チェンライ暮らし

Edited from CGIboy


 まだ、「BLOG」などというものが普及していなかったころ、日記を記録するのにお世話になった「CGIboy」ですが、
「BLOG」が広まるにつれて、廃止されることになってしまいました。幸い、廃止の予告を受けてバックアップをとって
あったため、それを元に、見た目だけでも「CGIboy」時代そのままに、復元し公開保存することにいたしました。
なお、復元時に気がついた誤字脱字は訂正し、一部段落などの追加や「補記」として説明を追加したものもあります。


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2005年06月 INDEX

2005/06/01 「寄生植物」除去
2005/06/02 『戦争と平和』(DVD) 手に入れる。
2005/06/03 野菜のタネまき
2005/06/04 不吉な「風」が吹いてきた。
2005/06/05 「日記」、引越ししました。
2005年6月の日記

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「寄生植物」除去 2005年06月01日
 今日から、また新しい月が始まる。「日記」も軽くなって、作業しやすい。

 生垣に、はびこり始めた、得体の知れない、つる性の寄生植物を取り除く。1ヶ月ほど前に、完全に取り除いたはずなのに、いつの間にか、ずいぶん広がっていた。
 鉛筆の芯ほどの、黄色の蔓で、生垣などの上を覆ってしまう。村内でも、何箇所かで見かけたりするが、どこの家も「災難」や不幸があった家ばかりで、妙に気持ち悪いし、生垣の花が枯れてしまいそうなので、「撲滅」することに。

近くで、大砲のような雷鳴が聞こえ始めたので、今日はこれまで。

『戦争と平和』(DVD) 手に入れる。 2005年06月02日
 インターネットで購入したDVDの受け取りを、日本の身内に頼んでおいたのが、今日届いた。
 1956年の映画だそうだから、今年でちょうど封切られてから50年目にあたる。初めて見たのは高1のときだったと記憶しているが、高校のある町のC劇場だった。田舎の中学からの進学で、町場の同級生たちの会話には、ついていけないことが多かった。だけどこの映画を見てからは、外国の映画スターの名前、映画の中で使用されていた「クラシック」の作曲家、チャイコフスキー、リスト、ブラームスなどすこしは詳しくなって、ことこの映画に限って言えば、町の連中と対等か、それ以上に立ち向かうことが出来た。授業をサボって、4,5回は見たと思う。もちろん、映画をたびたび見ることが出来るような裕福な家庭には育っていなかったので、朝、開館と同時に映画館に入り、夕方下校時間が近づくまで、コッペパンをかじりながら見た。開館直後の1回目は、ウィークデーということもあり、まったくの貸切で、たった一人で見ていた。スクリーンに食い入るようにしてじっと座っている自分を、映写技師のおじさんは、変なやつだと思ったに違いない。スターの話す英語の会話は、まったく理解できなかったが、それでも、字幕を頼りに、何回か見ているうちには、少しはわかるようになった。世界史の勉強にも役立った。このころから、少しずつ、クラシック音楽になじみを持つようになり、大学入学してからは、「バッハ」だ「モーツアルト」だなんて、一人前の話をするようになった。
 そんなわけで、この「戦争と平和」は、青春時代の大きな一里塚になったような気がしている。別の機会に、もっと詳しく振り返ってみたいと思う。
 DVDのほか、一緒に頼んでおいた日本の野菜の種子や心づくしの品々が届けられて、いつも世話になっているとはいえ、その有難さに言葉もない。今のような生活をしていることは、やっぱり、身内には何かと負担をかけさせることになっているのだとしみじみ痛感。でも、いまさら、進路変更出来る年齢でもないし、甘えて生きていくしか仕方のないことかもしれない。ごめんなさい。

野菜のタネまき 2005年06月03日
 日本から送ってもらった、野菜類の種まきをする。
「なす」、「みつば」、「赤しそ」、「青しそ」。
これwらは、すべてビニールポットに。とりわけ「しそ類」は、赤アリの被害にあわないように、2階のベランダに。モット・デーンという、小さな赤アリは、かまれるととても痛い。この「あり」は、植物の種子が常食らしく、自分たちでも栽培し、畑を作る。しその実は、大好物らしく、気をつけないと撒いたそばから、巣の中に運ばれていってしまう。そんなに大好物なら、少しぐらいは残しておいて、実のなるのを待てばいいと思うのだが、ひとつ残らずなくなってしまうのだから、困りものである。
 「だいこん」、「ごぼう」など「じか播き」するものは、酸性土壌を嫌うものもあって、石灰を撒いて落ち着いてから撒くことに。
 1ヶ月あまりすると、「青しそ」や「みつば」の「てんぷら」が食べられそう。我が家、みんなの大好物。しその香りは、タイ人も好きらしい。「みつば」は、安い「くず椎茸」との「卵とじスープ」が最高。

 今日も、蒸し暑いです。夕方、少しだけ雨。夜も降るかも。
午後、「ミャンマー」に行く、坊さんを、集合場所のパサンのお寺まで送っていく。
戻りは、7日だそうだ。

不吉な「風」が吹いてきた。 2005年06月04日
 しばらく平穏だったわが部落「パヤーン」に、昨日あたりから、不吉なことが起こり始めた。「クワバラ、クワバラ」
 昨日夕方、近所の「ウェン」が、となり村の道路工事の日雇いからバイクで帰宅途中、うしろから来た、酔払い運転のピックアップに、ぶつけられ、右足すねの骨折。チェンライ病院に運ばれた。ピックアップには、20リッター・ボトルに入った、闇の焼酎が積まれていそうだ。
 同じく、昨日の夕方、姪「ノイ」の義理の兄にあたる「ルン・ラット」が、血を吐いて倒れ、弟の「タン」が、我が家のピックアップでメチャン病院に運び込んだが、メチャン病院では、手に負えないとのことで、病院の救急車でチェンライ病院へ入院。「ルン・ラット」には、我が家でも、何かとお願いしていて、ずいぶん助かってはいたが、長いこと、朝昼晩、四六時中酒つかりで、おそらく、肝臓がだいぶ痛んでいたにちがいない。「食道動脈瘤破裂」かも知れない。
 「ルン・ラット」を病院に運んだ、我が家のピックアップが、これまたすこぶる調子が悪い。というよりか、すでに故障? クラッチがすべって、まともに走れない状態で、チェンライまでいかずに、メチャン病院から引き返してきた。
 わがパソコン、モニターが壊れたらしい。日本にいるとき、中古で買った、「三菱DAIMONDTRON」、もう寿命なのかもしれない。最近ずっと、雨降りの後、なかなか立ち上がってくれなかった。雨の後、多分、どこかで漏電していて、電圧が下がるのだろうと想像されるが、そんな時、モニター君も無理をするのだろう。今日は、とうとう、煙を吐いて、使えなくなってしまった。ただ、もう1台のSONY製のに交換しても、調子がおかしいので、もしかすると、本体の「グラフィック・ボード」が傷みかかっているのかもしれない。いやな予感。

 午前中から、病人のお見舞いをかねて、チェンライへ。
面会時間は、正午からとのことで、先に「BIG−C」へ。
ADSLの「ユーザーID」、「パスワード」など教えてもらう。普通は、電話で連絡してくるのだが、聞き間違いなどあっては困るので、申し込みをしたTT&Tのショウルームで。6月6日から使えるとのこと。
 ADSLのモデムと一緒に購入した「USBハブ」故障していて使えないので交換してもらう。OUTPUT、4本のうち、1本は、「不能」だが、これは我慢することに。

 「ルン・ラット」のその後情報。
「輸血」が必要で、献血者募集。A型だそうだが、ケイはA型だが、肝炎のためパス。
下血が激しく、まだ出血は止まっていないらしい。30分おきくらいにトイレに行っていて、この間に、トイレの蛇口で水の盗みのみをしているそうだ。我慢して、医者の言うことを聞かないと回復しないよ。下手すると命が危ないんだよ。
 大学時代の同級生の浅野君は、動脈瘤破裂で、手の施しようがなくて亡くなった。30年あまり昔のことだが。小瓶型の真鍮製のウィスキー入れが、いつもかばんの中に入っていた。塾で教え子の前でも、チビチビやってたそうだ。「ねこ」というあだなの、ギリシャ語の得意ないいやつだった。蔵書を古本屋に売った金で、二人で「谷川岳」に旅行したこともあった。同じクラス、同郷静岡県、清水市の出身。

「日記」、引越ししました。 2005年06月05日
 本日(6月5日)から、日記の引越しをしました。
長い間、お世話になった「CGIBOY」さん、ありがとうございました。
従来の5月末までの日記はしばらく、そのままにしておきますので、過去にさかのぼって見たい場合は、どうぞ。
 新しい「日記」は、下記のURLにあります。
   http://lannathai.web.fc2.com/yahoogeolog/200506.htm
ホームページからもアクセス可能です。



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