかっていない。おそらく食べられちゃったにちがいない。
 「ティウ」を見つけた直ぐ近くに、「犯人」と思われる男の家がある。その男の土地がチャムトーンの我が家の土地に隣接しており、使用人を雇って牛など飼っているが、雇い人ともども、犬を好んで食べるらしい。「ティウ」が見つかる前から、犯人らしいと疑っており、そんな男がご近所さんであるだけに、毎日が憂鬱だった。
 それにしても、つれて帰れたのは、奇跡的というしかない。
その事件以来、我が家のチャムトーンの犬たちは、鎖につながれていて、一日のうちでも、ほんのわずかな時間しか開放させてもらえないでいる。
 「犬たち」といったのは、「ティウ」がいなくなって、「トウィ」一匹になってしまい、かわいそうだからといって、メカムのおばさんが犬肉屋に売った犬を、大枚200バーツも出して引き取ってきた。「プイ」という。なんか浦島太郎みたいな話だが、成犬になってからやってきたので、なかなか慣れなかったが、やっと、ここが自分の新しい家だと思えるようになったのか。甘えるようになった。
 さらにさらに、「プイ」がやって来た翌々日くらいだったと思うが、義父の末弟「アヨート」が、子犬を連れてきた。自分の家で飼っていた犬が6匹ほどの子を産み、あちこち、養子先を探していたところ、兄貴が、飼い犬がいなくなって落胆しているらしいと聞きつけてつれてきたらしい。生後まだ2ヶ月くらいのテリアの大雑種。鼻の周りのひげ(?)の具合は、一応、スコッチ・テリアだ。名は「ビック」という。(わが本家のほうにも、母親が、ダルメシアンの雑種の「ビック」がいる。こちらのほうは、父親似で、全身真っ白で短足、ダルメシアンのダの字もない。)
 そんなわけで、今、チャムトーンの犬も4匹になってしまった。本家の犬もあわせると、全部で、なんとなんと、16匹。えさも注射も、掛ける16だからだからたいへんである。想像できるでしょう。
 猫については、また、後日。

SP-2 2004年10月05日
真夜中に、目が覚めた。
昨日の、チャムトーンの天水貯めの掃除で、普段使わないところを使い、筋肉痛で目が覚めたらしい。なんとなく、そのまま眠り続けられなくて、WIBDOWSの更新をすることにした。今度の更新は、セキュリティ強化を目的にした、随分大掛かりなもので、いろいろ問題がありそうだというので、インターネットで、事前にいくつか調べてみたが、たいしたこともなさそうなので、強行することにした。WINDOWS SP−2である。何しろ、80MB以上の大物をダウンロードしなければならず、ダウンロードだけでも、順調に行っても7時間近くかかる。結局、インストールまで含めて10時間近くかかって、やっと昼前に終った。
 最初に購入したパソコンはMEで、XPに変更するときにも、ドキドキしたが、今回もいろんな意味で、気苦労が多かった。それだけに、作業が完了して、再スタート後時に出てきた、WINDOWS XPのロゴ画面で、ブルーの線が左から右に走るのを見て、ああ、やっと無事終ったとほっとした。今までは、グリーンだった。
 何しろ、長時間使い続けると、よく停電などに出くわして、なんとも面倒なことになることが多い。昔、若かりし頃のことを思い出す。仕事でコンピュータを使っていた頃のこと。年がら年中のトラブルで、ひとつの仕事をやり遂げるのに、「すごろく」の「ふりだしにもどれ」と同じことを何回やらされたことか。入力媒体がカード(パンチ・カードといって、いまでも、一部のタイムカードなどで使われているあのカードに似た、紙製のカードで、記録情報は、孔を開けて記録される。)だった時代のことである。あまり思い出したくないが、あの時代にいまの自分の、コンピュータに関する経験と知識が養成されたと思うと、忘れてしまってはいけないことなのかもしれない。
 ともかく、SP−2、テストを兼ねて、夕方まで使い続けてみて、採りたってトラブルもなく、ほっとした。部分的には、レスポンスもよくなったような気がする。気のせいかもしれないが。

「トン・テン」 2004年10月06日
雨期明けごろから、川を上ってくる雑魚を捕る仕掛けのことである。
「テン」とは、「踊る」の意味で、川えびの「踊り食い」を「クン・テン」という。
「トン」とは、標準語では、多分、「トゥン」(袋の意)だろう。
 上ってくる魚が飛び跳ねるのを、堰などの落ち水のところに仕掛けた「ポケット」つきの網で捕まえるのである。「まちぼうけ、まちぼうけ〜♪」の歌のようにしかけておけば、あとは待っていればあちらさまから、勝手においでくださる。なんとも、気楽な漁法である。魚が、ポケット部分に飛び込むのを見ていると、なんともうれしくなる。チェンライに来て間なしの頃からの小生の得意(?)な、「殺生」の方法のひとつである。魚を捕ったり、獣を捕ったりすることを、わが田舎では、殺生(せっしょう)と言っていた。今でも、そんな風に言われているのだろうか。
 この時期に、川をさかのぼってくる魚は、あぶらが乗っていて、とてもおいしい。中には、なまで刺身で食べられるものもある。中でも「パ・ソイ・コム」のフリッターは、わかさぎのフライを思い出させるもので、なかなかいける。

 向かいの「パ・ナン」の旦那(?)、ルン・トゥンが戻ってきた。新年後、ミャンマー(マンダレー)に帰っていたのだが、4ヵ月後には戻ると言っていた。おおむねそのとおりに、戻ってきた。こんなところじゃなく、もっといいところがあるのではと、思っていたが・・。口さがないものたちは、そんなこと言っていても、もうここには戻ってこないよなんていっていたが。いい男である。彼も、覚悟はしていたこととは思うが、義理の娘の「イ・スク」が死んだことは、知らされてなかったらしい。

ソフトウェア購入 2004年10月07日
 久しぶりに、インターネットでソフトを買った。
� KillerNoise  :
 音楽ファイル(WAV形式)の 雑音を除去するため。カセットテープなどからのものは、雑音がひどいものがあるので、このソフトを使うと、いくらか聞きやすくなう。
ただ、思い切って雑音を取り除こうとすると、もともとの音まで劣化してしまうので、雑音除去の程度はなかなか難しい。値段のわりには、便利なソフト。
� TMPGEnc     :
 VCDを作るときに、映像形式を変換するのに使う。
このところ、葬式のあるたびに、VCD化を依頼されるので、購入。
無慮yソフトでも不可能ではないが、めんどくささと時間を考えて仕方なしに購入。

 あわせて5,000円ほどの買い物だったが、インターネットでのソフトの購入も随分便利になって、1時間ほどで手に入れることが出来るようになった。

 コンピュータというものは使う人が、いろいろ工夫しないと、その便利な機能を力いっぱい発揮してはくれない機会である。世の中には、随分重宝するソフトが山ほどあるが、基本的には、無料のソフトしか使わないことにしている。
 ウィルス対策、ファイウォール、スパイ対策、などもすべて、フリーのものを使っている。

ポンプ小屋の立て直し。 2004年10月08日
屋敷内の、今までマンゴウなど植えてあったところ、約500�を、畑に変え、乾期に備えて、スプリンクラーをつけることにした。スプリンクラーや、ポンプなど一式昨日購入。しめて15,000円あまり。ポンプは、上水用のポンプ小屋に設置する予定であるが、このポンプ小屋、広さは、わずかに畳、一畳ほどだが、10年以上前から、ピサの斜塔のように傾いてしまっていた。コンクリート製の床下に、ねずみが入り込み、それを狙って犬どもが、床下を掘り返し、傾いてしまったわけ。傾いてはいても、見栄えが悪いだけで、別段支障もないため、そのままにほってあったのだが、なんとなく縁起が悪いような気がして、今度、スプリンクラー用のポンプが同居するのを機会に、まっすぐに立たせてやろうと、家族中でがんばった。
 車のジャッキを2個使い、横から押した。なかなかうまくいかず、後わずかで垂直というところで、やめにした。それでも、よくよく見つめないと傾いて売ることがわからない程度には、元に戻った。
 スプリンクラーの設置工事は、近所の人たちにも手伝ってもらう予定で、手のすくのを待って行う予定。2,3日後になるのでは。
 新しく出来た、畑には、来年は、サトイモとこんにゃくなど作付けする予定。今年は、田に植えて、たびたび冠水したため、ほとんど全滅だった。そんなこともあろうと、種用だけは、わづかではあるが、別のところにも植えてあったので、子孫だけは絶やさずに済ませることが出来そう。我が家の自家用の農業は、農薬も化学肥料も全く使わないので(ケチだから)、うまくは出来ないが、こんにゃくもサトイモも日本から連れてきた「仲間」だと思うと、絶えてしまうのは、なんとなく悲しくて・・・。
 ちなみに、こんにゃく、サトイモ、ともに地のものが市場で手に入る。こんにゃくは、全く野生の芋を使って作るらしいが、芋のせいか、凝固剤のせいか、日本で食べたものとはかなり味がちがう。慣れれば、おいしいという人もいるが。

雄犬の去勢 2004年10月09日
パサーン部落から、家に獣医(?)に出張してもらい、犬の去勢をした。全部で6匹。
「コーラ」、「ビッグ」、「オーウェン」、「マイケル(マイク)」、「トゥイ」、「ティウ」。犬の社会には、猫とちがって「いじめ」がある。よってたかって、弱いものいじめをする。いじめられた犬は、「情緒不安定」になり、人間との関係もうまくいかなくなる。特に、雄の方が、顕著である。いくらかでも、「いじめ」が減ればいいと考えて、「コーラ」以下、元気盛りの雄犬4匹の去勢をしてもらった。チャムトーンの「トゥイ」と「ティウ」は、思春期を迎えて、雌犬探しに、しょっちゅう出歩き、銃撃されたり、誘拐されたりしたため、去勢してもらった。
 手術代は、一頭あたり、200バーツ(500円あまり)でしめて、1200バーツ。大金である。
 ついでに、雄ねこ2匹の去勢もしてもらう予定だったが、今日に限って、危険を察知したのか、どこかへ出かけて姿が見えず、後日ということに。
 こちらのほうは純然たる産児制限。現在生まれて間なしの子猫を含めて、チャムトーンだけで12匹になってしまった。マイワイ(お手上げ)である。家の7匹とあわせると、実に19匹。これでは、えさ代もさることながら、養魚池の魚は、人間様の口に入らなくなってしまう。年間では、3000尾近い池の魚が、焼き魚となって猫様たちに持っていかれてしまう。

 先だっての、大雨で決壊したメカム川の土手の補修工事始まる。
総選挙前で、事前運動のひとつとして、代議士が圧力をかけたこともあって、工事自体は、割りに早く始められたが・・・。川底の砂を、パワーショベルで積み上げるだけだから、2,3回大雨が降れば、また、決壊間違いなし。決壊して、被害が出ても、マスコミなど大騒ぎするほどには、実害はないのだから、よしとするか。「水太り」なんてのもあるらしい。

LPレコードのパソコン録音 2004年10月11日
かねてから、かなりの枚数のLPレコードを持っている。
30年ほど前、今よりは少しばかり羽振りがよかったとき、ちょっとばかりオーディオに凝っていた。アンプは、LAXの真空管アンプ。スピーカーは、普及版ながら、JBL製。LPプレイヤーは、Nationalの高級製。カートリッジは、Stanton。
 当時は、どちらかというと、音の良し悪しの方にばかり気が行ってしまい、演奏を聞く方は、二の次だったかもしれない。
 最近また、インターネットから音楽をいただいて聴くようになり、昔の癖で、あまり芳しくない録音ばかりに出会い、何とか、自前のLPをパソコンに入れたいなと思い始めた。とは言うものの、今や、道具立てに金を掛けるわけには行かないので、うまくいくのか心配で、恐る恐るはじめてみた。
 なにしろ、LPの仕掛けは、20年近く棚の中で埃りをかぶっていたもので、あれこれ、試行錯誤はしたが、さいわいなことに、ありあわせの仕掛けだけで、うまくいくではないか。しかも、最近のCDなんかよりずっと、いわゆるSN比はいい。
 ノイズ除去プログラムで、音をクリーンアップして、MP3に変換し、CDにも録音可能だ。今の仕掛けでいつまでも、手持ちのLPが聞けるわけではないので、すべて、CD化する決心をした。毎日1〜2枚でも、1年近くはかかるが、また、遊びごとが出来た。ホームページの更新はどうなっちゃうんだろうか、そちらのほうも心配。

 プリンターの修理屋から連絡あり。EPSONの方は修理完了したとのこと。
CANONは、交換部品代が、3000バーツくらいかかるがどうするかとのこと。
バカ、2000バーツ以下で買ったプリンターの部品が、何で3000バーツもするのか。修理しないで、あたらしいものを買ったほうが言いに決まってる。聞いてくるほうも来るほうだ。売り物の、新品のプリンターからはずして、2000バーツにしろ。
 とは言うものの、この際EPSONの海外用に買い換える予定。STYLUS C65が、3110バーツの正札がついていた。
 それにしても、メカムのバカ・パソコン屋、間違って黄色のところに、黒インクを注入しやがって、日本なら当然損害賠償もんだ。タイだから、我慢してやるが・・。我慢というより、タイというところは、直ぐに文句付けに行かないと、責任逃れするに決まっているので、たかが2000バーツくらいで、ゴタゴタに巻き込まれるくらいなら、「泣き寝入り」に越したことはない。この程度のことでも。「逆恨み」されることがあるのは、あちこちで聞いている。

芝の草取り 2004年10月12日
二日続きで、夜中雨があり、ちょうどいいので芝の草取りをお願いした。
お天気のいい日が何日か続くと、草は台地にしがみつくようになってしまい、草が根ごと抜けないが、土がぬれているとうまい具合に抜ける。

モニターの修理 2004年10月13日
 何ヶ月も過ぎているのに、いっこうに修理できなくて、別のところに再度修理依頼する。そこは「SONY」製品のチェンライでの正式なサービスステーションとのこと。前からわかっていたら、そこに頼めばよかったのだが・・・。チェンライに、正式のサービス・ブランチがあることは知らなかった。
多分、バンコク往復するので、2週間くらいかかるとのことだが、あまり当てにしないで待つことに。

今までのところは、腹の立つことに、発泡スチロールの緩衝材の入っているダンボール箱までなくしてしまい。謝りもしない。「ソンナモノどっかへ言っちゃったよ」なんて平気で言う。争っても仕方がないので、スゴスゴと引き上げてきた。タイ人のわがかみさんも、随分腹を立てていた。もう、二度とこの店は利用しない。

 EPSON製のプリンター、修理完了(一ヶ月保証)とのことで、引き取ってきたが
いくらかはましになったようだが、やっぱり調子悪い。部品を交換しなければ、なおらないのかもしれない。

葬式 2004年10月14日
 村内で、また葬式。
33歳の男性で、子供の頃から、黄疸がひどく、腎臓が悪かったらしい。
先天的なものかもしれない。このあたりでは「血の薄い病気(ルアット・チャーン)」というらしいが、透析を受けていたらしい。何回か顔を見たことはあるが、とてもやせていて、顔は土気色でいかにも具合が悪そうだった。ほとんど家の外には出なかったようだ。

休止中にも、いろいろあった(2) 2004年10月20日
<村のお寺のふたつの不祥事>
わが村の寺は、10年ほど前に、正式に国の宗教管轄のお役所に認可された。
本堂のまわりに、「境界石」が設置された。その内側が、正式に認可された聖域ということだろう。国の出先の県のお役人が何人も出席して、盛大にお祝いの模様氏が執り行われた。
 タイの田舎には、「無認可」の寺が多い。一応仏教の出家儀式にのっとって、出家した坊さんなら、当たりかまわず寺を作ることが出来るようだ。わが村には、認可された寺以外に、2ヶ所、寺がある。
 
不祥事というのは、無認可の寺での話ではない。

1.住職の坊さんが、「酒」を飲み、酔っ払って、小坊主どもに当り散らした。小坊主の一人が、実家に駆け込んで、親に訴え、親は、町長(カムナン)に訴えた。カムナンはほっておくわけにも行かず、県に報告。県からは、担当のお役人が、出向いてきて「懲戒処分」。今度、また同じことがあったら、「破門」を言い渡したらしい。
「坊さん」や「寺」については、また、別のところに詳しく書くことにするが、日本とは、かなりちがう。「破門」になれば、還俗するか、どこか遠くの無認可の寺にでも、もぐりこむしかない。くだんの坊さんは、わが村の寺の住職になって、もう、20年以上になるらしいが、また、何で「酒」など。まだまだ修行が足りないようだ。

2.小坊主どもが、住職の有り金くすねて、いろいろ買い物。
ある日、坊さんが、沐浴中に、坊さんのズタ袋の中の金庫の鍵を盗み出し、金庫の中の有り金、3万バーツあまりを持ち出す。4人で山分けして、お買い物に。
携帯電話、バイク用のヘルメットなどなど。
小坊主でいるうちは、ヘルメットなど用はないはずで、一時は、村中の笑い話になった。結局は、気がつかれて、みんな捕まったが、警察沙汰にもならず、親たちが弁済して決着。そんなことでいいものですかね。

柵(有刺鉄線)の移設。 2004年10月21日
チャムトーンの柵の一部を移動。
北側に隣接する「ア・ヨウト(義父の末弟)」のリンチー畑が、ねぎ畑になって、我が家の犬、猫、鶏が、畑を荒らすとかで、「薬」を盛られる可能性が出てきて、移設することにした。
 山側にも増設予定で、4〜5人掛かりで、3日くらいかかりそう。
今日気がついたが、数年前のお役所の測量の際、我が家の土地が、大分「ア・ヨウト」に、もぎ取られたみたい。いまさら、コンクリート製の境界標識を動かすわけにも行かず・・・。裁判でもすれば、別だが。「金持ち喧嘩せず」か。それにしても、1m近くわが土地にくいこんでいるとは。全部あわせると、100�近くになる。セコイね、やることが。

義父の体調が悪いようだ。血圧が高いとかで、昨日クリニックに行き、もらってきた薬(降圧剤)が効きすぎたみたい。

ブランド志向 2004年10月24日
 タイの田舎の子供たちにまで、服飾品などに「ブランド志向」がはやり始めてきた。
「ブランド」服飾品にも、以下のような3通りがあるようで・・・。
� 正真正銘の「ブランド」品。
 チェンライ市内の衣料品デパートの特設売り場でしか手に入らない。
 値段は、おおむね1000バーツ以上するらしい。
 たまに、規格外品や、売れ残りがバーゲンされているらしい。
� 売っている人は、本当は偽物であることを知っていて、本物として売っているもの。ラベルなども完備しているし、材質などもそれらしいものを使ってあって、一見しては偽物とはわからないくらい巧妙に出来ている。仕立ても悪くない。
値段は、本物の2〜3分の一か。
� 売る人も買う人も、まがい物であることを承知している。
たいてい、商品のラベルなどはついていない。「ブランド」を気にしない人たちが、値段が安いので、購入する。最近では、取り締まりも厳しくなったのか、屋台店や移動マーケットのようなところでしか扱っていない。
 値段は、�の半値以下、200バーツ前後。

娘たち、若者の世界でも、衣料品、シャンプー、靴その他、あれこれと「ブランド」意識が、流行しているらしい。
 ちなみに、ウィンド・ブレ−カーを例にあげると、
� 「HARA」
 フード付きで背中に大きく「HARA」の文字。
 襟は紐で締めることが出来るようになっている。
 値段は、�以下の2倍位するらしく、本物はなかなか手に入らないらしく、
「HARA」を着ている人は、ちょっと誇らしげ。買えない人は、フード付きは嫌いなんて、やっかみ半分。
� 「UMBRO(アンボー)」
 欧州のさるサッカーチームのユニフォーム。
 三重の白いひし形のロゴマーク。
� 「Mc(マック)」(ジーンズのジャンバーが人気)
  「ADIDAS」などなど

 学校は制服厳守のため、寒期のウィンドブレーカーぐらいしか「おしゃれ」できないのでおおめに見てはいるが、・・・。こんなことも、タイの高度成長の賜物なのかもしれない。

モニター、やっと修理から戻る 2004年10月25日
先週の金曜日に修理完了の連絡があった。
約束どおり、2週間以内だった。SONYの代理店だけあって、その辺はしっかりしている。どんな部品かわからないが、2つ部品を交換している。部品代は100バーツと400バーツしめて500バーツだが、修理代やバンコク往復の運送費などが、追加されていて、しめて、1105バーツだった。
戻ってきたのはいいけれど、色合い、輝度、コントラスト、画面のゆがみなど調整するのが、なかなかたいへん。昔、テレビ受像機の、輝度などいじってなかなか思うようにならなくて、往生した記憶があるが、モニターの調整はそれ以上にたいへん。
なんだか知らないが、画面の文字がゆれてかすんでいるようで、なかなかうまい具合に調整できない。よる年波なのかもしれないが・・・。
 これで、さらにまた目が悪くなりそう。
 ついでに、LANボードとCD100まい買ってくる。CDは台湾製の「PRINCO」だが、1枚あたり、5.8バーツ(15円くらい)。随分安くなったものだ。
 LANボードは、娘のパソコンと接続するためのもので、以前はついていたのだが、パワーサプライをおかしくして修理に出したたとき、なくされてしまったもの。

 ケイ、「UMBRO」のウィンドブレーカー(赤に紺の縁取り)、とうとう購入。
450バーツ(1000円強)。店の人も、本人も、「本物」だと言っているが、値段からすると本物を装った「偽物」ではないかと思う。

トウィが死んだ 2004年10月26日
チャムトーンの「トウィ」が死んだ。全く、あっけないものだ。
今朝、10時前に見たのが最後の姿。あんなに元気だったのに。
車にはねられたらしい。外に出歩くのが好きで、このところは、ほとんど一日中鎖につながれていたのだが、われわれが出かけたときは、運動や水浴び等で一時放してやることが多かった。義父が昼過ぎに放したらしい。まだ、満で1才になっていない。
 チャムトーン界隈は、このところ結構車の出入りも多くなり危ないとは思っていたが。はねた車は、特定できないが、見通しの悪い田舎道なのに、スピードをだして走っていたものと思われる。

 チェンライへ。
パソコンの電源コード購入と、昨日、取り戻してくるのを忘れたプリンター用のUSBをもらってくるため。

 電源コードが手に入り、娘のパソコンも使えるようになる。
随分、久しぶりにゲームに興じている。うまいものだ。説明書(日本語)も読めないのに、あれこれいじっているうちに、キーの使用方法もマスターしてしまう。
パソコンゲームをするようになってから、ほんとに、見違えるように物事に集中できるようになった。

LAN接続は、「共有ファイル」の受け渡しなどうまくいかない。一応、接続は出来ているらしいのだが・・・。後日、トラブルシューティングすることに。

想像しただけでおぞましい! 2004年10月27日
「トウィ」はどうやら殺されて、肉にされたようだ。
車にはねられたと連絡してきた男は、チャムトーンの奥の「タイヤイ」の集落の中にある「犬の肉レストラン」のオヤジで、「お宅の犬が、車にはねられて死んだので、肉にした」といってきたそうだ。一月ほど前にも、空気銃で撃たれて、顔面と左足に銃創を負い、やっと回復したばかり。そのときも、時間は同じ頃、3時過ぎ。そのときは、殺そうと思って取り逃がしたにちがいない。
 そもそも、タイヤイの集落の中は、狭い未舗装の道路で、車は、犬をはねるほどスピードをだして走れるようなところではない。「トウィ」だって、もっとスピードを出して車が走っている道路にたびたび出かけ、車ぐらい避けるすべはとっくに学んでいるはずである。
 何とか、この犬の肉屋を懲らしめて、トウィの恨みを晴らしてやる方法はないものか。「黒魔術」ではないが、チャムトーンの土地神さまに、厳罰を与えてくれるようお願いした。

 トウィの件以来、日ごろから高血圧の義父の体長が極端に悪くなり、メカムのクリニックでは埒(らち)が明かず、夕方、とうとう、チェンライの病院に入院してしまった。
 ケサリンとノンカンが付き添いで病院に泊まることに。
「主」がいなくなり、厄介なことは、チャムトーンの犬と猫。猫は、さして問題がないのかもしれないが、残った犬3匹は、家の方へ引き取るしかないが、やっといくらか静かになってきた「犬社会」にまた波風が立つことになる。

 今日は、「ワン・ホオ・カノム」と言って、明日の「オーク・パンサー(雨安居明け)」の前日の、粽(ちまき)つくりをする日。我が家でも恒例で、バナナの葉で包んだ、ココナツ餡入りの粽を作った。最近は、シャレたお菓子もいくらでも手に入り、子供たちにはあまり人気はないが、それでも年中行事の習慣で作ることに。 明日の早朝、お寺参りにお寺へ寄進。

 めっきり寒くなった。いよいよ、チェンライにも、「冬」の気配。
半そでのT−シャツでは、鳥肌が立つ。朝の車の中は、ガラスが曇る。
朝霧が立ち込め、最低気温は、16℃そこそこ。もう、最低気温が10℃前後になるのも間近か。しばらく、この寒さに慣れるまで、厚着して寝ないと、風邪を引く。
何しろよる年波には、勝てない。

オーク・パンサー(雨安居明け) 2004年10月28日
今日は、オーク・パンサーの日(バンコク陰暦11月の満月)で、この日から坊さんたちは、公に外出が認めらています。この頃までには、タイの全土で雨期明けとなります。
お寺は、早朝から夜まで、善男善女のお参りで賑わい、山のお寺では、夜になると、恒例の「シャン族(タイヤイ)」の手製の花火大会なども開かれ、ワオと呼ばれる孔明灯(簡易熱気球)もあげられ、あちこちからバンバンと孔明灯につるされた爆竹の音が、夜遅くまで聞こえてきます。

 義父の体調は、大分よくはなったものの、まだ充分に回復していないとのことで、今夜もまた、ケサリン、ノンカンは病院泊りです。
 二晩目になるので、いつもなら今夜は代わりのものが泊まるのですが、野菜の収穫時とねぎ類の植え付け時に当たり、「代打」が出せない状況です。
 多分、明日には、退院できるものと・・・。

 また、犬が一匹、増えちゃった。
大型の白っぽいムク犬で、ケイの同級生の父親が、引き取ってもらえないかとつれてきたものです。病院に出かけいた留守中にも、一度たずねてきていたらしいのですが、夕方、病院から戻ると、門前に待っていました。まだ1歳前かとは思いますが、すでにかなり大きくなっており、慣れるまではまたいさかいが続くのかも・・・。本当は、もう、これ以上増やすわけにはいかないのですが、家がハイウェイの近くにあって、犬の事故も絶えず、もう一匹いた兄弟分は、車にはねられて死んだので、何とかお願いしたいと懇願され、やむを得ず引き取ることにしました。
 名前は、「ペプシ」といい、比較的おとなしい犬で、初対面であるにもかかわらず、良くついてくれました。
 ペットを飼うときは、家の環境や、将来のことなど考えて飼わないと、ペットも飼い主も、後になってつらい思いをすることになるものだと・・・。
 我が家でも、近々、チャムトーンの犬たちを家のほうに引き取らざるを得ないことになりそうです。我が家は、ペットの牙城と化してしまいそうです。

義父、やっとのことで退院してくる 2004年10月30日
病院が居心地いいのか、なかなか退院する気にならなかったけれど、やっと、退院。
最終的には、「蓄膿症」で、体力が弱り、血圧も上がったとか。本当かしら。聞いたことがない。入院費用、占めて7500バーツあまり。4日間入院したのだから、そんなに高くはないが・・・。
 しばらくは、チャムトーンには泊まらず、家で養生することになり、おかげで、チャムトーンの犬たちも、引っ越してきた。犬、全部で16匹。壮観(?)この上ない。前からの12匹にとっては、この1,2日で新参が4匹もやってきて、さすがに戸惑い気味。犬だって、結構デリケートなんだから、ノイローゼにでもならなければいいが。
 本格的に、冷え込んできた。今朝の気温は15℃そこそこ。

溶接作業 2004年10月31日
 隣の「ブム」が、我が家の納屋に溶接機と高速カッターを持ち込んで、チャムトーンの「金網扉」つくり。あまり熟練しているとはいえないが、チャムトーンの柵の移設など手伝ってもらった手前、よそに頼むわけにも行かず、任せた。材料はこちらで用意し、手のすいたときに作ってくれれば良いと言ってあったのだが、なかなかその気にならず、一昨日、ケサリンが催促し、やっとその気になった。1.5mx2m程度のもの、2枚なので、一両日中には出来上がるものと思われるが・・・。
 日本とちがって、仕事はかなりいい加減だとは思われるが、電気工事、給排水工事など、たいていのことは近所で間に合ってしまう。日本のように、一級XX士とか、工事業者の認可制なんてことは、タイには、全くない。どちらが良いかとなると、タイの方がはるかに便利なことは間違いない。工事依頼すると、大変なことになるかもしれないなんていう業者には、最初から依頼しない。みんな素人(しろうと)に近いから、依頼者をダマしてごまかすなんてことは全くない。

 LAN、やっと成功。インターネット、プリンタ、ファイルの共有が出来るようになる。
 うまくいかなかった原因は、ハッカー防止用のセキュリティ・ソフトなどだった。
WINDOWSも、SP−2になる前は、標準設定は、自由なコミュニケーションを前提にしていたものが、標準設定が、他との「分離」に変わっていて、設定を自分でしなければならなくなり面倒になった。もうしばらくすると、また、便利になるにちがいないのだが・・・。

 甥の「チャッキー」が明日「出征」する。
出征祝いのもてなし宴会で女性たちは大わらわ。食材購入費用など、援助してやったが、それ以外にも、お祝儀をいくらか包まなければならないだろう。
 「チャッキー」は、実の父親とは「乳飲み子」のうちに離別し、気の毒に思って、小学校低学年の頃、3、4年間、我が家で面倒を見ていたが、いろいろ厳しくしつけられるのが耐えられなくなったのか、近所に住む母親(再婚)のところへ帰っていった。
中学を卒業する頃から、ぐれだし、覚せい剤がらみで、3ヶ月ブタ箱に入っていたり、出てきてからも、刺青などして、暴走族まがいのことをしていた。時々、つれてきて、お説教などもしたが、改心した様子はなかった。ただ、兵隊に行くか坊主になれと、かねがね、言い聞かせていた、その兵隊に行く事になり、内心、ちょっぴりほっとしている。
 タイは今でも、徴兵制度がある。満20歳になった青年は「徴兵検査」を受けなければならない。2万円程度、軍に寄付することにより、回避できるのだが・・・。
「徴兵検査」を受けたもののうち、10人に一人程度が抽選で、兵役に服することになる。毎年入隊定員が定められていて、志願して入隊するものが多いときは、当たる確立が低くなる。「チャッキー」は、志願した。それも、「空軍」に。「空軍」は、珍しいことである。最寄の空軍の駐屯地はチェンマイにしかない。遠方であるため、休みのたびに、家に帰ってくるわけには行かない。入隊後、3ヶ月過ぎると、月に一日くらいは帰宅が許される。給料は結構高いし、気楽な初年兵である。いざというとき、役に立つ兵隊になれるとは、とても思えない。アフガンやイラクに行って死んだタイの兵隊もかなりいるらしい。



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