チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2004年12月 INDEX

2004/12/01 ケイ、行方不明!
2004/12/02 寒くなる
2004/12/03 「ちゃんこ鍋」
2004/12/04 花壇の草取り
2004/12/05 国王の誕生日
2004/12/06 犬の避妊手術
2004/12/07 きょうから9日まで、中学校の連合運動会
2004/12/08 寒い!
2004/12/09 ついに、猫、19匹
2004/12/11 哀しい別れ!
2004/12/12 チャムトーンのスア・ノイ、去勢手術
2004/12/13 「ノイ」、緊急で病院へ
2004/12/14 「スア」が死んだ。
2004/12/15 逝くものがあれば、来るものも
2004/12/16 「ノイ」、退院
2004/12/19 「ジャンボ」、ダニ取の注射
2004/12/20 「ノンカン」の入学手続き書類をもらいにいく
2004/12/21 Mさん来宅
2004/12/22 中学3年生、卒業旅行。
2004/12/23 100万バーツの支援金
2004/12/24 お父さん、自分で買いに行きなよ!わたし買えないよ。
2004/12/25 ノイと義父、予約診察
2004/12/26 なんとなく「鬱(うつ)」
2004/12/27 大地震、大津波
2004/12/28 メカム小学校の教師4人が「風呂」を借りに来る。
2004/12/29 庭のスプリンクラー、改造
2004/12/30 ポータブル発電機購入
2004/12/31 大晦日
2004年12月の日記

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ケイ、行方不明! 2004年12月01日
 ケイが、学校から一時行方不明になる。
おとといのきょうで、たいへん心配したが、ちょっとした行きちがいがあったようだ。
 学校は、きのう、きょうと、地区の、中学3年生の「ソウプ・タム(仏教の教学試験)」のため、半ドンだったのだが、7〜9日に開催される地区の中学校運動会のため、午後は自主的に残って練習するとのことだった。きのうは、鼓笛隊の練習をしたらしいのだが、今日、下の小学生ふたりを迎えにいったところ、中学1,2年生も、大勢帰宅途中で、ひょっとして今日は、練習なしなのかもしれないと、校内に入ってみたところ、教学試験の子供たち以外は、ほとんど見当たらず、あちこち探させたが、ケイの姿が見えない。友人と連れ立って校外に遊びに出たのではないかと、大騒ぎ。「家出」なんてことは、頭から考えなかったが、それにしても、嘘ついて、遊びに行ったのなら、これはこれでまた大問題。30分あまり校内のあちこちを、手分けして探しても、見つからず、とりあえず帰宅。
 帰宅後、万一、学校から抜け出して遊びに出たのなら、明日から自主的休学処分あるいは、退学処分ということで、制服、教科書、学用品一切整理して、隠してしまう。
 ケサリンに勧められて、3時前、下の子供ふたりをつれて学校へ。すると、下校口でケイが待ってるではないか。「どうして、オトウサンが来るのがわかった」と問いただすと、今しがた、お母さんに電話したところだとのこと。少々青ざめ、申し訳けなかったといった顔つきで。おそらく、電話口でケサリンに、厳しく叱られたにちがいない。 結局、パソコン室で教師に頼まれた資料を作っていたらしいことが判明。パソコン室も探した旨、問いただすと、たまたま、探しに行ったとき、長トイレ中だったとのこと。顔洗ったり、おしゃれをしてたみたい。このあたりのことは、ちょっと怪しいところもないではないが、顔を洗ったふうには、見えたし、ケイを信じるしかない。お母さんは、疑るかもしれないが、オトウサンは信じるよと、帰りの道すがら、やせ我慢だが言ってやった。帰宅後、万一、学校を抜け出して、遊びに行ったことが判明したら、明日から、もう、学校へはやらないつもりで、制服やらなにやら、みんな片付けてしまったんだからと弁解しながら、元どおりにみんな戻してやった。
 帰宅後は、それほど悪びれた風もなく、ケサリンの手伝いなどしているのをみて、ほっと胸をなでおろした。
 一昨日の「薬」は、大分効いてはいるようだ。

「仏教教学試験」とは、近隣の中学3年生、および中学3年課程の「サマネン(小坊主)」を集めて、実施される試験で、この成績が、上級学校進学にあたって、内申書の瀬席に加味されるものらしい。

寒くなる 2004年12月02日
 昨夜から、寝床が、上下毛布になる。だが、かけ毛布の上は、まだ、「夏掛け」。
猫も、布団の中に、もぐりこんでくるようになる。こちらの方も、あったかくていい。
昔、「あんか」のことを「ねこ」と言っていたが、さもありなん。
 布団の中に入り込むのが、あまり好きではない猫もいて、こちらの方は、掛け布団の上で寝るので、重くて困る。

 チャムトーンの「スプリンクラー」工事の続きをする。あと少しで、完成。

「ちゃんこ鍋」 2004年12月03日
 義父の予約日で病院へ。
あまりはかばかしい結果ではなく、25日に血液検査。前日夜から、のまず食わずで来いとのこと。どうも「蓄膿症」の検査ではなさそう。ちょっと心配。
 ついでに、「ちゃんこ鍋」の材料購入。
寒くなったので、鍋でもしようやとのことでいろいろ買いあさり、作りすぎちゃった。
タレで食べる薄味の鍋は、大人にはあまり評判よくない。
 きのう夜、インターネットで、ノンカンの専門学校合格の知らせを見る。ノンカン跳びはねて喜ぶ。人生ではじめての経験なんだから、さぞ、うれしいことナンだと、こちらも一緒になって喜ぶ。至急、学校へ電話連絡するようにとのこと。
 それにしても、よくわからないのは、「テクノロジー・シラパ(芸術関連技術?)」とかいって、希望したコースとはぜんぜんちがうコース。しかも、定員600名のところ、6名しか合格になっていない。あと数十名が、ほかの学校の補欠に振り分けられている。要するに、ノンカンは、希望はかなえられないが、それでもよければ、合格にするということかもしれないが、それにしても、普通の合格者の名簿が載ってないとは・・・。
 なんとなく、受付順に定員近くまで合格にして、あとは、定員に満たなかったコースに補欠として振り分けているような気がする。もし、そうだとすると、受付最終日まで、「葬式」とか何とかいって、内申書を作らなかった、担任教師の責任は重大だと思う。10人近く応募したクラスメートたちはどうなったんだろうか。
 今日学校へ電話したようだが、内線へのつないでもらい方がわからなかったのか、連絡がつかなかったらしい。

花壇の草取り 2004年12月04日
 一日、花壇の草取り。疲れた。
 ひょんなことから、金田たつえの「花街の母」を聴いた。
何をいまさらってことだけれども、半世紀も昔、まだ引き上げてきて間なしのころのおふくろの姿が、想いだされて、ジンときてしまった。もう、記憶しているものもいないことだと思うが、あのころのおふくろは、毎日が地獄だった。「子供たちがいなければ、とうの昔にこの家を出て行ってた」「お兄ちゃんも大きくなれば、わかるときがくるよ」と、暗い台所の土間で泣きつかれた。夜の夜中に、歩いて30分ほどのところの山の中にある「山田の池(灌漑用水池)」まで、入水自殺するために、弟妹を連れて、出かけたことも、何度かあるが、そのつど、「背中の子」に引き止められて、いやいや、針のむしろの家に帰ってきた。そのころの、自分は、ただただオロオロするだけで、何もしてあげられないのが、とても後ろめたかったような気がする。その後、50歳半ばで、不慮の死を遂げるまで、ずっと、幸せにはなれなかったような気がする。
 われわれ子供らの成長だけを、楽しみにがんばってきたんだと思うが、恩返しできるようなことは何もしないばかりか、ずっと、「親不孝」ばかりしてきたような気がする。赦されないよね、ほんとに。
 今にして思えば、日本が「戦争」に負けたところから、みんなの悲劇が始まったような気がする。いつか、そのころのことを、もっと詳しく、書く機会があればいいが。

国王の誕生日 2004年12月05日
 タイのプミポン国王は、今日で満77歳。
恒例のきのうの講話で、今年も「タクシン首相」に苦言。
「独断・専行」を戒め、国民の意見を良く聞き、皆で相談をして政治を行えとのこと。
昨年も、同様の講話があったが、あまり改められていないため。それでも、「独裁」と言われている首相の言動が、この程度ですんでいるのは、国王の講話がいくらかはきいているのかも。もっとも、これ以上「独断専行」が、ひどくなれば、久方ぶりに、タイ軍によるクーデターの可能性も・・・・。
 直径60cmあまりの大型の焼き物の植木鉢5個、メチャンで購入。1個当たり、値切って200バーツ。200バーツは安かったかも。
店のおばやんが、新しく仕入れたものは、仕入れ値が40バーツも上がったと嘆いていた。以前に仕入れてあったものを、まとめ買いしてまけてもらった。売値は、正札は220バーツ。ほかにも値上がりしたものが多く、ガソリンはいくらか下がってきたのに、インフレ傾向にあるようだ。
 植木鉢は、犬どもが暴れて、「ブーゲンビリア」の鉢をひとつ割ってしまったため、やむを得ず購入。4個は、来年の植え替え用。

犬の避妊手術 2004年12月06日
 ここのところ、成犬になってから、我が家に合流してきた犬が多く、序列争いが絶えず、怪我をする犬が続出。以前に、6匹の雄の避妊手術をしたのだが、今回さらに、3匹手術することに。「ロン」、「ペプシ」、「ビック2」。残る雄は、ボスの「シコ」、兄貴分の「ボップ」、大きな体をして意気地なしの「ボビー」の3匹だけになった。
 犬の社会は、猫と違って、序列争いが激しく、弱いものいじめを社会で、人間社会の縮図のよう。一対一では、かなわなくても、よってたかって、弱者を徹底的におとしめる。最近では、「ボップ」は、すっかり序列が下がり、見るも哀れ、半月近くビッコをひいており、生傷が絶えない。
 そこへいくと、猫は、よほどの好物にでも、出会わないかぎり、弱者に先を譲る。奥ゆかしいかぎり。

きょうから9日まで、中学校の連合運動会 2004年12月07日
 「メカム中学」のほか、「ニコム・チャオカオ中学」(隣町、メサロンにある)、「ホンコー・サンナー中学」、「サンサリー中学」(これも隣町)の4校が「メカム中学」に集まって、陸上競技のほか、各種球技を行う。
 例によって、早朝から、メカム寺の裏から学校までパレード。

 犬の手術の経過は、きわめて良好。今回は手術中にも、声を出すほどで、麻酔からさめるのも早く、きのうの夕方には、餌を普段どおり食べた。きょうは、朝から、じゃれあって庭をかけまわっていた。

 寒さ、ほんの少しやわらぐ。
 夕食の「レバニラ炒め」、おいしかった。以前、炒め過ぎないように言ってあったが、今回のは、ちょうど食べごろだった。材料が新鮮なので、下手な中華料理屋さんのものより、ずっとおいしい。このあたりでは、肉屋の肉を翌日まで持ち越すことは、まずありえない。とれたて(?)。

寒い! 2004年12月08日
 一日中快晴の天気だったが、陽が沈む間なしに20度を割り、現在、夕方の6時半だが、16℃しかない。みんな寒い寒いを連発。明朝は、10度前後まで下がるのではないか。

ついに、猫、19匹 2004年12月09日
 きょう、チャムトーンに捨てられていた子猫、育てることに。
「イ・パイ2」が10月に生んだ子猫とほぼ同じ大きさの黒猫。チャムトーンにおいとくと、自分の家に戻りたくてさ迷い歩き、迷子になる可能性もあるし、寒さで死んでしまう可能性もあるので、仕方なく家につれて帰る。家には家で、「おじさん」、「おばさん」、「お兄さん」、「おねえさん」がたくさんいて、慣れるまでたいへんだと思うが、そのうち何とかなるでしょう。今日は、一日中、ひざの上。
 でも、捨てられていたのが1匹だけでよかった。

 パパオの田の小作料としての「米」を受け取る。

 中学校の運動会、終る。
 井上さんから、コンサート(メーファールアン大学)誘われたが、子供たちを迎えに行かなくてはならないので、お断りした。いい機会なのに、ちょっと残念。

哀しい別れ! 2004年12月11日
 19匹目の子猫、もとの飼い主に、引き取られてゆく。
やっと、家の猫とも、チャムトーンの猫ともなれてきたのに。
きのうも今日も、運動をかねて午前中はチャムトーンにつれていってた。
もとの飼い主は、村の助役(ちょっと陰気でいけ好かない男)。飼い猫が死んでしまったので、「メサロン村」の知人から、子猫を2匹もらってきたらしい。そのうちの一匹が、タウィの家に入り込み、義母がチャムトーンにつれてきて放したらしい。ケイも、2晩添い寝したりして、みんなで可愛がっていたのに。それにしてもありがとうの一言もなく、わしづかみにしてバイクでつれて帰ってしまった。また、心臓が痛い。食事もまずい。
 ケサリンは、助役の家の前を車で通るとき、逃げ出してきて、その辺にいないか良く見ろなんて、子供らに言いつけたりしている。タウィの嫁さんには、今度迷い込んできたら、こっそりつれてきてくれなんて、頼んだりしている。ほんとに、逃げ出してくればいいと思う。
 今朝もとても寒かった。このところ、毎日、今年一番の寒さを更新しているようだ。

チャムトーンのスア・ノイ、去勢手術 2004年12月12日
チャムトーンに2匹いる雄猫の手術をする予定だったが、毎日のように通ってくる黒猫はあいにく現れず、スア・ノイ(ヤイ)だけ獣医へ。気弱な猫で(メス猫にさえ脅されると逃げ回る)、行きの車の中も、注射の際も、おとなしかった。
 きょうは、近くの「温泉」に出かける予定だったが、猫のために延期。
寒い。最低気温、10度前後、最高気温も17,8度かも。
 寒さのせいか、午後から頭痛がする。風邪かも知れない。

「ノイ」、緊急で病院へ 2004年12月13日
 昨夜、11時少しまえ、左のわき腹が、耐えられないほど痛いとのことで、急に病院へ。以前から、たまに痛くなることがあったらしい。「プッキー」の出産(もう10年近く前のことだが)は、おなかの中で赤ん坊が育ちすぎて難産で、帝王切開したらしいが、それ以来、たまに、同じところが痛くなるらしい。「メチャン病院」で手術したらしいが、ケサリンの話だと、切り口が大きく、ろくな医者じゃないとのこと。
 今朝、早く、また、「ノイ」病院へ。10時ころ帰ってきたらしいが、寝たきり。内臓の病気でなければいいが。手術したときに、おなかの中に何か忘れ物でもしたのではないかと心配。明日も、具合悪いようなら、チェンライの病院へ連れて行くことにする。
 きのう、手術した「スア」は、予後があまりよくないみたい。こちらの方も心配。

 今朝も寒い。最低、10度、最高18度。北タイの真冬だ。ケサリン、一日中セーターを身に着けていた。トックリ・セーターは、チェンライには売ってない。日本で買ったもの。

「スア」が死んだ。 2004年12月14日
 きょうは、全くの厄日だった。
朝からの出来事を、時系列で、少しくわしく書留めてておく。
 ケイとノンカン、普段より1時間ほど遅く起きる。寝坊。
「スア」の具合は、よくなっていない。水も餌も受け付けない。すっかり、体は冷えてしまっている。顔色は悪くはないが・・・。
 「ノイ」の具合もよくなっていない。ここで決断。チャムトーンの猫の世話をしたあと、直ぐにチェンライの病院に連れて行くことに。何しろ、30バーツの診療では、レントゲンさえとってくれないらしい。診断は「腎臓炎」とのことで、薬だけはもらってきたらしいが、痛さはちっとも回復しない。(あとで、この診断は正しかったらしいということはわかるのだが)
 子供たちを学校へ送って帰り、大人たちの朝食、犬の朝食のあと、チャムトーンへ義父を送り届け、猫の世話。チャムトーンから戻り、「スア」の容態も大分重いようで、メチャンのクリニックの開く夕方までは持たないかもしれないので、「ノイ」がチェンライの病院へ行くついでに、チェンライの畜産課の獣医に診てもらうことにする。
 車庫から、サニーをバックで出す時、何かにあたったように感じて、車を止める。祖tれと時を同じくして、何匹もの犬が、車の後ろで「喧嘩」を始める。直ぐ車から出てみると、何匹もの犬たちが、よってたかって「ペプシ」に噛みついている。集まった犬たちをおいはらって、良く見ると、「ペプシ」が血を流して、車のタイヤの近くに、「失禁」したらしいあとがる。犬の喧嘩で「失禁」することはままあるが、車をもとの位置に戻して、良く見ると、約1mほどタイヤのとおったあとに、「ペプシ」の体毛が線状に落ちている。これは轢いてしまったかなと、「ペプシ」の体を調べても、血は少し流れているが、轢いた形跡はない。別にビッコをひいてもいない。おそらく、ゆっくり後進する車の後ろへ来て、じゃれあっているうちに、アルミホイールの中に足を入れてしまったのか、それとも車の下に入ってしまい、どこかに引っかかって出られなくなってしまったのかもしれない。丁度、病院へ出かけるため「ペプシ」を自分の犬のように可愛がっている「ノイ」も出てきて、怪我の具合を調べていたが、たいした怪我ではないということになり、そのまま、病院へ行くことにする。ケサリン、ノイの母親「ピ・シー」も同行。
 家を出て、15分ほど行ったハイウェー上で、車の後ろががたつき始め、もうもうと煙のようなものが立ち始めあわてて、車を路肩に寄せて調べてみると、左後輪がバーストしている。さいわい後輪のためハンドル操作には全く影響なかった。タイヤを見ると、指が一本、軽々と入るほどの穴が開いていて、タイヤの模様も半分ほど消えるくらいに磨耗していた。とっさに気づいたが、「ペプシ」が痛さのあまり、タイヤに噛みついて、穴を開けたに違いない。そんなことでもなければ出来る穴ではない。やはり、ホイールの穴に足をとられたようだ。それでタイヤと一緒に回転し、毛が抜け落ちたに違いない。車を止めた路肩の反対側に、小さな修理工場があり、奇遇なことに、わが村からチェンライにある専門学校に通っている学生が、アルバイトで働いていて、車を止めてから、ものの1分もしないうちに、何事かと心配でとんできてくれて、タイヤ交換を手伝ってくれた。そのあと、そこから200mほど先にある、行きつけのタイヤ屋にバーストしたタイヤを預けてチェンライへ。残りの3本のタイヤも、かなり磨耗していて、この際4本とも交換することにする。一本、1500バーツのところ、まとめ買いをして、古いタイヤを下取りしてもらうことで、1本1350バーツにまけてもらう。
 チェンライへ。それにしても、「スア」が車の中でおとなしすぎる。不吉な予感がして、後ろの座席に座っている「ピ・シー」に移動用バッグをあけて見てもらう。あまり元気はよくないが、別段変わった様子はないとのこと。
 チェンライの「オーバーブルック病院」につく。
「スア」は、「ノイ」の診断が確定するまで、駐車場の車の中においてゆく。きょうも病院の駐車場は満員。寒そうだったので、少しだけ陽のあたる駐車スペースを探すのに苦労した。
 「ノイ」は、簡単な診察のあと、すぐに、「内視鏡」室、レントゲン、血液検査とまわされ、程なくして、婦人科の医師(女性)に診察してもらい「タイ・アクセープ(腎臓炎)」ということで入院が決まる。緊急医療室で点滴の準備が始まり、入院手続きに時間がかかり、その間に心配で、駐車場の車の中に残してきた「スア」を見に行く。口から泡を出して、たった今しがた息を引き取ったところだった。手遅れだったかと悔やまれる。人間の方を優先するしかないわけで、すまなかったと思う。またしても、つらい別れを経験。それにしても、ドサクサの最中で、いくらか気が軽い。覚悟は出来ていたし。病院内に戻り、ケサリンに報告。無言。かすかになみだ目。おとなし久手人懐っこい、いい猫だったのに。合掌。
 まだ、「ノイ」の入院体制が整わなくて、その間に、ケサリンと二人で、病院の食堂で少し遅い昼食。ケサリンは「クイティオ」を注文したが、まずくて食べられないと、一口食べただけで、別のものを注文。
 「ノイ」の部屋は、並みのクラスの個室(ホン・ピセット・タマダー)。一泊(?)700バーツ。看護婦と助手の「初診」が住んだあと、時間がないので、「ピ・シー」を残して、帰りの途に。「ピ・シー」は、看護婦などの言うことが半分くらいしかわかっていないからと、ケサリンはとても心配する。「ピ・シー」はケサリンの長姉で、もうそろそろ50歳になるが、この歳くらいから上の人たちは、タイ語の標準語が100%は理解できない。まして、病院などで使われる新しい「単語」は、理解できないことが多すぎる。そんなわけで、半分くらいしか理解できないらしい。
 帰りの途中で、「バンドゥー」の市場で、猫用の魚など買い込む。
給油。少し値下がりしたようだ。よかった。
 行きによったタイヤ屋でタイヤ交換。バランス調整などで時間かかる。
しめて5450バーツ。バーストしたホイールはなんともなかったが、それでも、給気口だけは交換しないといけなくて、それが50バーツ。
 犬のおかゆを炊かなければならないので、家の門の前でケサリンをおろし、チャムトーンへ。義父に「スア」のことの仔細を報告し、二人で藪の下に埋葬。線香などは、明日のことに。家に戻り、やはり門の前で、義父を下ろして、子供たちを迎えに学校へ。
 帰りの道々、「ノイ」の入院のことや、タイヤのパンクにこと、「スア」が死んだことなどなど、さんざんだった今日一日のことを話して聞かせる、
 これで終ったわけではない。家に戻って「ペプシ」を探したが見つからない。またしてもいやな予感。死んでしまって埋められてしまったのかと。そのうち、「サンパプーム(土地神)」の後ろの植木の中にうずくまっているところを、ケサリンが発見。具合は悪そう。良く調べてみると、左前足のふくらはぎに長さ5cmほど、かなり深い傷。そのほかにも。おまけに専修の日曜日に手術した傷がすっかり口をあけてしまっている。これは、そのままには出来ないと、夕食の支度中のケサリンをせきたてて、夕食のしたくもそこそこにして、メチャンの獣医へ連れて行くことに。獣医の見立てでは、左前足の傷口から骨が見えるとのこと。来てよかった。催眠剤の注射と局所麻酔だけで縫い合わせ。家に帰り着いたときは7時を少しまわっていた。
 きょうは、特別に長々と書いてきたが、これでも思いの30%も、あるいは、事実の報告の30%も書けていない。「事実は小説よりも・・・」というけれど。
 

逝くものがあれば、来るものも 2004年12月15日
 「ノイ」を見舞いにチェンライへ。経過はまずまず。明日には退院できるとか。
 「ペプシ」の方は、すこぶる順調。朝からほかの犬たちとじゃれあっていた。
 犬が1匹増えた。2、3日前に、チャムトーンに売店を出している「ケオ」おばさんから、ケサリンに捨て犬が、しかもかなり大型のがうろうろしていて、長いこと餌もろくに食べてないらしいので、かわいそうだから飼ってやったらと誘いがあったらしいが、とんでもない、すでに16匹もいて、そんなわけには行かないと返事をした犬らしい。
 きょう義父が、灌漑用水の中に入り込み、力がなくて這い上がれない犬がいたので、助けあげてやったら、あとをついてきてどこへも行かなくなっちゃったんで、飼いたいと・・・。そういわれれば、ダメだというわけにも行かず、飼うことに。何しろ随分やせてはいるが、子牛ほどもある大型のシェパードに似た犬で、食べる餌の量だって並大抵ではなさそう。もとの飼い主は、山のアカ族らしい。
 他人のことは言えないけれど、それにしても、親子そろって、こんなのに弱いんだから。「スア」が死んで、猫が1匹減って、新参の犬がきたので、現在、犬猫同数の17匹づつになった。

「ノイ」、退院 2004年12月16日
 高血圧性の「腎炎」だったらしい。入院後直ぐに、血圧降下剤などを点滴から注入され、翌朝には、背中の痛みが少し残ったものの、きょうになってほとんど痛みはひいたようだ。入院治療費、5800バーツあまり。
 25日に再診。義父と同じ日にしてもらう。
 「ノイ」が退院したと思ったら、今度は、猫数匹が具合悪そう。とりわけ、チャムトーンの「イ・ノイ」は、鼻を年中なめていてすっかりただれてしまった。きょうになって、「ミン」も、同じ症状。伝染性の病気かも知れないので、夕方獣医の所につれていくつもりだったが、危険を察知したのか、「イ・ノイ」がつかまなくて、明日に延期。
 きのうからやって来た大型の犬は「ジャーマン・シェパード」かもしれない。「ジャンボ」と名づける。首の辺りに、ダニが集団でくっついていて、「ピ・シー」とケサリンが大騒ぎしてとるも、とりつくせなかったようだ。きょう、チェンライのペット・ショップで、首輪など購入。

「ジャンボ」、ダニ取の注射 2004年12月19日
 午後から、新入りの「ジャンボ」、獣医のところへ連れて行って、ダニを体内から殺す注射をしてもらう。
 夕方から、また冷えてくる。「ミュー」はずっと、膝の上。足がしびれて痛い。

「ノンカン」の入学手続き書類をもらいにいく 2004年12月20日
専門学校のホーム・ページに名前が掲載されてから、もう半月以上になる。至急連絡するようにとのコメント付きだったが、何回も電話しても通じなくて、結局、きょう午前の授業をサボって直接学校へ。書類を受け取るときに言われたそうだが、第一志望の「食物科」コースに合格していたことがわかった。HP上では、志望もしてない「芸術」コースで、本人は、それでも合格なら進学するつもりでいた。実に全くいい加減なものだ。
 構内には、休憩時間で、在校生がたくさんたむろしていたが、女生徒との腕にくっついている男子生徒がいたりして異様な感じがしたが、聞いてみると、男子生徒は1割にも満たないと女生徒中心の専門学校で、男子生徒の半数以上が「カトゥーイ(オカマ)」だそうだ。腕を組んで歩いていても、異性関係ではなく「半同性」関係なんだそうな。当然教師などからとがめだてされるなんてことはない。

Mさん来宅 2004年12月21日
 しばらく前にメールを下さった、愛知県在住のMさん、昼前に来宅。ご丁寧に、手土産をいただく。タイで仕入れた「アジアン・グッズ」を日本で販売しているそうだ。案内してきた「アンポン」さんは、メチャン郡内の「パボン村」の人で、以前埼玉県に3年ほど滞在していたとのことで、日本語も達者。現在は、チェンライ市内で、ガイド兼レンタカー屋(運転手付き)をしているらしい。
 我が家の猫たち、半月ほど前から、去年の暮れに感染したウィルス性の鼻炎にまた感染。というか、このウィルスは感染症の治癒後も、死滅することがなく、したがって、ちゃんとした抗体も出来ない特殊なウィルスらしい。このところの寒さで、また動き出したらしい。餌さえ食べられれば、今度は、たいしたことにはならないらしいが・・・。ものの本などによると、人間には移らないとのことだが、間違いなく、移る。ただ、猫ほどには重症にはならないし、治癒するのも早い。
 ウィルスと抗体というのは、病理学的には、どういうことになっているのか、ちょっと興味深い。いつか調べてみよう。
このところの寒さで、篤志家から、掛け布団(夏がけ)が、25枚学校に寄付されたらしい。寒さで困っている、貧困な家庭の生徒に配ってほしいとのことだが、全く、けしからんことに、教師が一人1枚づつピンはねし、配れたのはたったの11枚だったそうだ。日本だったら、大問題になるであろうにタイではきわめて「ふつう」のことらしい。民間からの寄付ではなく、政府からのものだと、さすがに、そういうわけには行かないらしいが、この場合では、もっとずっと偉い人の段階でピンはねしてしまうので、にたようなものかも・・・。

中学3年生、卒業旅行。 2004年12月22日
 今夜、中学3年生が「校外宗教教育(サッサナ・スクサ)」ということで、一泊でチェンマイに卒業旅行に出かける。夜中の2時過ぎに、学校を出発。なぜ、真夜中かというと、「ランパン」(チェンマイの隣の県)まで、バスで行き、そこから、朝一番の「汽車」で、チェンマイに向かうからである。学校からの距離は、ランパンとチェンマイは、ほとんど同じくらいなのだが、汽車に乗せることが目的のため、そんなことになってしまう。チェンライまでは鉄道が来ていないので、本物を見たこともない子供が9割くらいいるらしい。まして、乗ったことがある子供は、100人ちかくいる生徒のうちでも、一人か二人とのこと。チェンマイでは、動物園にも行き、「パンダ」を見て来るそうだ。我が家の子供たちは、もう見ているので、そんなにうれしくはないかもしれないが・・・。
 みんな、きっと、うれしいんだろうなと、うきうきした気持ちが想像するとなんとなく楽しい。将来、就職して都会に出て行く子供たちには、非常に有益な「卒業旅行」になることだろう。
 チェンマイの泊まり先は、お寺らしい。この時期寒くてたいへんだろうが、まあ、若いんだから何とかなるか。みんな、毛布持参らしいが、毛布一枚じゃ寒かろうとのことで、ノンカンには、「寝袋」を持たせてやることに。ずっと以前、何かの役に立つのではと、買っておいたものが役に立つときがきた。
 こんなチェンライにも、鉄道延長の計画が一時あったのだが、「為替不安」のあおりで、立ち消えになってしまっているようだ。それでも、半世紀後くらいには、「新幹線」が、やってくるのかもしれない。
 きのうから、姪の「ノイ」が、門前で「居酒屋(?)」をはじめた。つまみの串刺しの肉団子評判がよくて早々に売り切れになってしまったらしい。初日の売り上げ300バーツあまりとのこと。

100万バーツの支援金 2004年12月23日
 朝、チャムトーンへの出がけに隣家の「ブム」が、身分証のコピーをしてくれとやって来た。もうすでに、きのうから数人の身分証、住居登録証のコピーを頼まれた。何事かと思ったら、案の定、借金の書類つくりということらしい。
 来年の2月はじめに、総選挙がある。事前運動は、公示日のはるか前から盛んだが、与党の「愛国党」は、国の資金で選挙運動。全国のすべての「村(ムーバーン)」に、それぞれ100万バーツ(日本円にして、250万円ほど)の資金を提供し、各村ごとに村民に低利で貸し出すのだそうだ。利率は、年0・5%ということで、市場金利に比較してただ同然。われもわれも、と村民がこぞって申請。分捕り合戦である。村の役職についているものたちが、半分以上は、とってしまうので、一般の村民には少ししかまわってこないらしいが・・・。向こう何年間かは、利息だけ返済していればいいらしく、かなりおいしいものらしい。うまくすれば『徳政令』で、返済しなくてもいいかもしれない。こんな田舎で「借金暮らし」の家では、返すあてなんて、宝くじにでも当たらないかぎりないんだから。

お父さん、自分で買いに行きなよ!わたし買えないよ。 2004年12月24日
 きょうは、「クリスマス・イブ」で、インターネット情報によると、日本の夜は、たおへんなにぎやかさのようだ。お酒を飲む機会もさぞ多いことだろう。
 こちらタイでは、18歳未満の若者に対する、酒、タバコの販売が、かなり厳しく取り締まられるようになったらしく、いつもなら、運転席にすわったまま、子供たちにタバコを買いに行かせたのだが、そんなことは出来なくなってしまい、めんどくさくても、シートベルトをはずして、自分で買いに行かなければならなくなった。テレビ・ニュースによると、未成年者にタバコの販売をした店が結構高額な罰金を課せられたうえ、営業停止処分を受けたらしい。タイでもタバコの販売は、許可制だったことをはじめて知った。法律の運用は、かなり柔軟なタイでも、先だっての国王の若者たちの社会問題を憂慮する内容の講話があって以来、かなり厳しく取り締まられているらしい。娘たちの話を聞いても、学校でも、教師はかなり厳しく教えているようだ。
 ちなみに、タイには、タバコ、酒類の自動販売機は全くない。
きょうは、ノンカンは遠足、下の二人は学校、ケサリンは「按摩(タイ古式マッサージ)」の研修で、朝からずっとケイと二人だけ。なんか、ルンルン気分で、楽しかった。電気スウィッチの交換など、喜んで手伝ってくれた。たまにはいいね。それにしてもケイは最近、背が急に伸びたように感じた。聞いてみたら、最近計ってないとのことだが、150cm前後らしい。物言いがケサリンに似てきて、ちょっとばかりきつくなってきたのが気になる。
 昼過ぎ、テレビを見ていたら、「のど自慢」の決勝大会をやっていた。「ルクトゥン(田園歌謡)」の「のど自慢」で、毎週水曜日に予選を放送し、準決勝など勝ち抜いてきた4人が「決勝大会」に出ていた。残っている人たちは、皆、セミプロと思えるような人たちばかりで、今回は、女性ばかりだったが、整形美人が多いのが気になった。優勝者には、優勝盾、賞金、賞品のほか、CD発売の機会が与えられるようだ。
 ノンカン、夜8時過ぎに戻る。学校前まで、迎えに行く。デジカメ、子能朝のうちに電池切れとか。そりゃそうでしょう、誰に教えてもらったのか、小生でも試していない「ビデオ」が2回も撮られていた。これだけで、静止画像約100枚分の電池消費。ビデオの撮り方なんて、教えなかったのに、誰か友達の中にデジカメに詳しいのがいたに違いない。

ノイと義父、予約診察 2004年12月25日
 ノイの腎臓は、完治したらしい。
義父の方は、まだで、来月、8日と23日に再診療。こちらの方は、医療費も結構高額で、なんか、「かも」にされているようで、腹立たしい。総額で、もうじき2万バーツ。自分で治そうという気にならなければ病気なんて治るものか。
 きょうは、クリスマス。歳の瀬も押し詰まって、日本ではさぞやせわしいことになっているのでは。チェンライの病院内にも、あちこちにツリーの飾り付けがされていてた。まった、きょうは、看護婦さんがサンタクロースに扮して、来院した子供たちにプレゼントを配って歩いていた。この病院は、カトリック系の団体が、100年ほど前に設立し、運営している病院。「聖書」の抜粋が銅版になっているものが、玄関脇に掲げられている。かつては、西洋文化の窓口になっていたらしい。そのころから、チェンライ市は、少しづつ、町らしくなっていったようだ。
 タイでも都会では、「カウントダウン」とかいって、大晦日の夜にあちこちで、若者の催しが開かれる。チェンライの町に行ったら、看板が出ていた。テレビでもPRしている。以前にはタイには全くなかったことで、あまり感心できることではない。「年忘れ」とか「一年の計」とか全く関係なく、ただただ、お祭り、余興に過ぎないように見える。娘たちも、大晦日に友達を集めて、飲み食いする会を開くなんていってるが、影響はこんな片田舎まで。
 夕方、日本米を炊いて、梅干のおにぎりを作って食べる。水を少なめにして炊いたので、ちょっと硬かったが、おいしかった。いつもケサリンが炊く日本米は、標準量の水で、かなりやわらかめ。米の含水量が多いのか、電圧が低いのか、日本の「コシヒカリ」のようにはうまく炊けない。「ガス炊飯器」があればいいかもしれない。「圧力釜」だと、火加減が難しいし。

なんとなく「鬱(うつ)」 2004年12月26日
 きのうから気分がすぐれず、チャムトーンには行かず、家でごろごろ。
午後から、30分ほど、「シン(ねこ)」と一緒に、ベランダで日向ぼっこ。随分久しぶりの外で、「シン」大喜び。冬至を過ぎたばかりなのに、日差しは強い。日のあたるおでこは熱くて・・・。
 「ノイ」の「店」、大繁盛。鶏の足のから揚げ、6kg売り切ったそうだ。明日また仕入れないと明日の分がなくなった。晩のおかずに買っていく人もいるらしいが、あの形そのままの足は、どうもね。ゆでて骨を抜いたものも売っていて、こちらの方は、タイ・サラダ(ヤム・チン・カイ)にして食べる。いずれにしても、あの恐竜の末裔の足は、「文明国」育ちの日本人には、無理だろうね。やっぱり彼らは、「縄文人」。
 「テック」の旦那「ニー」が出稼ぎ先のバンコクから戻ってきた。正月休みで、建設現場の仕事がなくなったらしい。あまり長く帰ってこなかったので、ひょっとして別れたのかなと、かんぐったりしたが、やっぱりあいつはいい男だった。ブリラム(イサン)出身の実直もの。ぱんぱんに太った(体重100kg)「テック」、幸せなんだ。よかったよかった。

大地震、大津波 2004年12月27日
 昨日、午前8時前、「スマトラ島」の西方の海中で、M8.9の巨大地震ガ発生。
インド洋沿岸各地で、10,000人以上の死者が出たらしい。タイも南部地方で、地震で倒壊した建物の中にいた人や、海沿いに住んでいる人が、被害を受けたようだ。南タイの代表的な観光地「プーケット」あたりでは、日本人をはじめ外国からの観光客が被災したらしい。タイ国内の死者も、すでに400人を上回っているようだ。
 それにしても、タイ政府の対応は、おざなりというしかない。地震国日本とは大違いであるばかりでなく、現在の最大の関心事が、来春2月はじめの「総選挙」ということもあるし、あまり、騒ぎ立てして「虎の子」の観光地「プーケット」の印象が悪くなっても困るとでも思っているのかも。とにかく、新聞、テレビで大きく取り上げるようになったのは、一夜明けた、きょうになってからである。皮肉なことに、地震情報を詳しく知るために、インターネットを通じて、日本など外国のマスコミを利用している。

 キャベツと大根とにんじんで「鰊(にしん)」の入っていない「鰊漬け」を漬け込む。以前、「鮭」で試したが、気温が高くて失敗したため、今回は「だし」は入れずに。少しすっぱくなる、3日後くらいがおいしいかも。

メカム小学校の教師4人が「風呂」を借りに来る。 2004年12月28日
 近隣の小中学校のボーイスカウト合宿教練も今夜で二泊目。一昔前なら、川で水浴びをしたのだが、今ではそんな人もなく、女教師3人と「おかま」教師一人が、「プッキー」と「ケイ」の名を出してシャワーを借りに来る。生徒たちは我慢しているのに、教師だけ?「おかま」教師なんて、いかにもタイらしい。
 「ケイ」と「ノンカン」は、炊き出し訓練なのか「携帯ガスコンロ」など調理用具や食材を持って登校。明日は、最終日で「遠足(ドゥンターン・カイ)」といって、往復20km近く歩かされるらしい。
 あちこちから「大地震」のお見舞いメールをいただいたが、このあたりでは、全くのよそ事でちょっと拍子抜け。それにしても、インド洋沿岸各国で数万人の死者が出たらしい。地震の被害としては、この数世紀の間でも最大級とのこと。もしかすると、有史以来最大の被害かもしれない。
 ヒマラヤ山系の褶曲活動は、今でも続いているとのことを実感。「インド古大陸」が「ユーラシア大陸」とぶつかってその下にもぐりこんだことによる「ストレス」が、発散したことにより断層がずれたとのこと。
 情報機器など発達した現代社会、何とかならなかったものなのか。

庭のスプリンクラー、改造 2004年12月29日
 国王のお孫さんが、このたびの地震でなくなったので服喪せよとのお達し。
西洋人と結婚して、一時感動されていた長女(離婚してから赦された)、「ウボンラット王女」の、第2子(一人息子)が、母親と「パンガー」に出かけていて、「ジェット・スキー」中に、行方不明になり、翌日近くで遺体が発見された。
 「タクシン首相」のお達しで、国民は3日間の喪に服して、過度の歌舞音曲をつつしみ、華美な服装を控えて「黒色」の衣服を身にまとうようにとのこと。きょう外出した折に、気をつけてみていたが、たまに、スラックスまたはブラウスに黒を身につけている人を見かけたが、普段とほとんど代わり映えしなかった。ただ、さすがに、TVのキャスターは、みんな喪服を着用していた。
 日本の「軍艦」が、行方不明者の捜索協力のため、プーケット近海にやってきたとの報道がされていた。
 来春の「総選挙」を延期するかどうかの議論がされているらしいが、与党の横やりで「前倒し」したばかり。どうなるんだろうか。今回の災害は、どうやら、野党、民主党にとって、「神風」かも。南部は、民主党の地盤。

 庭の芝のスプリンクラー、改造。
 「プーケット」に住んでいる、従妹の「オーン」は、無事であることが確認できた。

ポータブル発電機購入 2004年12月30日
 大津波で国王のお孫さんがなくなったことで、年末年始の宴会は、出来るだけ地味にとのお触れがまわり、大音響での「カラオケ」などもってのほかとのことで、我が家では、恒例の大晦日の宴会をチャムトーンで行うことにした。ただ、チャムトーンにはまだ電気が入ってなく、諸般の事情から、当分は電気は入らなさそうとのことで、ポータブル発電機を購入した。発電機自体は、1KWのものがあるのだが、耕運機のエンジンで動かさなければいけなくて、準備が大変で、安く手に入るのだったら買おうといっていたところ、5500バーツ(14,000円ほど)で、750KWの使い勝手のいいものが手に入ることがわかり、購入を決めた。これで、40Wの裸蛍光灯、4〜5灯とカラオケぐらいは出来そう。
 早速、みんなに手伝ってもらい、午後から配線。テスト完了。
なかなか具合いい。小さく、軽いので男手なら一人で持ち運びできる。そういえば、これとほとんど同じものが、日本の夜の露店で使われていたのを思い出した。
 一昨日、漬け込んだ、大豚のもも肉、2本で25kg。試食。生ハムにちかい味で、なかなか結構。いままで、生きたままの子豚を買うことが多かったが、屠殺するのも惨酷だし、肉以外の部分も多くて、なんとなく無駄のような気がして(実際は皮まで食べちゃうので、そんなことはないのだが)、今回は、かなり大きい豚のももだけ購入。
1本が12.5kg、かなり重い。これを、生ハムつくりようの漬け汁につけ、明日軽く燻製にしたあと焼くことに。3〜40人なら、たらふく食べられそう。
 ちなみに、肉の値段はキロ当たり、80バーツ(約200円)。鶏インフルエンザの影響で、豚肉は20%ほど値上がりした。養豚業者は、「鶏インフルエンザ」さまさまのようだ。
 

大晦日 2004年12月31日
 日本では、みんな、それぞれの家庭で、新年を迎える行事等で、せわしいことだと思う。いま、こちらの時間で夜の9時。我が家でも、年越しの「バカ騒ぎ」で、チャムトーンから、たった今戻ったところ。近所の人たちなどもてつだってくれて、午前中から準備を始め、夜の7時過ぎまで、飲めや歌えの大騒ぎ。終わりころになって、カラオケでマイクを持つ人ごとに、お礼を言われ、タイ人もいくらかましになったかなとちょっとばかり、ほろり。子供たちまで入れると、5,60人は集まったかも。

 昨夜、甥のチャッキーが、正月休みで、チェンマイの「空軍駐屯地」から戻り、1時間くらい、あれこれと報告してくれた。まだ、入隊後2ヶ月足らずだが、「敬礼」もいくらかさまになっており、何とか勤まりそうでほっとした。徴兵された(彼は志願したのだが、実質は、徴兵とかわらない)空軍新兵がどんなことをしているのかは、長くなるので、別の機会にHPに掲載する予定。

 別段、たいした理由はないのですが、今年は、年賀状も、年賀メールも出しませんので・・・。
 それでは、皆様よいお年をお迎えください。



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