チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2004年11月 INDEX

2004/11/01 スプリンクラー完成
2004/11/02 知人の訃報
2004/11/03 柵の工事の続き
2004/11/06 車検・納税
2004/11/07 名残りの雨か
2004/11/08 小春日和
2004/11/09 ノンカン職業学校へ願書提出
2004/11/10 ノンカン、すべり止めにもう一校出願
2004/11/15 地区対抗運動会
2004/11/17 新しいホームページを作りました。
2004/11/18 お米の収穫作業
2004/11/19 連合運動会の閉会式
2004/11/20 「ルンポン」の稲刈り
2004/11/21 首相が全国民に「折鶴」つくりを指示
2004/11/22 坊さんの買い物の手伝い
2004/11/23 タウィの家で子犬が10匹
2004/11/24 いやな予感!
2004/11/25 夜半過ぎまで頭痛
2004/11/26 「ロイカトン祭り」
2004/11/27 「蕎麦」作る
2004/11/28 からりと晴れたいい天気
2004/11/29 ケイを叱る
2004/11/30 「ペンポ」(育苗場所の意)の扉、付け替え完成。
2004年11月の日記

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スプリンクラー完成 2004年11月01日
 早朝、「チャッキー」入隊のため出かけていく。
「タウィ」たち大勢が、チェンライまで送る。

 ポンプを、やや大型のものに買い換えて、やっとどうにか使えるようになる。
朝から、一日がかりの仕事。設置工事は、従兄弟の「ミット」に手伝ってもらう。それにしても、随分高くついた。しめて、10000バーツ以上。何年かかって取り返せるものやら。

 チャムトーンの柵の扉はまだ完成しない。早くしないと、闖入者が・・・。

 新入りの犬たち、少しなれてきたかな。

 気温が下がってきたら、家の中の猫、2匹発情。ホルモン剤を注射しないと、うるさくて眠れない。

知人の訃報 2004年11月02日
 最後にご奉公した会社の同僚、小林君から、A(赤羽)さんが昨夕、なくなったとのメールをもらい、かなりのショック。
 Aさんは、長野支店開設の頃からの勤務で、日雇い労働者に近いわれわれの雑務を一手に引き受けておられ、短い勤務期間だったが何かとお世話になった。まだ、50歳になったかどうかの才女で、「適当主義者」の小生など、よく叱られた。ご実家は、わが郷里の近くの「法多山尊永寺」の関係者とお聞きしていた。
 「癌」だそうである。治療技術がかなり進歩したはずの、日本でも、若くして、しかも、発見から1年足らずでなくなるなんて事もあるんだと、少し心配になった。
 ひとまわり以上も若い人の急逝の報は、ほんとにショックだ。

 日本に修理に出していたEPSONのPRINTER届く。
思ったより、修理代は安く、助かったのは良いが、やっぱり修理するなんて、「道楽」にちかかったかも・・・。テストしたけど、電源が入らず、立ち上げられなかった。
またしても、ドンムアンの非破壊検査にやられたらしい。今度は、前のときのCPUのようには、行かないかもしれないが、とにかく一度は、当地の修理やにもって行かなくちゃ。預かってもらった、義弟には申し訳ないことをしたと思う。きっと当方以上に不愉快な気持ちにさせたのでは・・・。

 このところ、しばらく雨がない。庭の植木の水まきが欠かせない。
 白菜を漬ける。従兄弟がチェンライの卸売り市場で買ってきてくれたものだが、全く農薬を使用してない白菜らしく、さんざんに芋虫にやられており、半分以上は、池の魚の餌になってしまった。無農薬も良し悪しだね。

柵の工事の続き 2004年11月03日
 裏側の金網の扉が完成したのと、足りなかったネットが手に入り、チャムトーンの柵の工事をお願いする。ニ、三手違いもあったり、作業がはかどらなかったこともあって、明日もお願いすることに。
 「キック」、頭痛がするとのことで、学校休み。夜の寒さで、風邪でも引いたのか。たいしたことはなさそうだが。

 学校は、2学期に入り、毎日の授業の後半は、運動会の練習。
各協議の選手に選ばれたもの以外は、応援の練習で、「エアロビック・ダンス」。下校時、迎えに行くとまだやっている。傍で2,3人何もしてない子供がいたのを見て、かみさんが訪ねたところ、太りすぎだから免除された子供たちとのこと。「エアロビックス」なんて、肥満防止の体操だろうにとおかしくなった。

 プリンターの修理代、送料など、送金。

 Aさんの急逝の件が、まだ、尾を引いているのか、一日中、頭痛気味。
若い人は、先に死なないでよ。ものには順番ってものがあるんだから。

 夕食後なのだが、たった今、蒸かしたサツマイモがやって来た。1時間ほど前に、妻が、わざわざ、パソコンの前までもってきて診せてくれた一物である。我が家の庭で、頭を出していた、赤ん坊の頭くらいの大物。庭で採れたものだから、土地神様にもおすそ分けするように、指示した。元は日本産、スーパーで買ってきたもの。ほったらかしなのに、ほんとによく繁茂し、楽しませて暮れる。とてもおいしい。「あなた」にも分けてあげたい。犬のお蔭で、ねずみにも横取りされず。

車検・納税 2004年11月06日
 サニーの車検が、9月1日で切れていた。
今日は、陸運局がメチャンで出張受付してくれるとのことで、出かけた。
2ヶ月も車検が切れているのを、交通のお巡りに見つかると、罰金を取られることがあるが、陸運局では何も言われなかった。
 今では、実車の整備点検は、すべて民間の認定業者が行い、陸運局では実施しない。
検査といっても、ごく簡単なもので、排ガス検査の設備もあるようだが、滅多に使われる事はないみたい。
 猫の餌を買ったついでに、井上さんのお宅に邪魔する。
種用のサトイモを、委託される。20個ほど。いま芽が出始めているが、彼の話だと、タイでは、一年のうちに何回も収穫できるらしいが・・・。

名残りの雨か 2004年11月07日
 朝方、わずかばかりだが、雨が降る。ほんの2〜3mmか。
この時期の雨らしく、ザーっと降らない。雷もしばらく鳴っていたが、こちらのほうも、なんとなく、久しぶりなんで、お付き合いで協力するかといった感じで、元気がない。今年の雨の降り収めかも知れない。1時間もしないで晴れ間が見え始め、やがて晴れ渡って、今朝の雨も、すっかり干上がってしまった。

小春日和 2004年11月08日
 年明けの1月中旬くらいまでは、チェンライはとても過ごしやすい気候である。
今日も、最低気温が18度くらい、最高が26度くらい。空もからりと晴れて、空気も乾燥している。今の時期は、乾燥度も程良く快適である。
 井上さんからいただいた、サトイモ植えつける。親芋19個。うまく育ちますかどうか、この時期に植えたりして・・・。

 ケイとノンカン、席次発表される。
ケイ、12番、ノンカン、7番。二人とも、前の学年末と比べて、10番近く、順位を上げた。自分のことのように、うれしくて・・・。欲を言うと、もうちょっとだけ上げてほしい。ちなみに、プッキーは4番、キックは、9番。

ノンカン職業学校へ願書提出 2004年11月09日
 チェンライにある「ウィタヤライ・アチワスクサー(職業学校)」に父兄同伴で願書の提出。ケサリンが「保護者」ということで同伴。1年先に、今年から、調理科に入学している、向かいの従兄弟「ジン」が介添えで何かと面倒見てくれた。

 メカム中学の女の子の半数近くが、願書を出しに行く。この学校は、家政科関連のコースが多く、1学年の定員、600名のうち8割近くの生徒が女性だ。チェンライには、ほかに、普通科の中学高校一貫校がいくつかあるが、一貫校であるため、中学卒業後、入学するのは、きわめて難しいらしい。メカム中学のように、中学3年で、終了する田舎の学校の生徒にとっては、4年生の大学への進学の足がかりとなる、普通科高校への進学は、狭き門というより、事実上不可能に近い。気の毒なことだ。
 したがって、中学卒業後は、中学卒業生を、受け入れてくれる職業学校に進学するしかないのが実情だ。職業学校には、ほかに、通称「ロンリアン・テクニク」と呼ばれている工業技術学校や農学校などがある。中学高校の6年間を職業訓練する全寮制の学校などもある。
 今年から、「ウィタヤライ・アチワスクサー」にも、短大部が併設され、エスカレーター式に進学できることになったようだ。専門科目は、高校の延長だけれども・・・。
 ちなみに、高校の専修コースは、思い出すままにあげてみると、以下のようなものがあった。
 被服科
 調理科
 芸術科
 商業科
 ビジネス科
 観光科
 ホテル科
 コンピュータ科
 デザイン科
 芸術科
 秘書科
出願者が定員オーバーすると試験が、行われるらしいが、申し込み順に出願者の数もわかり、生徒自身が希望コースを自主的に調整するので、定員イッパイの科目もあり無試験のこともあるらしい。入学後の、専修科目の変更も、定員の空き具合を見て、結構自由に出来るらしい。というのは、話を聞いて、さすがにタイだなと感じたことは、この学校は女生徒とがほとんどで、前記した「ロンリアン・テクニク」など男子生徒が中心の学校の生徒たちが、毎日のように校門前に「ナンパ」士に集まってきて、入学後間なしに、「結婚退学」などする子供が随分多いらしい。3日で退学して行った女生徒もいたとか。しばらく前に退学した「ジン」の同級生など、この17日に「結婚式」を挙げるらしい。まだ、17歳だそうだが、学校なんかで勉強するより家庭に入ったほうが言いと言ってるとか。そのようなわけで、入学後、定員割れするコースもかなりあるらしい。「保護者」としては、心配が尽きない。
 ケサリンは、ノンカンに、しつこく言っている。母親はいないし(離婚して再婚)、父親は高齢(70歳をすぎている)だし、勉強一途に努力しないと、後々困るのは、自分自身なのだから。万一、男の噂でも立ったら、直ぐに退学なんだから、充分承知しておくようにと。お前にとって、学校は「牢屋(刑務所)」と同じで、自由なんてないんだからねと。
 学校で気がついたこと。
女子生徒も、数少ない男子生徒も、こぎれいな制服を身に着けていて、女子生徒は、全員、黒のハイヒールをはいていること。

ノンカン、すべり止めにもう一校出願 2004年11月10日
 チェンライの町から、大分離れたところにある、やはり職業学校に、すべり止めで願書提出。こちらの方は、男子生徒が大半だが、専修コースは似たり寄ったり。やはり「調理コース」を出願したらしいが、受付の事務員に、卒業したらどうするのか聞かれ、お店でも出すのかといわれたらしい。
 実際のところ、たとえ、何のコースを卒業しても、チェンライでは、卒業コースに見合った職を見つけることは、きわめて難しいのが現状。工場や大きな会社など、皆無に等しい。かといって、卒業後、バンコクなど都会へ出て就職できるかというと、都会では、ちゃんとしたところは、4年制の大学卒でないと採用してもらえないらしい。お先真っ暗。いくら高度成長中といえども、ノンカンが短大を卒業する5〜6年後までに、彼女が、まともな会社に就職できるような脅威的経済発展を遂げれば別だが、そんなことにはなりそうもない。
 ただ、彼女の子供や孫の時代になって、彼女がそれなりの教育を受けたことを、誇りに出来ればそれでいいのかもしれない。今世紀の半ば頃までには、彼女が自分で自分の過去を振り返って、評価すればいい。日本などの先進国とくらべて、タイはひかくにならないほどに「パイ」が小さい。「観光科」に何とかもぐりこんで、日本語でも一生懸命勉強し、観光会社にでも就職して、それを機会に、日本人のいい結婚相手でも見つけて日本で暮らすのが、一番幸せかもしれない。いい人にめぐり合えばのことだが。

地区対抗運動会 2004年11月15日
 恒例の「運動会」が今日から始まる。
今回の会場(主催校)は、タンボン・メカム(メカム町)の東のはずれ、「サンタート村」。我が家からだと、20km近く離れていて、メチャン郡とメサイ郡の境界。
ケイとキックは、入場行進に参加するため、お化粧やら、髪結いやらで、4時起き。
送っていったついでに、開会式だけ見てきたので、暇があればホームページにのせる予定。
 このところ2日続きで、宵の口に雨降る。
今年は、フィリピンあたりに「エルニーニョ現象」が発生したとかで、11月に入って、また、暑くなった。バンコクあたりの中部タイでは、異常な暑さらしい。そのせいでか、チェンライもあまり寒くならず、弱いながらも夕方から、夜半に掛けて積乱雲が発生し所々でにわか雨が降るようだ。

 義父、その後の経過確認のため、病院に連れて行く。
ちっともよくなってないらしい。ケサリン、怒る。冷たい水は飲むなとか、医者がくれた薬はちゃんと飲めとか言っているのに、守ってないらしい。全快の入院費と今回の費用を合わせると、1万バーツ越したとか。もってのほかであると・・・。

新しいホームページを作りました。 2004年11月17日
日常的な出来事など、写真で紹介するために、「フォト・トピックス」と名づけたアルバム風のページを作りました。
従来の「ランナータイ」のホームページからもアクセスできますが、直接以下のアドレスからもアクセスできます。
  http://www.geocities.jp/banpayarnx/index.html
 はじめは、この15日の「連合運動会」の開会式のスナップからです。
出来るだけ、手間隙掛けないように、トリミングや修正などはしてありません。
また、クリックするだけで拡大表示される用に工夫してあります。
ご感想などは、メールまたは「掲示板」でお願い致します。

 昨夜も、一時ザアザア雨があり、3日つづきで、花壇の水やりなど、ちょっと助かりました。
 不足のスプリンクラーの部品など、チェンライで購入。

お米の収穫作業 2004年11月18日
 14日に刈り取った稲で、収穫作業には、1日2日早いが、小雨ではあったものの、この3日続けて雨にあい、心配で、今日脱穀することになった。
予想よりもいい出来で、120タン(斗)くらいにはなりそう。
 最近は、野菜作りの家が多いため、人手が集まらず、全部で9人。3反歩弱をほぼ1日がかり。終って、酒盛り。

 昨夜は、食べたものが原因なのか、眠れず。床に就いたのは、午前4時過ぎ。
その割りに日中眠くない。どうしちゃったんだろう。

連合運動会の閉会式 2004年11月19日
連合運動会に、あまりにも関心を持たないため娘にいやみを言われ買い物ついでにのぞいてみることにした。
 会場に到着したのは、午後4時をまわっていたが、最後の決勝種目、145cm以下のサッカーが始まるところだった。開会式とくらべると、観客の数も随分多かった。それもそのはず、この決勝戦に地元「サンタート小学校」だ出ている。相手は、「パパオ・パサーンノイ」。前半は、0対0、後半早々「パパオ」が得点、その10分後、「サンタート」がロングシュートを決めて、同点。このまま時間切れになり、ペナルティー・キック戦の末、パパオが優勝。両校の応援もにぎやかだったが、ほかの学校の父兄たちも、アルコールが入っているせいもあって、たいへんにぎやかなサポーターぶり。両校とも、指導している大人が、かなりサッカーに詳しいということが、子供たちのプレーから想像された。
 協議終了後、閉会式、表彰式が行われ、各競技の1位から3位までが呼び出されては、表彰台の前に登場。前記したサッカーが、本大会のもっとも、重要な競技だったらしく、一番最初に表彰を受けた。そのほかの競技を表彰された順番にあげると以下のようになる。
 幼稚園児のサッカー(男女混成)、12歳未満の男女別サッカー(こちらのほうが体格は大きい子供が目立った)、ハンドボール男女、バレーボール男女、セパ・タクロー男女(今年はノンギェンは2位)、ペイトン(ペタンク)男女(男子はノンギェン優勝)などなど。
 大人の競技の表彰はおこなわれなかったところを見ると、今年は大人のオープン競技はなかったみたい。
 表彰式の後、ケイたちの「アカ族ダンス(イコーディスコ)」等が演技された。もう夕方6時まじかで、日も西の空に沈み、あたりは薄暗くなり始めていた。

「ルンポン」の稲刈り 2004年11月20日
「ルンポン」とは、「下の土地」という意味らしい。
我が家の敷地に隣接する、メカム川のいわば「河川敷」の畑のことである。義姉が管理している。面積は、50アールあまりある。全部に田植えをしたのだが、たびたびの冠水で3分の1くらいは、収穫にならなかったようだ。
 実際のところは、時たまのお手伝いだけで、われわれ夫婦は、一切農業をやってはいない。田畑、全部合わせると0.5haほどあるのに、パパオの田んぼの80アールあまりの小作にだしているものとチャムトーンの5アールほどのみかん畑をのぞくと、あとは、すべて兄弟たちに無償で貸与してある。
 稲刈りは、例によって10人ほどで、午前中に終った。終ったと、昼食も酒盛り、夜も酒盛り。

「米の収穫」、ホームページに公開。

http://www.geocities.jp/lanna_thai_chiangrai

首相が全国民に「折鶴」つくりを指示 2004年11月21日
 昨夜、かみさんが、「折鶴」を折り始めた。
ずっと、以前、親戚で折鶴の折り方を教えてもらったのだが、すっかり忘れていて、娘に教えてもらっていた。
 何でまたと、問いかけてみて、やっぱりだということがわかった。インターネットのタイのニュースのページで、知ってはいたが、テレビで放映しているらしかった。アイデア・マンのタクシン首相とはいえ、なんとなく「変な」気がした。前にも、「一村一品運動」を日本から取り入れているが、こちらの方は、まあまあ成功ということらしい。

 「折鶴」の件、タイのニュース(翻訳)は以下のとおり。

『タクシン首相は昨日(16日)、南部国境三県に於ける不穏な状況の早期正常化を祈り、さらにタイ人の平和を願う心をひとつにし、善徳が大地を支配するよう祈って、全国民に「折り鶴」ならぬ「折り鳩」(実際は折り紙の折り鶴と同じ)を作るよう呼びかけています。
今回の発言は、さきにひらかれた学術経験者等との意見交換会の際に代表から平和を祈るという気持ちをこめて白い紙で折られた平和の象徴である鳩が首相に手渡されたことに啓発されたもので、タクシン首相によると12月4日までに国民が折った「折り鳩」
をあつめ国王誕生日の12月5日朝に空軍機で空から南部国境三県に撒く予定でいるそうです。
また、折り鳩の作り方がわからない人のために、都内ではサマック前都知事が講習会を開いてくれるそうです。』
                        (「タイの地元新聞を読む」より引用 http://homepage3.nifty.com/jean/Papers/)

 TVでは、広島の原爆症で亡くなった少女「サダコ」さんのエピソードが紹介されているらしいです。

 朝のうち、にわか雨、雨量は少ない。

坊さんの買い物の手伝い 2004年11月22日
 朝から、「トゥ・サック」の買い物のため、チェンライへ。
新築中のチェディの塗装用の塗料。たりなくなっちゃったらしい。白地に金色の装飾模様でなかなか品はいい。
 ついでに、「BIG−C」でインターネット・カード等買い物。

ホームページ「メチャン郡メカム村」、改訂。内容が貧弱になってしまったけど、「FFFTP(ファイル転送ソフト)」が使いやすくなるように、ファイル構造なども整理。もしかすると、これでホームページ作成の効率もアップするかも・・・。
去年までの古い日記はこの際削除。バックアップCDに保存。
 気がついたことだが、現在の日記(つまり、この日記)は、前の月までのものを見るのはちょっと不便。「管理人画面」からだと、特に問題なし。まあ、タダだから勘弁してください。

タウィの家で子犬が10匹 2004年11月23日
しばらく前から、近所の犬が、半のら犬化して住み着いていたが、庭の隅で子犬を10匹産んでいるのを見つけたとのこと。時々は、かわいそうになりえさをやっていたらしいが・・・。
 その子犬のうちの1匹が、「アリ」にかまれて死んでしまい、場所を変えてやりたいので、ケージを貸してくれとのこと。このケージは、20年近くまえ、こちらに越してくるときに、一緒に連れてきた「オカッパ」が入ってきた航空輸送用のケージである。輸送中も、出来るだけゆったりと過ごせるようにと、少し運賃を気張って、大型犬用のものにした。そのケージを、育児(?)用に貸すことにした。
 4年前に、やっぱり、日本からつれてきた「シン」は、小さなペット用のバッグにいれて、ひざの上に乗せてつれてきたのだが、以前は、客室にペットは持ち込めなくて、貨物室に積み込まれてきた。貨物室というのは、機密性が良くないらしく、バンコク空港に着いたときには、「オカッパ」は、ぐったりと疲れた様子だった。
 それにしても、9匹もの子犬、どうするんだろうね。ひょっとして、そのうちの売れ残りの何匹か、こちらに回って気やしないかと想像すると、ゾッとする。

 猫のえさ用に池の魚とる。今までで、最高。一回の刺し網で60匹の「パ・タピアン」が捕れた。ケサリンが、量ったところ5.5kgあったそうだ。これで、4〜5日分にはなる。

 「Katherine Jenkins」という、ソプラノ歌手をインターネットで見つけた。クラシックの歌手としては、異例の経歴の23歳の新人ホヤホヤである。マリア・カラスばりの澄んだいい声をしている。日本ではまだ、CD発売されてないのでは・・・。

いやな予感! 2004年11月24日
 長野の金子さんから、本など届く。心づくしのかずかず、ありがたい。
『信州そば紀行』(信濃毎日新聞社発行)、とてもいい出来上がりで、蕎麦に関心のない人でも、読んでほしい。たくさん売れるといいけど。
 
 今までに、経験したことがない「めまい」。しかも、2度。
一度目だ、朝方、チャムトーンで池の魚に餌をふりまいているとき。
なんとなく視界にピントが会わないような気がしていたら、じきに、世界が踊り始めた。あわてて、近くの木の枝にしがみつき、すぐにおさまったが、どうも気分が普段と違う。その後も、しばらくは、ピントの合わない状態が続いたが、10分ほどで、なんとか、普段の状態に戻る。
二度目は、午後、パソコンの前に座っているとき。一度目ほどではなかったが、ピントの合わない気分に襲われる。二度もこんなことが会ったので、こちらにきてから、ほとんどつかってなかった、「狭心症」の貼り薬を貼ってみる。この薬のせいか、頭痛がする。
 おそらく、「脳血栓症」に近い状態なのではないかと、心配。
情けないことに、金子さんから、同封して送ってもらった「石楠花」の写真を見て、この花の名前が思い出せない。この花は、ずっと以前、長野の「Mウェーブ」で、たしか、スケートのワールドカップが開催され、そのときの飾りつけの花を、処分するんで、みんなで分け合い、いただいてきたものを金子さんに差し上げた、そのことだけは、ちゃんと覚えているのに・・・。
 もともと、記憶力はよくないし、今までにも、何回か、つまらないことが思い出せな久手、えらく気を病んだことはあったが、それにしても・・・。
 ごくごく、幼いころのこと、「お前の脳みそはよくない。」といわれて、「おじちゃん、それなら、信州味噌のいい味噌と入れかえておくれよ。」といったとか、お袋から、聞いたことがあるが、信州味噌なら、60年あまりも寝かせておけば、すこぶる付きの高価な味噌になっているかもしれないが、わが安物の親譲りの味噌は、そろそろ年貢の納め時なのかも知れないと思うと、ちょっぴり、さびしくなってしまう。どうせ、そのうちに「焼き味噌」になってしまうには違いないけど。とは言うものの、欲が出てきて、「孫の顔」ぐらいは見たいような気もするが。

 今年一番の寒さ。朝の気温、13度C.かみさん、ベッドの傍らに、長ズボン、ジャンパーを用意しておいてくれる。今夜は、厚着して寝よう。

夜半過ぎまで頭痛 2004年11月25日
 昨日、昼過ぎから始まった頭痛は、ずっと続いていて、結局シャワーも浴びずに10時前就眠。真夜中の2時ころ、頭痛が激しく、目覚める。「バッファリン」を服用後、ややおさまって、眠りにつく。朝は、7時過ぎまで床の中で、今日は一日中、家の中にこもりきり。頭痛は、何とか治まったようだけど、一体、これって何?
 食欲もなく、朝はコーヒーだけ。昼は、カオラムと焼き芋1個だけ。
今日は、一日中薄日で、寒い。最高気温22度。猫も寒がっているので、自分だけではなさそうで、まず、寒気の方は一安心。

「ロイカトン祭り」 2004年11月26日
 「ロイカトン(灯篭流し)祭り」がやってきた。
このころの満月の夜、手に手にバナナの茎を輪切りにして、花などきれいに飾りつけた、流し灯篭を、水の精霊のために、近くの川に流す。
部落総出で作った大きな灯篭も。川に灯篭を流すと同時に、空に向かっても、「孔明灯(熱気球)」を浮かばせる。チェンマイなど大きな町では、美人コンテストが行われ、入賞者が、大きな灯篭の上に載って、花車で町をパレードするらしい。華やかな祭りである。
 数日前から、あちこちから、「迫撃砲」のようなバーン、バーンと言う音が途切れない。今日は、我が家の前でも、バンバン、パンパン、手製の花火、爆竹の音がやかましい。何しろこのあたりでは、大人はもちろん、小学生の子供たちでも、手製の爆発物を作ることが出来るのだ。火薬は、雑貨屋なら、たいていの店で売っている。「爆発物取締法」なんてないらしい。ごくまれに、怪我することもあるらしいが・・・。「犯罪」に使われることは、まずない。いまだかつて、聞いたことがない。日本よりタイの方が、平和で治安が良いなどという人は、いないと思うのだが・・・。
 殺人、傷害、麻薬、窃盗などの犯罪は日常茶飯だが、自ら身を守り、危なそうなことには、係わり合いにならないよう、「争い」の種を作らぬように、つまり普通に生活しているかぎり、「犯罪」の被害者になることは、まず、考えられない。「君子」ならずとも、危うきに近よらず、これが一番。
 台風くずれの低気圧が、南部を通過中とかで、きのうからずっと、どんより曇り。朝方、ちょっぴり降ったようだ。
 体調すぐれず、夕食時まで、玄関を出ず。朝と昼は、「出前」(パソコンの前まで、食事の方からやって来た)。
 保険料の支払いなど、メチャンまで出かける用事があったらしいが、タウィに頼んで出かけたようだ。

「蕎麦」作る 2004年11月27日
 金子さんから、「蕎麦」の本を送っていただき、矢も立てもたまらず、「ざる蕎麦」を作って食べる。ずっと以前、井上さんから、頂いていて、冷蔵庫の奥深くに保存しておいた「そば粉」を使用。手回し製麺機でメンにしたため、かなり太刈ったし、「そば粉」も製粉して、半年以上経過しているため、蕎麦の味も香りもほとんどなかったが、舌触りというか、喉とおりというか、まさに蕎麦だった。これでも、遠州あたりの場末の田舎の「蕎麦や」のものと比べると、こちらのほうがずっとまし。だしは、「煮干」と昆布、いずれもいただきもの。味醂の代わりに、タイ産の日本酒「忍(しのぶ)- 安くなって、1合ビン、20円ほど」。皆様のご好意と金子さんに「しょくはつ」されて、お蔭様で、久しぶりに、「ざる蕎麦」を食べた気になれた。よかったよかった。
 ついでに、うどん粉も捏(こ)ねておき、夕食は、ざるうどん。こちらの方は、「強力粉」、100%で、少々水が足りなかったせいて、きわめて硬いうどんになってしまい、長野県庁脇の「うどんや」のものとそっくりのうどんになってしまった。
 蕎麦やうどんは、子供たちは喜んで食べてくれたが、大人たちにはいまいち評判がよくなかった。

 今日も一日曇り空。屋根の上のお湯が熱くならないので、シャワーはやめることに。

からりと晴れたいい天気 2004年11月28日
 4〜5日ぶりに、すみきった空。少し肌寒く、日向ぼっこがしたくなる。
「マイク」、昨日から寝たきり。メチャンの獣医に、注射3本。
体重20kg以上あり、抱き上げるだけで大事。夕方ころから、だいぶ回復し、えさを食べられるようになる。ほかに2〜3匹、具合悪そうなのが出てきた。寒さのせいで、風邪かな。
 犬のクリニックの前で、久しぶりに、湯浅さんご夫妻と会う。井上さん宅(クリニックの隣)を訪ねてこられた。アナン君も小学校3年生に鳴ったとかで、大きくなった。肥満気味だったが、いくらかやせたようだ。

 村内で、ちょっと珍しい組み合わせの結婚式。
女性はこの村の出身者で、39歳。男性は、北欧に住んでいる40代のハーフ。お母さんが、タイ人とか。現在二人とも、北欧に住んでいるが、帰省して、この村で式を挙げた。お金持ちのようで、お寺に99、999バーツを寄進。お返しに(?)、ケイたち女の子が、「イコーダンス」を披露。ケイとノンカンは、「ダンス」仲間からよくない影響を受けるとのことで、グループから脱退しているため、ピンチヒッターで出演。

ケイを叱る 2004年11月29日
 きのう一日晴れただけで、今日はもう朝からどんより曇り空。
時々、パラパラ雨が降っていたが、3時ころから本降り。じきにやんだがまた、宵の口から、雨。また、フィリピンあたりに台風らしきもの発生。その影響かもしれない。

 一昨日ころから、ケサリンとケイの間に険悪ムード。
そもそもの発端は、宿題をやるからチャムトーンには行かないといっておきながら、戻ってみたら、下の子供たちと一緒にテレビをみていたこと。それに、自分の運動靴とソックスを、盥に何日も前からつけたままで、洗ってないことなどを、ケサリンがとがめだてしたことで、ふくれっつらして、それ以来、口も利かないらしい。いわゆる「シカト」。今日も、送迎の車の乗り降りでの挨拶もしない。
「もう、だめだよ、言っても聞かないばかりか、ふくれて口も聞かなくなるんだから。大きくなると、みんなこれなんだから・・・。」と、ケサリンは、なかばさじを投げ多様に言うが、「そんなに簡単に、あきらめるわけにはいかないよ。言って聞かなければ、殴るしかない。」と、湯上りで出てきたところで、往復ビンタ。髪をつかんで、引きずりまわすところまでは、行かないが、それにちかい「セッカン」をした。泣いた。いつまでも泣き止まなかった。無理やり、あやまらせた。
 まだまだ、このまま、われわれの手の届かないところへ行かすわけにはいかない。
われわれは、実の親子ではないだけに、遠慮したり、気後れしたら、負けになる。ほっておけば、いくらでも悪いほうに行ってしまう恐れがたぶんにある。誘惑の種は、山ほど。麻薬、酒、男。素直なまま、成人してほしいと思う。ほとんど一緒に育ててきた、ノンカンの方は、1歳しか年上ではないが、もう、すっかり大人でシッポを出さなくなった。叱られても、ふくれることもない。

「ペンポ」(育苗場所の意)の扉、付け替え完成。 2004年11月30日
 きのうの今日で、ケイのこと心配していたが、一日、何事もなく、普段よりいくらか素直な感じで過ごす。人生で一番感じやすい年頃なので、内心はいろいろあるんだと思うが、ひとまず、安心。
 別に後悔しているわけではないが、「暴力」肯定主義者だと思う。ずっと昔、まだ血気盛んだったころ、弟妹たちにも、「暴力」を振るったことが、何回もある。たいていは、「言ってわからなければ、殴るしかない」とか言って、本人は「教育的暴力」のつもりでいるが、実際に暴力を振るう段になると、かなり本気である。昨夜も、怪我をしたのではないかと、心配するほどに本気で殴った。こちらの手が痛くなるほど。けさがた、まだ、いくらか頬のあたりが赤かったような気がした。
 年甲斐もなく、心臓にも悪いし、「暴力」もこれを最後にしたいものだ。

 「ペンポ」の入り口の開き戸、雨ざらし、陽ざらしの場所で、2年しかたってないのに、木の部分が腐り、交換。(木の枠組みにトタン板をはったもの)
きのう、きょうの2日がかり。疲れた。

 久しぶりのまとまった雨、2,30mmは降ったかも。夜なか中ずっと降り続いた。今朝、夜明け前にやむ。陽がさし始めるころには、すっかり青空になったかと思う間なしに、北の方角から、ものすごい「霧」が押し寄せてきて、一時視界は100mにも満たなくなる。午後からは、雲ひとつない青空。さわやかだが、薄着だと寒い。



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